3.11が近づいてきまして、新聞報道やテレビ番組等でも、かなり東日本大震災がらみが多くなっています。

このブログでたびたびご紹介している、宮城県女川町の「いのちの石碑」。昭和6年(1931)、紀行文「三陸廻り」執筆のため光太郎が訪れ、それを記念して平成3年(1991)に建てられた光太郎文学碑を手本とし、設置費用すべてを募金でまかなう計画で進められています。

その「いのちの石碑」も取り上げられるテレビ番組が、本日深夜(正確には明日未明)、放映されます。 

NNNドキュメント東日本大震災9年 約束 ~それぞれの道~

地上波日本テレビ 2020年3月8日(日)  24時55分~25時50分=3月9日(月) 午前0時55分~1時50分
BS日テレ       2020年3月15日(日) 11時00分~11時55分

東日本大震災から9年。被災地では多くの人が懸命に生きている。家族との約束。仲間との約束。故郷への約束。果たしたい約束がある。それは心の支えだ。津波で流された自宅を再建したいと願う老夫婦。震災で家族を失い、1000年後の命を守ろうと中学時代の仲間と石碑の建立に取り組む青年。原発事故で一度はあきらめかけた牧場を復活させ、将来は息子にバトンをつなぎたいと考える男性。岩手・宮城・福島の3局共同制作で送る。

制作 テレビ岩手・ミヤギテレビ・福島中央テレビ
ナレーター 土村芳

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インターネットの「テレビ番組表」的な各サイトでは、上記のような説明で、「女川」や「いのちの石碑」という単語が入っていなかったため、昨日まで気づきませんでした。


昨日、アップされた日テレさんのサイトに詳細情報が出ていて、それで気づいた次第です。

東日本大震災から9年になろうとしている今も、被災地では「故郷で生活に向き合っている人々の本質」に出会える。彼らは、何を信じて、何を夢見て、走り続けてきたのか。「支え」になっているのは、友人との「約束」、家族との「約束」、故郷に誓った「約束」だ。

番組では、岩手・宮城・福島、それぞれで懸命に生きる3組に密着。過去の素材を生かしながら「9年間の歩み」を「被災地の約束」と共に描く。

岩手で密着したのは、「高台に住むまで…」陸前高田・念願の自宅再建した老夫婦の9年。津波で1,700人超の犠牲者を出し、4,000余の家屋が倒壊した陸前高田市。震災から1カ月後、プレハブの仮設住宅に入居する被災者の中に佐々木栄さん(当時80歳)、松子さん(同78歳)夫婦の姿があった。佐々木さん夫婦の自宅は津波で流失。その後、学校の体育館、市内の娘宅等、避難生活を転々としていたが、仮設の入居者募集に申し込んだところ当選。「これからの人生、またやり直しができる」と前向きな栄さん。やがて、趣味の川柳に自らの夢を詠み、部屋の壁に貼るように。そこには「高台に住むまで生きて海を見る」と書かれていた…。
震災から7年、夫婦は市内に完成した災害公営住宅の一室にいた。「どんなに狭くても構わない。早く自分の家に住みたい」。しかし、資金面は大丈夫なのか?そもそも体は持つのか?と弱気になる夫婦。それでも19年7月、ついに、念願の家が再建。最大の課題だった資金も3人の娘が援助を申し出てくれたのだ。だが、ここまで来るのに8年以上の月日が…。現在、栄さん88歳、松子さん86歳。かさ上げ地に人は戻らず、ふるさとはすっかり姿を変えてしまったが、「高台に住むまで生きて海を見る」 という“約束”を果たすことはできた。

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宮城で密着したのは、「夢だけは壊せなかった大震災」女川町20歳青年の誓い。女川町出身の大学生・鈴木智博(20)さんは、小学6年の時に発生した東日本大震災で、母親と祖父母を亡くした。津波で、自宅は全壊し、漁師の父と2人の妹と仮設住宅で暮らしを余儀なくされた。中学生の時に誓ったこと…それは同じ悲しみを繰り返さない震災の教訓を言葉で伝えるだけでなく、形にして残そうとした。
鈴木さんをはじめ、女川中学校の生徒たちは“1,000年後のいのち”を守るために町内21の浜の最大津波到達地点に「いのちの石碑」を建てる活動を始めた。21基建てるのに必要な1千万円は、修学旅行先などで募金を呼びかけて自分たちで集めた。1基目の石碑を建ったのは、13年11月。「夢だけは壊せなかった大震災」 石碑には生徒たちが授業で考えた俳句を刻んだ。震災から9年。鈴木さんの自宅は高台に再建され、自身は仙台で一人暮らしをしながら大学に通っている。ふるさとを離れ、震災の風化を感じることもある。それでも当時の仲間たちと集まり、石碑 を建てる活動、そして、「いのちを守る教科書」を作る活動を続けている。

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福島で密着したのは、牛が元気に育つ村へ…と故郷に誓った父と息子。葛尾村は、一部を除き避難指示が解除されてから3年が過ぎ、帰ってきた住民はわずか約2割で、帰還した人のほとんどが高齢者たち。村は標高が高い阿武隈高地に位置し、酪農や畜産が盛んだったが、原発事故によりほとんどの農家たちが避難を余儀なくされ廃業に。佐久間哲次さん(43)もその1人で、父から受け継いだ大切な牧場で牛130頭を飼育する大規模酪農家だった。
しかし、長期間の避難で牛たちは餓死…。佐久間さんは避難指示が解除された16年に村に戻り、賠償金をほぼ全てをつぎ込み、さらに借金までして、牧場を除染、安全な飼料を確保、牛舎をリニューアルし、酪農を再開させる。それは、長男・亮次くん(14)が「父の跡を継いで酪農家になる」と決めていたからだ。息子の夢を叶えるため、去年は生乳の出荷再開へこぎつけた。亮次くんも3月、父に近づくべく、農業高校への受験に挑む。原発事故で人生を翻ろうされながらも、困難を乗り越える際に垣間見える「絆」や「生きがい」とは。そして、酪農を通して、親子がそれぞれの立場で、自分、家族と交わした『約束』とは…。

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ちなみに同じ「NNNドキュメント」では、平成26年(2014)にも、「3・11大震災 シリーズ 千年後のあなたへ 15歳…いのちの石碑」と題して、「いのちの石碑」を取り上げて下さいました。


もう1件、やはりインターネットの「テレビ番組表」的な各サイトで、「女川」の語が入っていないのですが。 

徳光&木佐の知りたいニッポン!ピックアップ!復興の今と未来 徳光がゆく宮城・岩手

BS TBS 2020年3月14日(土) 13時00分~13時30分

徳光和夫さんと木佐彩子さんがお送りする政府広報番組。今回のテーマは「復興の今と未来 徳光がゆく宮城・岩手」です。


3月7日(土)の放映が「復興のいま 福島で見た“希望と未来”」で、つい先日もお会いした、川内村の遠藤雄幸村長がご出演なさるというので、拝見しました。

すると、「次週予告」で、女川町の須田義明町長のお姿が映り、それで次回は女川か、と気づきました。

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川内村に関しては、遠藤村長のご案内で木佐彩子アナウンサーが、川内小学校さん、村唯一のパン屋さん「BAKERY RIVIÈRE」さん、完全密閉型の植物工場「KiMiDoRi」さんなどを紹介されました。

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というわけで、それぞれぜひご覧下さい。


【折々のことば・光太郎】

二、下谷区 八、たゞ我が信ずる所。 十、砕雨。

アンケート「松籟颯々」全文 明治34年(1901) 光太郎19歳

投稿雑誌『文庫』(内外出版協会)が百号を記念し、上野の韻松亭で投書家の集まり「春期松風会」を催し、その席上、用紙を配付して書いて貰ったアンケートです。

下はその際の集合写真。

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007質問は10項目ありましたが、光太郎は7項目は無視し、3項目だけ回答しました。そこで、回答者79名中、最短の回答でした。「二」は「生地」、「八」は「宗教」、そして「十」は「理想の人物」でした。「砕雨」は、当時、光太郎が使っていた雅号。つまり自分自身の名を上げているわけで、不遜とも言えますが、強い矜恃が見て取れます。光太郎は左上の方。なるほど、生意気そうな面構えです(笑)。

他に、親友だった水野葉舟、歌人の窪田空穂、同じく服部躬治、詩人/仏文学者の吉江孤雁、詩人の伊良子清白、同じく横瀬夜雨、河井酔茗、登山家の小島烏水、画家の一條成美、そして大逆事件の際には幸徳秋水らの弁護を行った平出修なども映っています。


第64回連翹忌――2020年4月2日(木)――にご参加下さる方を募っております。詳細はこちら。新型コロナウイルス対策でイベントの中止等が相次いでおりますが、今後、パンデミック的な事態になってしまった場合は別として、十分に感染防止に留意した上で、今のところ予定通り実施の方向です。

来る4月2日(木)に日比谷松本楼様に於いて予定しておりました第64回連翹忌の集い、昨今の新型コロナウイルス感染防止のため、誠に残念ながら中止とさせていただくことに致しました。