気づくのが遅れ、もう先々週の号ですが、『週刊文春』さんの3月12日号。ノンフィクションライター・中村計氏による「「金足農業、燃ゆ」 甲子園秘話」という記事が、5ページにわたって掲載されています。

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リード文より。

公立、過疎地、雪国……不利な条件満載でも、彼らは「普段はパッパラパーだけど、野球だけは本気だった」(女子マネ)。「奇跡のナイン」に惚れ込み、追いかけ続けた中村計氏による『金足農業、燃ゆ』が発売。春のセンバツ高校野球が中止になった今こそ読みたい、カナノウの「その後」の物語。

金足農業さんといえば、現在、北海道日003本ハムファイターズの吉田輝星投手を擁して一昨年夏の甲子園で準優勝を果たし、「カナノウフィーバー」を巻き起こしました。ただ、「なぜ今?」感があったのですが、中村氏が記事のタイトルと同じ『金足農業、燃ゆ』という書籍を文藝春秋さんから刊行されたので、そのためでした。

私立の強豪校とは異なり、潤沢な資金もなく、いわゆる野球留学の選手は皆無、「雪国」というハンデもある。そんなチームが全国準優勝に輝いた裏には、選手たちや監督の型破りな、しかし、裏をかえせば既成概念にしばられず、自分たちでよく考えて、真摯に、それでいて楽しみながら実践する姿勢があったのだなというのが、記事を読んでよくわかりました。

そして末尾の一節が、こちら。

高村光太郎風に言えば、金足農業の前に道はなく、金足農業の後ろに道ができた。だが、彼らがつくった道をたどる者は、おそらくもう現れない。

たしかに光太郎が現代に生きて一昨年の夏の甲子園を観ていたら、金農さんを応援したような気がします。造型でも文芸でも、既成概念にしばられず、自分でよく考えて、真摯に、それでいて楽しみながら実践したのが光太郎ですので。

だが、彼らがつくった道をたどる者は、おそらくもう現れない。」は、高野連による投手の球数制限ガイドラインが出されたことを背景にしています。吉田投手、最後の一週間で、4試合、570球も投げたそうで、もはやそれはありえなくなるということです。

しかし、それはそれとして、強烈な個性を持った型破りなチームが活躍できる土壌は、たしかに作られつつあるような気はします。また、そうでなければいけないような気がします。


【折々のことば・光太郎】

言葉といふ不思議な生きものの先の知れない深い生活はあらゆる方面から迫り、拓いてゆく可きものと思ひます。

アンケート「言葉の深い生活――口語歌観――」より
大正12年(1923) 光太郎41歳

上記金足農業さんの記事にも引用された詩「道程」(大正3年=1914)を含む詩集『道程』(同)で、我が国に口語自由詩を確立させた光太郎ならではの言です。余技としながらも、光太郎は短歌の方面でも、口語や俗語を巧みに取り入れた革新的な吟詠を行っていました。