本日午後6時から、当会顧問にして、生前の光太郎に親炙された、北川太一先生のお通夜が、文京区向丘の浄心寺さんにて行われます。ご葬儀は明日です。一昨日、昨日と、その関連の内容でこのブログを書きましたが、そうしている間にも、注文しておいた光太郎がらみの記事が載った雑誌が届いたり、光太郎にも関わる新たなニュースが出たり、今年行われる光太郎に関する某美術館さんの企画展示に関する連絡のメールが来たりと、世間は普通に動いています。

「僕のことはいいから、そのあたりを紹介しなさい。あなたはあなたの仕事をするように」と、北川先生のお声が聞こえてくるようで、そうさせていただきます。お通夜、ご葬儀については、終わりましてから、また。

さて、注文しておいた雑誌。 

月刊致知 2020年2月号

2020年1月1日(水) 致知出版社 定価1,100円


存じ上げない方ですが、国際コミュニオン学会名誉会長・鈴木秀子氏という方が、「人生を照らす言葉」と題する連載で、光太郎詩「道程」(大正3年=1914)を取り上げて下さっています。

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他に、三好達治の「雪」、永井荷風のこれもまた「雪」、それから堀口大学の「葦」という詩も紹介され、最後の締めに「道程」です。

鈴木氏曰く

人それぞれいろいろな生き方があるにせよ、その後ろでは大きな力が働いて見守ってくれている。そして進むべき道を整えてくれている。そういう存在に深い信頼を置いて力強く人生を歩んでいけたら、こんなに安心な事はありません。

なるほど。

見守ってくれ、道を教えてくれる大きな力、亡くなった北川先生にとっては、ご自身が親炙された光太郎がそうだったのでしょう。光太郎が亡くなってから生まれた当方は、光太郎自身というより、北川先生がそういう存在だなのだと、勝手に思い定めております。

さて、『月刊致知』さん。正規ルートで入手しようとすると、定期購読せねばなりません。そこで当方、いつもの闇ルート(笑)。ネットオークションで手に入れました。ご参考までに。


【折々のことば・光太郎】

此人が自己の魂から遊離した詩を決して書かない詩人だといふ事を感じました。
散文「田中清一詩集『永遠への思慕』読後感」より
大正14年(1925) 光太郎43歳

基本的に、光太郎自身もそうでした。戦時の熱に浮かされた如き空虚な翼賛詩オンパレードの時期を除いて、ですが。

田中清一は明治33年(1900)生まれの詩人です。自身で詩神社という出版社も経営していました。