季節外れの冷やし中華ではありませんが(笑)、フェイスブックを始めました。

少し前にも書きましたが、このブログ、平成24年(2012)にヤフーブログとしてスタート。ところがヤフーさんが12月でブログサービスを終了するということで、投稿は8月いっぱいで締め切り。そこで8月中にライブドアさんに移転しました。いくつか他の移転先候補もあったのですが、機能的にライブドアさんが使いやすそう(ヤフーさんで出来ていたことがやはり出来そう)、サーバー的に重くない(ある大手のブログは重くて重くてなかなかつながりません)などの理由から、ライブドアさんを選びました。

その予想通り、ブログを書くぶんにはあまり不自由を感じず、スムーズに移行できたかなと思っております。

ところが、悩みの種は訪問者数。ヤフーさんが訪問者数を表示していた頃は、だいたい1日に百数十人の方が訪れて下さっていました。ごくたまに100を切って2桁となることがあり、「あれま」という状況でした。しかし、移転後は2桁(それも前半)があたりまえ、たしか、3桁行った日はなかったんじゃないかと記憶しています。昨日もそうでしたが、1桁という日もありました。

気になって、アクセス数解析のページを見てみましたところ、今月を含め、3ヶ月分しか表示されませんでしたが、11月、12月とも惨憺たる状況でした。


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上記が11月、下記が12月です。それぞれ下の方の黄色い線が訪問者数(UU)、赤い線(PV)は閲覧数ということで、「のべ」でのカウントのようです。10人の方のご訪問があり、記事を5件ずつ閲覧して下さったら50件、という意味だと思われます。

古い記事に関しては、12月まではヤフーさんにブログが残っていましたので、そちらでの閲覧が多いのだろうと思っておりました。実際、そうだったんだと思います。ただ、ヤフーさん、10月頃には訪問者数の表示機能が無くなり、はっきりわかりませんが。

で、ヤフーさんからブログが削除された後は、こちらの訪問者数が増えるだろうとたかをくくっていましたが、逆にどんどん減っています。ヤフーさんのブログには、最後の投稿としてこちらのURLを貼り付けておいたため、それを見てこちらに入って下さった方がいらしたようで、それが無くなったため、減ったように感じました。

それから、検索エンジン。グーグルさんなどで「高村光太郎連翹忌運営委員会」で検索しても、こちらのトップページが表示されません。さらに、キーワード検索で「高村光太郎」+「○○」。ヤフーさんのブログが健在の頃はそれでバンバン引っかかり、「○○について調べている者ですが、光太郎と○○についてもう少し詳しく教えて下さい」と、コメントやメールがきたものですが、移転後はそういうこともほとんどありません。検索ワード「高村光太郎」+「○○」でライブドアさんのブログが表示されないようで(無くなってしまったヤフーさんのブログがいまだに色々表示されます)。

長々書きましたが、そういうわけで、発信している情報が伝わらないことに危機感を抱いております。

そこで、フェイスブック。これまでは必要性をあまり感じていなかったため手を付けていなかったのですが、こちらのブログの更新などの情報を発信し、少しでも訪問者数増加につなげようという魂胆です(笑)。

実際、始めて見ると、「知り合いかも」という欄に見知ったお名前がずらり。やはり「ブログ」というとなかなか面倒でやっていないという方も、フェイスブックなら手軽なので、というケースが多いようですね。そこで、何人かの方にこちらから「友達」申請をしましたら受けて下さいましたし、逆に当方の名を見つけた方から、「友達」申請がありました。そんなこんなで輪を広げようと思っております。

今後はツィッター、インスタグラムなどにも手を広げようかと考えていますが、まぁ、あせらずにやっていこうと思っております。

ただ、フェイスブックもまだその機能をしっかり把握しきれていませんので、もしかするといろいろ失礼の段があるかもしれません。よろしくご寛恕の程。


【折々のことば・光太郎】

誰でも毎日為てゐる事、経験してゐる事がこんなに詩であり得るのだといふ事に気がつけばほんとにさうだと思はない人はないでせう。さういふ事は喜びです。
散文「矢野克子詩集『太洋ノ母』読後感」より 昭和18年(1943)

矢野は明治38年(1905)生まれの詩人。昨日ご紹介した伊波南哲同様、沖縄出身です。

2年後の昭和20年(1945)には、光太郎、「琉球決戦」というトンデモ詩を『朝日新聞』に発表するのですが、もしかするとその脳裏には伊波や矢野の顔が浮かんでいたかも知れません。