免許返納者に「反射缶」県内初 二本松交対協、夜間事故防止へ
春の全国交通安全運動(6~15日)を前に、二本松地区交通対策連絡協議会は1日、運転免許証を自主返納した二本松市の高齢者に対し、「運転者卒業記念」として夜光反射材のグッズを詰めた缶詰「反射缶」の配布を始めた。反射材の着用を促し、夜間の高齢歩行者の事故防止につなげる。二本松署によると、反射缶の配布は県内で初めて。
同署によると、各種啓発活動で夜光反射材を配布したが、着用が進んでいない。自分の物と意識する「保有効果」により着用率を高めようと、同署は反射材を詰めた「ガチャガチャ」を交通課窓口に設置している。
反射缶も同様の考えに基づき配布する。缶には、伸縮するたすきや靴用のシール、キーホルダーと、同市の「ほんとの空」をイメージした青いリストバンド型の反射材を詰めた。300個を用意。同署で免許証を返納した市民に贈る。
「出るなら昼間!夜なら光れ☆」がキャッチフレーズで、配布時には、夜間の不要不急な外出を控えるよう助言し、外出時には反射材を着用するよう促す。
配布第1号となったのは同市下長折の男性(74)。脳梗塞で右半身が少し不自由になり、中学1年になる孫から「じいちゃんの運転は怖いから乗らない」と言われ、50年以上取得した免許を返納した。佐藤祐一交通課長から反射缶を贈られ「反射材を着けて事故に遭わないようにしたい」と話した。
同市の免許返納は年々増え、昨年は前年より70件多い225人が返納した。
こんなところでも「ほんとの空」、と、微笑ましく思いました。
当方自宅兼事務所の近辺もかなりの田舎ですので、自家用車は必需品です。また、東北や中部地方などの光太郎智恵子ゆかりの地に行く際も、公共交通機関を使うより安かったり便利だったりもします。
しかし、やはり、永久に運転もできないでしょう。いずれ返納することとなる時、車が無くても困らない世の中になっていて欲しいものです。
【折々のことば・光太郎】
多くの場合、本郷通松屋製青色 二十字詰
昭和9年(1934) 光太郎52歳
「松屋」は、光太郎が生まれた翌年、明治17年(1884)創業の紙製品店。光太郎以外にも、夏目漱石や芥川龍之介らがその原稿用紙を愛用していました。昭和30年(1955)まで存続していたそうです。
光太郎は、詩稿に限れば大正11年(1922)~昭和15年(1940)頃、確かに松屋製のものがほとんどでした。それ以前は銀座伊東屋製、それ以後、戦時中までは出版社・道統社のロゴが入ったもの(中央部分には「高村光太郎」と印刷されています)を主に使っていました。戦後はさすがに物資が不足、原稿用紙もあまり統一されることなく、いろいろな用紙を使っています。
こちらは「ほんとの空」の語の初出、「あどけない話」。
こちらも松屋製です。
