過日のこのブログにおいて、『朝日新聞』さんの記事からご紹介した件、仙台放送さんのローカルニュースでも取り上げられましたので、ご紹介します。

宮城県女川町の「いのちの石碑」――東日本大震災の津波に呑まれて亡くなった故・貝(佐々木)廣氏が中心となって、昭和6年(1931)に光太郎が訪れたことを記念して建てられた光太郎文学碑(平成3年=1991建立)の魂を受け継ぎ、宮城県女川町内に「千年後のいのちを守るために」と建てられ続けているものです。 

女川町「いのちの石碑」 震災から9年目、最後の1基の完成を目指す〈宮城〉

宮城、岩手、福島の被災3県のいまをお伝えする「明日への羅針盤」。今回のテーマは「今年にかける」です。女川町の「いのちの石碑」の取り組みを紹介します。震災後、「1000年後のいのちを守る」を合言葉に当時中学生の生徒たちが町内の全ての浜に津波到達点の目印となる「いのちの石碑」を建てる活動をしています。今年で8年目となりました。
宮城県女川町。
漁業で栄えた港町も東日本大震災の津波で大きな被害を受けました。
町の人口の1割にあたる827人が犠牲に、およそ9割の家屋が被害を受けました。
海が見える高台に「1000年後のいのちを守る」と刻まれた石碑があります。

石碑の俳句
「忘れない この悲しみを 苦しさを」

震災の記憶を未来に残すため俳句とともに津波への対策などが記されています。

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石碑を建てたのは、当時、女川中学校に通っていた生徒たちです。

女川中学校の生徒 (2012年)
「1000年後の人たちの命を救うために、私たちの活動は必要だと思う」

夢だけは壊せなかった大震災。
自分たちが味わったあの悲しみ、苦しみを他の人に味わわせたくない。
石碑を建てるという夢に向かって生徒たちはまっすぐ進みます。

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そんな子供たちの姿に先生も手を差し伸べます。
阿部一彦先生 (2012年11月)
「1000年後まで残しましょう。ここで中途半端にしてはだめだ。大人に訴えましょう。伝わるはず。絶対!」
建設にかかる費用1000万円は募金で集めました。

「ありがとうございます」

募金はおよそ半年で集まり、震災から2年半が経ったころ、1基目の石碑が完成しました。

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女川中学校3年生(当時) 鈴木智博さん (2013年)
「うれしいです、やっと形になったのでいろんな人に見てもらいたいですね。震災があったということを知ってもらえればいい」

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震災から8年10ヵ月。
今では17基が建設されています。
この日は、月1回の活動報告の日です。

渡邊滉大さん(21)
「最終的な到達地点は“防災が当たり前に”。例えばご飯を当たり前に食べる。寝るときは寝る。それが当たり前にできる状況を作り上げて、最終的には防災が空気のように当たり前のような存在になってほしい」

鈴木智博さん(20)
「まだ学生だから時間に余裕がある。これからみんな就職とかして全国ばらばらになると自分の時間が少なくなる。みんなで協力していきたいというのが課題」
震災の経験、活動に対する葛藤。
防災への想いを語りました。
中学生だった子供たちも今では大学生や社会人。
鈴木智博さん(20)
「中学生の時から石碑を立てることを自分たちで計画していて、最後の1基が今年建つということは、自分の中で区切り。石碑は100円募金で建てたので、本当にいろんな人から協力を貰って建てた石碑なので、町内に限らず、支援してくれた人に『良かったね』と声をかけてもらえるような石碑になればいいと思う」

震災から9年目となる今年。最後の1基の完成を目指します。
石碑を立てる活動は今年一つの区切りを迎えますが、1000年後の未来のいのちを守る活動はこれからも続いていきます。


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彼らの未来に幸あれ、と祈念せざるを得ませんね。そして女川町の復興がさらに進むことも切に望みます。


【折々のことば・光太郎】

幼穉なのは困る事だが恐る可き事ではない。恥かしい事ではない。それよりも恐ろしく恥かしいのは正直な心を一瞬でも失ふ事だ。裸のまゝの心を知らずに曇らす事だ。雑念にとらはれる事だ。本源から離れる事だ。

散文「書簡――『智慧』に――」より 大正7年(1918) 光太郎35歳

『智慧』は、親友の水野葉舟、落合直史とともに刊行した個人雑誌です。残念ながら創刊号で終わってしまったようです。

「いのちの石碑」、はじめに上記の若者達が中学生だった頃、光太郎文学碑に倣って費用1,000万円を100円募金で集める、と言った時、「幼稚な思いつきだ、無理に決まっている」と鼻で笑った大人がいるやにも聞きました。しかし、ふたを開けてみれば半年余りで1,000万円が集まったそうで、当時の中学生達が「正直な心」、「裸のまゝの心」で、「雑念にとらはれる事」や「本源から離れる事」なく、頑張ったからだと思います。