追記 新型コロナウイルス対策のため、本公演は中止となったそうです。
大阪から朗読系の情報です。
ワークショップ
期 日 : 2020年2月21日㈮ 25日㈫ 28日㈮ 3月4日㈬ 7日㈯ 8日㈰ 12日㈭ 14日㈯ 17日㈫
19日㈭ 21日(リハーサル)
会 場 : 枚方市市民会館小ホール
時 間 : 平日19:00~21:00 土曜14:00~16:00 日曜13:00~16:00
料 金 : 無料
資 格 : 市内在住・在職・在学の中学生以上 40人(応募多数の場合は抽選)
練習日程の内最低5日間の稽古とリハーサル・本番に必ず参加できる方
公 演
期 日 : 2020年3月21日(土) 22日(日)
会 場 : メセナひらかた会館多目的ホール 大阪府枚方市新町2-1-5
時 間 : 3/21 夜 3/22 昼
作・構成・演出 : わかぎゑふ
出 演 : うえだひろし(リリパットアーミーⅡ) 内山絢貴(劇団五期会) 辰寿広美
森崎正弘(MousPieceーree) 是常祐美(シバイシマイ)
演目(予定) : 「雨ニモ負ケズ」(宮沢賢治) 「竹」(萩原朔太郎)
「道程」(高村光太郎)ほか
大阪から朗読系の情報です。
「声に出してみる美しい日本語」ワークショップ・公演
大阪を代表する劇作家・演出家で、テレビのコメンテーターやエッセイスト、NHKアニメ「リトルチャロ」の原作者としても知られるわかぎゑふ氏による朗読ワークショップ。舞台で思い切り声を出してみたい人、演劇的体験をしてみたい人の最初の一歩として、取り組みやすい朗読を体験してみませんか。正しい姿勢や、声の出し方、日常生活にも役立つしゃべり方の基礎などを楽しく学び、最後には舞台で発表を行います。本番ではプロの俳優らと同じ舞台に!ぜひご参加ください!!ワークショップ
期 日 : 2020年2月21日㈮ 25日㈫ 28日㈮ 3月4日㈬ 7日㈯ 8日㈰ 12日㈭ 14日㈯ 17日㈫
19日㈭ 21日(リハーサル)
会 場 : 枚方市市民会館小ホール
時 間 : 平日19:00~21:00 土曜14:00~16:00 日曜13:00~16:00
料 金 : 無料
資 格 : 市内在住・在職・在学の中学生以上 40人(応募多数の場合は抽選)
練習日程の内最低5日間の稽古とリハーサル・本番に必ず参加できる方
公 演
期 日 : 2020年3月21日(土) 22日(日)
会 場 : メセナひらかた会館多目的ホール 大阪府枚方市新町2-1-5
時 間 : 3/21 夜 3/22 昼
作・構成・演出 : わかぎゑふ
出 演 : うえだひろし(リリパットアーミーⅡ) 内山絢貴(劇団五期会) 辰寿広美
森崎正弘(MousPieceーree) 是常祐美(シバイシマイ)
演目(予定) : 「雨ニモ負ケズ」(宮沢賢治) 「竹」(萩原朔太郎)
「道程」(高村光太郎)ほか
ワークショップに参加し、その後、プロの皆さんと一緒に公演に臨む、というコンセプトのようです。
ただ、公演の方が時間、料金等、調べてみましたが不明です。わかりましたらまたご紹介します。
【折々のことば・光太郎】
動物園の動物は皆確に動物であつてしかもその動物ではない。駝鳥は駝鳥でなく獅子は獅子でない。
散文「動物園の根本的改造」より 昭和5年(1930) 光太郎48歳
雑誌『文藝春秋』に載った散文です。当時の動物園のあり方を「動物に就て違つた概念を教へこみ、自然を安直に観察させ、事実をいい加減に考へる習癖をつけさせる」と批判しています。
「駝鳥」は、詩「ぼろぼろな駝鳥」(昭和3年=1928)、「獅子」は「傷をなめる獅子」(大正14年=1925)を、それぞれ踏まえています。
ぼろぼろな駝鳥
「駝鳥」は、詩「ぼろぼろな駝鳥」(昭和3年=1928)、「獅子」は「傷をなめる獅子」(大正14年=1925)を、それぞれ踏まえています。
ぼろぼろな駝鳥
何が面白くて駝鳥を飼ふのだ。
動物園の四坪半のぬかるみの中では、
脚が大股過ぎるぢやないか。
頸があんまり長過ぎるぢやないか。
雪の降る国にこれでは羽がぼろぼろ過ぎるぢやないか。
腹がへるから堅パンも食ふだらうが、
駝鳥の眼は遠くばかりみてゐるぢやないか。
身も世もない様に燃えてゐるぢやないか。
瑠璃色の風が今にも吹いて来るのを待ちかまへてゐるぢやないか。
あの小さな素朴な頭が無辺大の夢で逆まいてゐるぢやないか。
これはもう駝鳥ぢやないぢやないか。
人間よ、
もう止せ、こんな事は。
傷をなめる獅子
獅子は傷をなめてゐる。
どこかしらない
ぼうぼうたる
宇宙の底に露出して、
ぎらぎら、ぎらぎら、ぎらぎら、
遠近も無い丹砂(たんしや)の海の片隅、
つんぼのやうな酷熱の
寂寥の空気にまもられ、
子午線下の砦(とりで)、
とつこつたる岩角の上にどさりとねて、
獅子は傷をなめてゐる。
脚が大股過ぎるぢやないか。
頸があんまり長過ぎるぢやないか。
雪の降る国にこれでは羽がぼろぼろ過ぎるぢやないか。
腹がへるから堅パンも食ふだらうが、
駝鳥の眼は遠くばかりみてゐるぢやないか。
身も世もない様に燃えてゐるぢやないか。
瑠璃色の風が今にも吹いて来るのを待ちかまへてゐるぢやないか。
あの小さな素朴な頭が無辺大の夢で逆まいてゐるぢやないか。
これはもう駝鳥ぢやないぢやないか。
人間よ、
もう止せ、こんな事は。
傷をなめる獅子
獅子は傷をなめてゐる。
どこかしらない
ぼうぼうたる
宇宙の底に露出して、
ぎらぎら、ぎらぎら、ぎらぎら、
遠近も無い丹砂(たんしや)の海の片隅、
つんぼのやうな酷熱の
寂寥の空気にまもられ、
子午線下の砦(とりで)、
とつこつたる岩角の上にどさりとねて、
獅子は傷をなめてゐる。
そのたてがみはヤアヱのびん髪、
巨大な額は無数の紋章、
速力そのものの四肢胴体を今は休めて、
静かなリトムに繰返し、繰返し、
美しくも逞しい左の肩をなめてゐる。
獅子はもう忘れてゐる、
人間の執念ぶかい邪智の深さを。
あの極楽鳥のむれ遊ぶ泉のほとり
神の領たる常緑のオアシスに、
水の誘惑を神から盗んで、
きたならしくもそつと仕かけた
卑怯な、黒い、鋼鉄のわなを。
肩にくひこんだ金属の歯を
肉ごともぎりすてた獅子はかう然とした。
憤怒と、侮蔑と、憫笑と、自尊とを含んだ
ただ一こゑの叫は平和な椰子の林を震撼させた。
さうして獅子は百里を走つた。
今はただたのしく傷をなめてゐる。
どこかしらない
ぼうぼうたる
つんぼのやうな孤独の中、
道にはぐれても絶えて懸念の無い
やさしい牝獅子の帰りを待ちながら、
自由と闊歩との外何も知らない、
勇気と潔白との外何も持たない、
未来と光との外何も見ない、
いつでも新らしい、いつでもうぶな魂を
寂寥の空気に時折訪れる
目もはるかな宇宙の薫風にふきさらして、
獅子はをなめてゐる