まず、建設関係の業界紙『日刊建設工業新聞社』さんの昨日の記事から。
東日本大震災9年/国土地理院、自然災害伝承碑をウェブ地図で公開/子どもたちが調査
東日本大震災の被災地の子どもたちが調べた命を守る記念碑が、過去の自然災害の被害状況を現在に伝える「自然災害伝承碑」として国土地理院のウェブ地図で公開された。宮城県女川町で被災した当時小学校6年生だった子どもたちが、震災直後に入学した中学校の先生と取り組んだ「女川いのちの石碑」15基を掲載。同時に全国で41基を追加し、公開総数は46都道府県150市区町村の472基となった。
1日時点で女川いのちの石碑は18基。小学6年生だった子どもたちは二十歳を超えた。震災のつらく、悲しい出来事を再び繰り返さないよう、1000年後の命を守るために調べた15基を、国土地理院が自然災害伝承碑としてウェブ地図「地理院地図」で公開した。
自然災害伝承碑は過去に発生した津波や洪水、土砂災害などの自然災害の情報を伝える石碑やモニュメントを指す。被災箇所に近い場所に設置される場合が多く、インターネットによる情報発信で発生しやすい自然災害を地域ごとに知るきっかけづくりを目指す。
国土地理院は今後も地方自治体に協力を呼び掛け、情報を定期的に更新。広く発信していくとともに活用方法を提示していく。
「調べた」というわけではないので、若干の誤りがありますが、国土地理院さんで昨年から始まった「自然災害伝承碑」の登録で、「いのちの石碑」もその選に入ったという記事です。
仙台に本社を置く『河北新報』さんも報じています。
自然災害伝承碑、東北の29ヵ所追加 国土地理院がホームページに掲載
国土地理院は、自然災害の記憶を刻んだ石碑などの「自然災害伝承碑」に、青森、岩手、宮城、秋田4県の計29カ所を追加し、ホームページ(HP)の地域防災情報コーナー「地理院地図」に掲載した。
宮城では東日本大震災の教訓を伝える「女川いのちの石碑」など女川町内の16カ所を紹介。岩手県山田町では昭和三陸地震(1933年)で被災した大沢地区の慰霊塔など11カ所を載せた。同地震で被害が出た青森県八戸市の記念碑1カ所と、日本海中部地震(83年)の津波が襲った秋田県三種町の慰霊碑1カ所も加えた。
国土地理院は、昨年3月に伝承碑の地図記号を制定。同6月にはHPに掲載する取り組みを始めた。今回の追加分を含めると、東北6県は計115カ所となった。全国では472カ所。
地理院東北地方測量部の担当者は「掲載数が増えれば、防災教育に役立てる動きもさらに広がる。地域の活動を引き続き後押ししたい」と話す。
国土地理院さんのサイトから。
被災地の子供たちが調べた命を守る記念碑15基を公開【東北地測】
今年3月11日は平成23年(2011)の東日本大震災発生から9年となります。宮城県女川町で被災した当時小学校6年生だった子供たちが、震災直後に入学した中学校で先生と始めた取組である「女川いのちの石碑」のうち15基を、自然災害伝承碑として新たに公開しました。
「女川いのちの石碑」は、宮城県女川町内にこれまで18基が設置されています。現在大学生となった彼ら、彼女らが、自分たちが経験した辛く、悲しい出来事を再び繰り返さないよう、1000年後のいのちを守るために活動し、調べた15基について、女川町から自然災害伝承碑の掲載申請があり、3月1日にウェブ地図「地理院地図」で公開しました。
今回は、全国で41基を公開し、東北地方では、女川町のほかに青森県八戸市1基、岩手県山田町11基、秋田県三種町1基を公開しました。これにより、地理院地図における自然災害伝承碑の公開数は、46都道府県150市区町村の472基となりました。
自然災害伝承碑の掲載は、市区町村の協力のもとに行っています。今後も全国の市区町村に情報提供を引き続き呼びかけ、情報を定期的に更新し、広く発信していくとともに、活用方法を提示していきます。
実際の地図がこちら。
碑のマーク上でクリックすると、内容が表示されます。
さらに碑の画像をクリックすると、詳細情報。
この「自然災害伝承碑」は、一昨年の西日本豪雨の後、被災地に実は100年前にも大水害があったことを示す碑があったにもかかわらず、その存在が忘れられ、被災抑止に役立てられなかったという反省から制定されました。記憶の風化に歯止めを掛けるという意味では、有効な取り組みだと思います。
つい先日除幕された女川町大石原浜の碑も早速登録されています。その除幕の様子、少し遅れて昨日、仙台放送さんのローカルニュースで報じられました。
女川町「いのちの石碑」18基目完成 津波を伝える〈宮城〉
震災の記憶を未来に伝える18基目の「いのちの石碑」が女川町に完成し、3月1日、除幕式が開かれました。
この活動は、女川中学校の卒業生たちが震災の教訓を後世に残そうと町内21の浜に石碑の建立を続けているもので、今回で18基目の完成となります。
3月1日、女川町の大石原浜で行われた除幕式には、卒業生3人や地元住民など、およそ30人が集まり石碑の完成を祝いました。
地元の住民
「石碑を見て津波がきたんだねということで、これから地震・津波があった場合は高台に逃げると、これが1番ですね」
女川中学校卒業生 阿部由季さん
「震災がきたときに1人でも多くの命を守るということが目標なので、石碑を生かして、これからも震災を語り継いでいくようになればいいなと思っています」
最後となる21基目の石碑は、今年完成予定の女川小・中学校に建立されるということです。
碑とともに、その建立に奔走したかつての女川第一中学の生徒たちの功績も、永く語り継がれてほしいものです。
【折々のことば・光太郎】
印象に残った作と特に申し上げたいものは、一つもありません。残らず、朽ち去る可き作品だと感じました。
大正2年(1913) 光太郎31歳
ちなみにこの年の文展には智恵子が油絵三点を応募しましたが、すべて落選。それに対する抗議の意図も有るのかもしれません。