光太郎の親友にして、ロダンに学んだ碌山荻原守衛関連です。


まずは長野県松本平地区で発行されている地方紙『市民タイムス』さんの記事

穂高柏原の山下さん 碌山の生涯脚本に

 ドイツ文学者で松本歯科大学元教授の山下利009昭さん(71)=安曇野市穂高柏原=はこのほど、穂高出身の彫刻家・荻原守衛(碌山、1879~1910)を主人公にしたオリジナル脚本『私家版(紙上公演) 私の碌山劇場』を出版した。三つの彫刻が制作された背景を追うことで芸術に情熱をささげた苦悩の生涯を描きつつ、謹厳実直なだけでなく自らの気持ちに従って自由に生きようとした碌山の姿に迫った。
 碌山は、新宿中村屋を創業した同郷の先輩・相馬愛蔵の妻・良(黒光)への恋心に苦しんでいた。脚本では、こうした状況の中で碌山が作った彫刻のうち、腕組みをする僧の半身像「文覚」、絶望した女性が身を投げ出す「デスペア」、絶作の「女」を取り上げながら、制作の過程と2人の物語を描き出している。文覚とその愛人の「袈裟」、フランス留学中に碌山が師事した彫刻家・ロダンの弟子で愛人の「 カミーユ」、黒光の次男で病床の「襄二」なども登場しており、さまざまな人とのやり取りを通して新たな碌山像を浮かび上がらせている。
 碌山は第1次世界大戦前のアメリカとパリで学び、自由な考え方に触れた。山下さんは「脚本を通して、当時の日本人としては画期的な考えを持っていた碌山について、思いを巡らせてもらえたら」と話している。
 脚本の一部は、碌山美術館開館60周年記念として昨年1月、館友の会(幅谷啓子会長)が松本市のまつもと市民芸術館で開いた演劇公演の原作となった。出版にあたって加筆、修正し昨年末に完成した。

明治43年(1910)、数え32歳で早世した守衛ですので、比較的長寿だった光太郎とは異なり、もはや直接面識のあった人はすべて亡くなっています。しかし、地元での碌山敬愛度は半端ではなく、毎年4月22日の碌山忌は100回を超えても盛会のうちに執り行われています。

山下氏のご著書、光太郎にふれられているかどうか不明ですが、伝手(つて)を頼って入手できれば、と思っております。


次いで、記事にもある守衛絶作の「女」。ミニチュア複製が新たに販売され始めましたので、ご紹介します。 

藝大×東博 荻原守衛作「女」小品ブロンズ像

東京国立博物館と藝大の共同プロジェクトでよみがえった荻原守衛の重要文化財「女」

 東京国立博物館と東京藝術大学彫刻科塑造研究室の共同研究で、荻原守衛の重要文化財「女」が鋳造再現された。
 東京藝術大学アーカイブセンターの最新鋭の技術でよみがえった、近代彫刻史上の記念碑的作品をご家庭にお届けする。

 ひざまずき腰の後ろで手を組み、体をねじりながら伸び上がる女性。表面的な写実ではなく、内的な生命に重きがおかれた表現は、ロダンの彫刻の本質を理解した作品として、日本彫刻史上で高く評価されている。明治時代以降の彫刻で初めて重要文化財に指定された作品でもある。
 「女」には、荻原守衛没後に鋳造されたブロンズ像が複数種類あるが、本作は守衛が最終段階の石膏取りを行なった、オリジナルの石膏原型を基にしている。その3Dデジタルデータを計測し、東京藝術大学鋳金研究室が1/1スケールのブロンズ像を鋳造。それを縮小し、限定制作(エディション)したのが本作品だ。最新のデジタル技術とアナログ技術の融合で、小品ながら守衛の手の痕跡や息遣いまでもがよみがえっている。

 台座は幅19×奥行き16×高さ5cm。像は最大幅14×奥行き13×高さ25cm。重量3.3kg。台座は木。像はブロンズ。桐箱入り。日本製。

 価格 396,000円


※受注生産品のため返品・キャンセル不可。
※代引き不可。

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像高25㌢だそうで、オリジナルの4分の1くらいでしょうか。こういうのも有りなのですね。

「女」は、守衛が亡くなった際、新宿角筈のアトリエに粘土原型のまま残されていました。モデルを務めた岡田みどりという人物の回想によれば、破壊されるはずだったところを、光太郎が残すように進言したそうです。光太郎、ファインプレイでしたね(笑)。

資金力に余裕のある方、ぜひどうぞ。

ところで、昨年、上田市ご在住の田丸めぐみ様とおっしゃる方が、守衛関連のご著書を刊行されそうです。4月2日(木)の連翹忌にご参加下さり、お持ち下さるとのことですし、4月22日の碌山命日には、上田で朗読会的なイベントをなさるとのこと。また改めて紹介させていただきます。


【折々のことば・光太郎】

俗気に満ちた画家連の写生した上高地近辺の写生画を見て上高地を想像しては間違ひです。あんなヘナチヨコな山や水ではない。悪画家は山水の自然を瀆します。

アンケート「夏の画材を猟りに行く処」より 大正8年(1919) 光太郎37歳

守衛の生まれ育った信州にある上高地。大正2年(1913)には、智恵子ともどもここを訪れ、結婚の約束を交わしました。


第64回連翹忌――2020年4月2日(木)――にご参加下さる方を募っております。詳細はこちら。新型コロナウイルス対策でイベントの中止等が相次いでおりますが、十分に感染防止に留意した上で、今のところ予定通り実施の方向です。ただし、現在、関係各方面と開催か中止か協議中です。ご意見のある方、コメント欄(非公開も可能です)よりお願いいたします。

来る4月2日(木)に日比谷松本楼様に於いて予定しておりました第64回連翹忌の集い、昨今の新型コロナウイルス感染防止のため、誠に残念ながら中止とさせていただくことに致しました。