長野県さんのプレスリリース。
長野市、塩尻市、南牧村に所在する計4件が国の登録有形文化財に登録されます
本日、令和2年3月19日(木)に開催された文化審議会文化財分科会の審議・議決を経て、下記建造物の登録について、文化審議会から文部科学大臣への答申が行われました。
今後、官報告示を経て、登録有形文化財に登録されます。
善光寺鐘楼 1棟 嘉永6年(1853)/大正15年(1926)改修 長野市大字長野字元善町491イ
善光寺仁王門 1棟 大正7年(1918)/昭和52年(1977)改修 長野市大字長野字元善町469
島木赤彦寓居 1棟 明治前期/明治後期増築、昭和30年代改修 塩尻市大字広丘原新田字新田148-1
旧尾張徳川家本邸主屋(八ヶ岳高原ヒュッテ) 1棟 昭和9年(1934)/昭和43年(1968)移築 南佐久郡南牧村大字海ノ口字西牧場2244-3
※本件が登録されますと、県内の登録有形文化財は、558件(建造物 557件、美術工芸品 1件)になります。
『中日新聞』さん。
善光寺鐘楼など4件、国有形文化財に指定へ
国の文化審議会は十九日、長野市の善光寺鐘楼(しょうろう)と善光寺仁王門、南牧村の旧尾張徳川家本邸主屋(おもや)(八ケ岳高原ヒュッテ)、塩尻市の島木赤彦寓居(ぐうきょ)の四件を国の登録有形文化財にするよう文部科学相に答申した。登録されれば、県内の登録有形文化財は五百五十八件(うち美術工芸品一件)となる。
善光寺鐘楼は国宝善光寺本堂の近くにあり、一八五三(嘉永六)年に再建された。「南無阿弥陀仏」の六つの漢字が由来とされる六本の柱で支えられる。つるされる梵鐘(ぼんしょう)は一九九八年長野冬季五輪で開会を告げるために打ち鳴らされた。
過去数回、火災で焼失した善光寺仁王門は一九一八年に再建。正面側は幅約十三メートル、高さ約十四メートル、奥行き約七メートルで、屋根の銅板は再建百年に合わせてふき替えられた。両脇に、近代彫刻の巨匠、高村光雲と米原雲海の合作による一対の仁王像が配されている。
八ケ岳高原ヒュッテは、尾張徳川家第十九代当主が三四年に東京・目白に本邸を建て、六八年の南牧村への移築後、ホテルになった。柱やはりを隠さず、装飾として生かしたハーフティンバー様式で造形の模範と評された。村では初めての登録有形文化財となる。
◆塩尻の島木赤彦寓居、街道の景観に寄与
島木赤彦寓居(ぐうきょ)は木造平屋の四十二平方メートル。太田家住宅の東側に突き出した「角屋(つのや)」と呼ばれる部分で、八畳の座敷がしつらえられている。北側には特別な客人を迎える際の玄関となる「式台」がある。
明治・大正期に活躍したアララギ派の歌人島木が、広丘村広丘尋常高等小学校(現塩尻市広丘小)に校長として赴任した一九〇九(明治四十二)年三月から二年間、単身で下宿した。島木の関連施設で善光寺街道の景観に寄与している点などが評価された。
建築は太田家住宅が建てられた明治前期とされる。住宅は昭和三十年代に建て替えられたが、角屋は主屋と分離して残された。屋根の東西両端に「雀(すずめ)踊り」と呼ばれる棟飾りを載せ、全体を本棟造り風に仕上げている。地元では太田家の屋号で「牛屋」と呼ばれる。
所有する太田寿美さん(91)は「大切に残してきたので登録は本当にうれしい。今後も建物を後世に引き継いでいきたい。短歌愛好者らにも見てもらえるように考えたい」と話した。
『朝日新聞』さん。
長野)善光寺の鐘楼、仁王門など、国登録有形文化財に
善光寺(長野市)の鐘楼と仁王門など県内の文化財4点が、国の登録有形文化財に新たに登録されることになった。19日の文化審議会文化財分科会で文部科学相に答申された。
国宝に指定されている本堂の近くにある鐘楼は、江戸末期の1853(嘉永6)年に建立。「南無阿弥陀仏」の6字にちなみ6本の柱が立っており、鐘は毎日午前10~午後4時に1時間ごとに鳴る。1918(大正7)年に参道入り口に建てられた仁王門は、日本の近代彫刻の第一人者である高村光雲、米原雲海によって作られた一対の仁王像を配する。
他に、明治、大正時代に活躍した県出身の歌人・島木赤彦が下宿した塩尻市の「島木赤彦寓居」、南牧村では初めての国登録有形文化財となる「旧尾張徳川家本邸主屋(八ケ岳高原ヒュッテ)」が登録される見込み。県内の登録有形文化財はこれで558件となる。
『毎日新聞』さん。
国の有形文化財、4件指定へ 善光寺鐘楼や仁王門 /長野
国の文化審議会は、善光寺鐘楼(長野市)▽善光寺仁王門(同)▽島木赤彦寓居(ぐうきょ)(塩尻市)▽旧尾張徳川家本邸主屋(現・八ケ岳高原ヒュッテ、南牧村)――の4件を国の登録有形文化財に指定するよう文部科学相に答申した。登録されれば、県内の国登録有形文化財は558件となる。
善光寺の本堂近くにある鐘楼は「南無阿弥陀仏(あみだぶつ)」の6文字にちなんで6本の柱で建てられている。境内の一角を構成し、1998年長野五輪の開会を告げたことでも有名。
善光寺の本堂に延びる参道上にある仁王門は、両脇に一対の仁王像を安置する重厚な門。何度か焼失し、現在の仁王門は1918年に再建された。
島木赤彦寓居は、アララギ派の歌人、島木赤彦(1876~1926年)がかつて下宿した建物で、善光寺の街道沿いの様相や地域文化を伝えている。答申された3件の建築物はいずれも「国土の歴史的景観に寄与する」として選ばれた。
旧尾張徳川家本邸主屋は、戦前を代表する建築家の渡辺仁が建てた高尚な造りの邸宅。「造形の模範」として選ばれた。登録されれば、南牧村初の国の有形文化財となる。
昨年が仁王像開眼100周年だったということで、一昨年から今年にかけ、いろいろと動きがありました。
善光寺寺子屋文化講座第2幕『冬至に仁王さんのお顔を見てみよう』。
善光寺仁王像 初の本格調査。
第十六回長野灯明まつり 「共鳴する平和への祈り」。
新聞各紙から。
信州善光寺仁王門写真コンテスト。
信州レポート その2 信州善光寺。
新聞各紙から。
信州善光寺仁王像関連。
光雲関連。
第14回善光寺サミット。
信州善光寺仁王門屋根改修銅板寄進。
「善光寺仁王門の改修工事」他。
信州善光寺仁王門工事見学会。
ニワトリが先か、卵が先か、文化財指定の動きが先か、いろいろとやった結果の文化財指定か、そのあたりは不明ですが、実に良いことだと思います。
ただ、今回は、あくまで建造物としての仁王門の登録ですので、仁王像は含まれていないのでしょう。そちらの文化財指定も待たれるところです。
ちなみに光太郎智恵子がらみの国登録有形文化財、現存するものでは、同じ信州の上高地にある徳本峠小屋(大正2年=1913、光太郎智恵子が立ち寄りました)、やはり長野県の塩尻市古田晁記念館さん(高田博厚作の光太郎胸像などが展示されています)、戦後、光太郎がたびたび宿泊した花巻温泉松雲閣別館などがあります。
ただ、建造物の国登録有形文化財は、文化庁さんのサイトに拠れば現在47都道府県945市区町村で12,000件以上ですので、調べればもっとありそうな気もします。
単に保存のみでなく、有効活用の道も探っていただきたいものですね。
【折々のことば・光太郎】
紅葉でなくて黄葉ではありますが、信州上高地徳本峠の山ふところに密生する桂の黄葉は確に推薦に値ひします。