末盛千枝子さん。光太郎に私淑した彫刻家・舟越保武の息女にして、絵本作家・編集者としてご活躍。その活動を通じ、上皇后・美智子様とご親交がおありです。
「千枝子」というお名前は、光太郎が名付け親。「女の子の名前は「チエコ」しか思い浮かばない。だが、智恵子のような不幸な一生を送らないよう、字は変えましょう」とのことで。末盛さん、そうした経緯や、のちに光太郎と会った際の思い出などを、平成25年(2013)、代官山で開催された「読書会 少女は本を読んで大人になる 高村光太郎『智恵子抄』」や、翌年の第57回花巻高村祭での記念講演などでご披露されました。
また、読書会の記録集『少女は本を読んで大人になる』、単独のご著書『「私」を受け容れて生きる―父と母の娘―』でも、そのあたりに触れられています。
さて、その末盛さんの講演会、愛知県で行われます。
末盛さんは彫刻家の娘として生まれ、高村光太郎に「千枝子」と名付けられたことからも、輝かしい人生をお持ちのように思いますが、作家の中江有里さんが「朝ドラのヒロインのような人生」とおっしゃるように波乱万丈に満ちています。
「本は子どもにとっても、大人にとっても、もちろん老人にとっても、さまざまな意味で、美しい宝の山だと思います」(『人生に大切なことはすべて絵本から教わった』末盛千枝子著 本文より)
出版という仕事を通じて、人間の生き方の本当の美しさを伝えようとした末盛千枝子さんをお招きして、宝物のような絵本の数々と素晴らしい人々との出会いを語っていただきます。
白樺八靑さんの朗読コンサートでは、すえもりブックスの絵本の世界へ!ご一緒に楽しみましょう。
末盛さんのご講演は各地でよく開催されているようですが、案内に光太郎の名が入ったのは久しぶりではないでしょうか。光太郎に関するお話も出るものと思われます。
ご都合の付く方、ぜひどうぞ。
【折々のことば・光太郎】
志賀直哉氏は私の遠くから景仰してゐる数少い芸術家の一人です。不思議に純粋な日本の伝統を内に持ちながら常に新鮮な方と思ひます。この位本気な魂を日本の文芸界はあまり沢山有たないやうです。
「千枝子」というお名前は、光太郎が名付け親。「女の子の名前は「チエコ」しか思い浮かばない。だが、智恵子のような不幸な一生を送らないよう、字は変えましょう」とのことで。末盛さん、そうした経緯や、のちに光太郎と会った際の思い出などを、平成25年(2013)、代官山で開催された「読書会 少女は本を読んで大人になる 高村光太郎『智恵子抄』」や、翌年の第57回花巻高村祭での記念講演などでご披露されました。
また、読書会の記録集『少女は本を読んで大人になる』、単独のご著書『「私」を受け容れて生きる―父と母の娘―』でも、そのあたりに触れられています。
さて、その末盛さんの講演会、愛知県で行われます。
朗読コンサート&講演会「人生に大切なことはすべて絵本から教わった」
期 日 : 2020年1月25日(土)
会 場 : ウィルホール(愛知県女性総合センターウィルあいち 4階)
名古屋市東区上堅杉町1番地
時 間 : 午後1:30~
料 金 : 1,000円
[第1部] 白樺八靑朗読コンサート
朗 読:白樺八靑(ボイスパフォーマー、ことばのまなびや主宰)
ピアノ:木須康一
[第2部] 末盛千枝子講演会「人生に大切なことはすべて絵本から教わった」
講 師:末盛千枝子(3.11絵本プロジェクトいわて代表)
【チケット購入・問い合わせ】
あいち女性連携フォーラム(事務局:(公財)あいち男女共同参画財団・企画協働課)
TEL 052-962-2512 FAX 052-962-2477
末盛さんは彫刻家の娘として生まれ、高村光太郎に「千枝子」と名付けられたことからも、輝かしい人生をお持ちのように思いますが、作家の中江有里さんが「朝ドラのヒロインのような人生」とおっしゃるように波乱万丈に満ちています。
「本は子どもにとっても、大人にとっても、もちろん老人にとっても、さまざまな意味で、美しい宝の山だと思います」(『人生に大切なことはすべて絵本から教わった』末盛千枝子著 本文より)
出版という仕事を通じて、人間の生き方の本当の美しさを伝えようとした末盛千枝子さんをお招きして、宝物のような絵本の数々と素晴らしい人々との出会いを語っていただきます。
白樺八靑さんの朗読コンサートでは、すえもりブックスの絵本の世界へ!ご一緒に楽しみましょう。
末盛さんのご講演は各地でよく開催されているようですが、案内に光太郎の名が入ったのは久しぶりではないでしょうか。光太郎に関するお話も出るものと思われます。
ご都合の付く方、ぜひどうぞ。
【折々のことば・光太郎】
志賀直哉氏は私の遠くから景仰してゐる数少い芸術家の一人です。不思議に純粋な日本の伝統を内に持ちながら常に新鮮な方と思ひます。この位本気な魂を日本の文芸界はあまり沢山有たないやうです。
散文「志賀直哉氏」より 大正15年(1926) 光太郎44歳
志賀直哉は光太郎と同年、明治16年(1883)生まれです。『白樺』の活動で光太郎と交流がありましたが、同じ白樺派でも、有島兄弟や武者小路ほどには光太郎との距離は近くなかったようです。ただ、書簡のやりとり等はあった可能性が高いのですが、しかし、光太郎から志賀宛の書簡は現存が確認できていません。情報をお持ちの方はご教示いただければ幸いです。