2本ご紹介します。まず、再放送ですが。
2月6日(木)の本放送、北原白秋や石川啄木には触れられたものの、残念ながら光太郎の名は出ませんでしたが、興味深く拝見しました。お世話になっている明星研究会の松平盟子氏もご出演。
晶子の生涯をひもときながら、その時々の「病」を「診断」。まずは……
妻子ある寛(鉄幹)との道ならぬ恋について。光太郎智恵子につながる部分もあるな、と思いながら観ていました。
結婚後、しばらく経つと、寛の方が……
『みだれ髪』で時代の寵児となった晶子に対し、古くさいと言われるようになった寛。これも立場を変えると光太郎に対する智恵子の苦悩にも似ているように感じました。
そして晶子も……
これまた智恵子にもあてはまるような。「感情を表に出すのが苦手」という部分はもろにそうでしたし、光太郎の彫刻制作を優先させるため、自分の油絵制作の時間を削っていたエピソードは「いい妻」であろうとしたということに思えます。次の「仕事や家事に手が抜けない」。油絵は完璧な作を目指し、結局、うまくいかずに完成させることができなくなってしまった智恵子。家事の部分では、それを放棄して1年のうち数ヶ月は福島の実家に帰っていたこともありました。そう考えると、自分の油絵制作の時間を削ってまで率先して家事に取り組んだ時と、大きな振幅がありますね。それがそのまま智恵子の心理状態のアンバランスさを表しているような……。
そして「弱音」。有名な「あどけない話」(昭和3年=1928)の一節「東京に空が無い」「ほんとの空が見たい」「阿多多羅山(あたたらやま)の山の上に/毎日出てゐる青い空が/智恵子のほんとの空だ」あたりは、智恵子の遠回しの「弱音」だったように思われます。それを光太郎がどの程度、理解していたのか……。
しかし、寛と晶子、こちらは智恵子のように心の病となることはありませんでした。その契機となったのは……
不安定になった寛をパリへと送り出し、のちに自らもその後を追った晶子。帰国後も、国内各地に旅を重ねることで、夫婦の絆が再構築されたというのです。
たしかに光太郎智恵子も、与謝野夫妻のようにしていれば、また違った結末になったでしょう。
そして寛に先立たれ、自らも死の床についた晶子。
ここでも昭和13年(1938)、南品川ゼームス坂病院で、「昔山巓(さんてん)でしたやうな深呼吸を一つ」(昭和14年=1939 「レモン哀歌」)し、その生を終えた智恵子の姿がダブりました。しかし、晶子は数え65歳でそれなりに幸福な天寿を全うし、智恵子は同じく53歳で「七年の狂気は死んで終つた」(昭和15年=1940 「梅酒」)。ある意味、対照的でもあります。
というわけで、「偉人たちの健康診断」、与謝野夫妻専門の方に言わせれば突っ込みどころがいろいろあるのでしょうが、そうでもない当方、興味深く拝見しました。見逃した方、ぜひ再放送をご覧下さい。
テレビ放映情報ということになりますと、もう1件。
昨秋から断続的に放映されている5分間番組です。
東京オリンピックの聖火リレー、青森県内では十和田湖畔の観光交流センター「ぷらっと」から、光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」までもコースに入っています。まぁ、5分間番組ですし、サブタイトルが「ねぷた」ですので、十和田湖がどの程度紹介されるか、というところですが、ぜひご覧下さい。ちなみに2月12日(水)24:00~(=2月13日(木)午前0時00分~)は岩手編だそうです。
【折々のことば・光太郎】
通俗的に云つて「職人気質」と云つた気風を極度に持つてゐたやうで、その気分からの潔白さが父の人格に漲つて居るやうに思ひます。今の芸術家に見出せないやうな神経質な潔白さです。
偉人たちの健康診断「与謝野晶子 悩める乙女と恋の病」
NHK BSプレミアム 2020年2月13日(木) 8:00~9:00
自らの恋心を赤裸々に官能的につづり、世間を騒がせた歌人・与謝野晶子。その素顔は引っ込み思案で内気な文学少女だった。何が晶子を「情熱の歌人」に変貌させたのか?それは晶子を襲った深刻な病…「恋の病」だった。恋は人の脳にどのような影響を与えるのか?脳科学と心理学から恋の病の症状を診断。さらに鉄幹と結婚後、破綻の危機に直面した夫婦関係を劇的に改善した晶子の秘策にも迫る。愛に生きた人生を健康面から読み解く。
【出演】関根勤 カンニング竹山 光浦靖子 【解説】森下明穂 植田美津恵 【司会】渡邊あゆみ
2月6日(木)の本放送、北原白秋や石川啄木には触れられたものの、残念ながら光太郎の名は出ませんでしたが、興味深く拝見しました。お世話になっている明星研究会の松平盟子氏もご出演。
晶子の生涯をひもときながら、その時々の「病」を「診断」。まずは……
妻子ある寛(鉄幹)との道ならぬ恋について。光太郎智恵子につながる部分もあるな、と思いながら観ていました。
結婚後、しばらく経つと、寛の方が……
『みだれ髪』で時代の寵児となった晶子に対し、古くさいと言われるようになった寛。これも立場を変えると光太郎に対する智恵子の苦悩にも似ているように感じました。
そして晶子も……
これまた智恵子にもあてはまるような。「感情を表に出すのが苦手」という部分はもろにそうでしたし、光太郎の彫刻制作を優先させるため、自分の油絵制作の時間を削っていたエピソードは「いい妻」であろうとしたということに思えます。次の「仕事や家事に手が抜けない」。油絵は完璧な作を目指し、結局、うまくいかずに完成させることができなくなってしまった智恵子。家事の部分では、それを放棄して1年のうち数ヶ月は福島の実家に帰っていたこともありました。そう考えると、自分の油絵制作の時間を削ってまで率先して家事に取り組んだ時と、大きな振幅がありますね。それがそのまま智恵子の心理状態のアンバランスさを表しているような……。
そして「弱音」。有名な「あどけない話」(昭和3年=1928)の一節「東京に空が無い」「ほんとの空が見たい」「阿多多羅山(あたたらやま)の山の上に/毎日出てゐる青い空が/智恵子のほんとの空だ」あたりは、智恵子の遠回しの「弱音」だったように思われます。それを光太郎がどの程度、理解していたのか……。
しかし、寛と晶子、こちらは智恵子のように心の病となることはありませんでした。その契機となったのは……
不安定になった寛をパリへと送り出し、のちに自らもその後を追った晶子。帰国後も、国内各地に旅を重ねることで、夫婦の絆が再構築されたというのです。
たしかに光太郎智恵子も、与謝野夫妻のようにしていれば、また違った結末になったでしょう。
そして寛に先立たれ、自らも死の床についた晶子。
ここでも昭和13年(1938)、南品川ゼームス坂病院で、「昔山巓(さんてん)でしたやうな深呼吸を一つ」(昭和14年=1939 「レモン哀歌」)し、その生を終えた智恵子の姿がダブりました。しかし、晶子は数え65歳でそれなりに幸福な天寿を全うし、智恵子は同じく53歳で「七年の狂気は死んで終つた」(昭和15年=1940 「梅酒」)。ある意味、対照的でもあります。
というわけで、「偉人たちの健康診断」、与謝野夫妻専門の方に言わせれば突っ込みどころがいろいろあるのでしょうが、そうでもない当方、興味深く拝見しました。見逃した方、ぜひ再放送をご覧下さい。
テレビ放映情報ということになりますと、もう1件。
聖火ロード5min.「青森 巨大ねぷたでリレーを彩る!」
NHK BS1 2020年2月10日(月)24時00分~24時05分=2月11日(火)午前0時00分~0時05分
3 月 26 日、福島県をスタートする“東京 2020 オリンピック聖火リレー”。121 日間をかけて全国 857市区町村を巡る。聖火が駆け抜ける地域は、各地を代表する魅力あふれる場所。歴史あふれる街道や、地域の営みを感じる街並み…。そんな地域色豊かな“聖火ロード”を、聖火を迎える各地の動きとともに、47都道府県ごとに5分間で紹介。
スタートは弘前城▽東北で唯一の江戸時代から残る天守閣▽ブナの原生林が広がる白神山地の玄関口の西目屋村も▽五所川原では立佞武多の館で歓迎式典▽高校生もお囃子でお出迎え▽さらに十和田湖湖畔を巡り▽八戸市館鼻漁港の朝市にも!
出演 泉浩 語り 満仲由紀子
昨秋から断続的に放映されている5分間番組です。
東京オリンピックの聖火リレー、青森県内では十和田湖畔の観光交流センター「ぷらっと」から、光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」までもコースに入っています。まぁ、5分間番組ですし、サブタイトルが「ねぷた」ですので、十和田湖がどの程度紹介されるか、というところですが、ぜひご覧下さい。ちなみに2月12日(水)24:00~(=2月13日(木)午前0時00分~)は岩手編だそうです。
【折々のことば・光太郎】
通俗的に云つて「職人気質」と云つた気風を極度に持つてゐたやうで、その気分からの潔白さが父の人格に漲つて居るやうに思ひます。今の芸術家に見出せないやうな神経質な潔白さです。
談話筆記「恵まれたる優生遺伝の名家」より
大正11年(1922) 光太郎40歳
大正11年(1922) 光太郎40歳
光太郎、作品の芸術性といった点に於いてはあまり高い評価ができないと感じていた父・光雲に対し、その人格という部分ではこのように捉えていました。