『朝日新聞』さん。
小林みどりさん死去
小林みどりさん(こばやし・みどり=元俳優、俳優・歌手小林旭さんの妻)12日、肺がんで死去、84歳。通夜は22日午後6時、葬儀は23日午前10時から東京都品川区西五反田5の32の20の桐ケ谷斎場で。喪主は夫旭さん。52年に青山京子の名でデビューし、「潮騒」(54年)など多くの映画に出演した。67年の結婚を機に引退した。
『共同通信』さん。
元俳優の青山京子さんが死去 小林旭さんの妻
歌手で俳優の小林旭さんの妻で、1950~60年代に映画で活躍した元俳優の青山京子(あおやま・きょうこ、本名小林みどり=こばやし・みどり)さんが12日午後6時45分、肺がんのため東京都内の病院で死去した。84歳。東京都出身。葬儀・告別式は23日午前10時から東京都品川区西五反田5の32の20、桐ケ谷斎場で。喪主は夫旭(あきら)さん。
52年に映画「思春期」でデビュー。谷口千吉監督の映画「潮騒」(54年)でヒロインを演じるなど約70本の映画に出演した。67年に旭さんと結婚し、引退した。
『スポーツ報知』さん。
小林旭の妻、元女優の青山京子さんが肺がんで死去 享年84
俳優で歌手の小林旭(81)の妻で、元女優の青山京子さんが12日午後6時45分、肺がんで死去したことが16日、発表された。84歳だった。
東京・世田谷区出身の青山さんは1952年の映画「思春期」(丸山誠治監督)でデビューし、代表作は54年の映画「潮騒」(谷口千吉監督)。52年から58年まで東宝に在籍し、その後フリーに。東宝時代に約50本、その後の出演を含めると約70本の映画に出演。64年の映画「忍び大名」(佐々木康監督)が最後の出演作となった。67年に小林と結婚し、引退した。
日活によると、通夜は22日、告別式は23日に、ともに東京・品川区西五反田の桐ケ谷斎場で営まれる。
芸名の「青山さん」で記述させていただきます。青山さん、光太郎が歿した翌年の昭和32年(1957)に公開された東宝映画「智恵子抄」(熊谷久虎監督)にも出演されていました。智恵子役は故・原節子さん、光太郎役は故・山村聰さん、青山さんは、智恵子の姪にして、看護師の資格を持ち、その最期を看取った長沼春子の役でのご出演でした。ただ、当時は春子がまだ存命だったこともあり、役名は「秋子」となっていましたが。
今年1月2日(木)のこのブログで、青山さんにも触れたばかりですので、驚いております。
「秋子」の登場は、主に物語後半。智恵子が心を病み、そして南品川ゼームス坂病院で歿するという、とかく暗くなりがちな展開の中で、青山さんの若々しい、清新なご様子が、その暗さの中で、救いのように明るさをもたらしていました。
右上の画像もそうですが、当方、東宝映画「智恵子抄」のスチール写真などもをこつこつ集めておりまして、その中の何枚かに青山さんのお姿が。
破産したという報を受け、智恵子が二本松の実家に駆けつけたシーン。中央は智恵子の母・セン(役名は「けい」、故・三好栄子さん)。
九十九里浜でのシーン。ただし、実際の春子は九十九里浜では智恵子の付き添いには当たっていませんでした。このあたりは史実と異なります。
ゼームス坂病院でのシーン。
そして、智恵子昇天のシーン。
ところで、青山さんが亡くなったのは、何とまあ、当会顧問・北川太一先生と同じ、1月12日(日)だそうで、奇縁を感じます。
謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
【折々のことば・光太郎】
真情によつて書かれた此書は多くの人を啓発する事と信じます。
今日から、一泊二日で花巻に行って参ります。大沢温泉さんをベースに、市内5つの文化施設が「令和元年度共同企画展 ぐるっと花巻再発見!~イーハトーブの先人たち~」を統一テーマに行っている企画展示のうち、花巻高村光太郎記念館さんの「光太郎からの手紙」、花巻市総合文化財センターさんで「ぶどう作りにかけた人々」を、それぞれ拝見して参ります。