元日の『中日新聞』さん。一面コラムで、当会の祖・草野心平に触れて下さいました。 

中日春秋

 冷たい風に葉を落とされた木々も近づいてみれば、新たな芽が001枝先に生まれていて生命の気が伝わる。冬芽の時節である。柔毛に覆われたモクレン、丸みを帯びたハナミズキ…。花の姿を思ってながめるのは季節のちょっとした楽しみでもある
▼あけましておめでとうございます。俗説に「めでたい」の語源は「芽出たし」といわれ、「芽出度(めでた)し」などと当てられてきた。寒さの中でその身を小さく、固くしつつ、花や葉となるのを待つ冬芽は、一年の吉事を願う正月の「めでたさ」に通じていようか
▼人の営みは、相変わらず先行きおぼつかないけれど、めでたさをいつにも増して覚えるのは五輪という花を咲かせる冬芽がそこにあるからであろう。東京五輪とパラリンピックが迫っている
▼「勇気と夢と青春の年」。前回の東京五輪があった年、元日の新聞に詩人草野心平が、そう題した詩を寄せている。<新鮮で若いエネルギーがこの秋/極東の島に集ってくる…よき哉(かな)/一九六四年>。青春期のまっただ中にある若い国の熱が伝わる
▼再び東京に五輪を迎える日本は青春期をとうに過ぎ、枯れたと思える時季も経験している。どんな花になるだろうか。派手でおおぶりでなくても、よきかなと後々笑顔で語り継げる大会になればいい
▼<真直(まっす)ぐに行けと冬芽の挙(こぞ)りけり>金箱戈止夫。冬芽の成長を思う二度目の青春の年である。


オリンピックイヤーということで、各種マスコミ、やはり五輪関連の話題が目立ちます。「派手でおおぶりでなくても、よきかなと後々笑顔で語り継げる大会になればいい」そのとおりですね。

ちなみに最初に触れられているハナミズキ。自宅兼事務所の庭ではこんな感じです。キノコではありません(笑)。

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モクレンは自宅兼事務所には植えていませんで、代わりに……。

当会の象徴、連翹(レンギョウ)。元々、光太郎終焉の地、中野アトリエの庭に咲き、光太郎がそれを愛(め)で(ちなみに「中日春秋」子さん、俗説ということで「めでたし」=「芽出たし」説を紹介されていますが、俗説ではない一般的な解釈は古語の「愛でたし」が由来です)、昭和31年(1956)の葬儀には棺の上に置かれたコップに一枝が挿された、その連翹から株分けしたものです。

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その際に、弔辞として詩の朗読をしたのが、やはり心平でした。

こちらはミモザ。近々花が咲き始めます。

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桜も芽がふくらんできました。

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春遠からじ、ですね。

春になる頃、第64回連翹忌(4月2日(木))のご案内を致します。よろしくお願い申し上げます。


【折々のことば・光太郎】

この些かの飾り気をも持たぬ詩人の心が、同じく妻を失つた悲しみのまだ消えやらぬ私の心をうつ。悲しみが深められながら又清められる。これが詩の微妙なはたらきである。

散文「伊波南哲詩集『麗しき国土』序」より
 昭和17年(1942) 光太郎60歳


伊波は石垣島出身の詩人。『麗しき国土』は、基本、翼賛詩集ですが、光太郎同様、妻に先立たれ、亡き妻への思いを謳った詩篇も含まれるため、このような一節が含まれています。

逆に言うと、伊波は『智恵子抄』を念頭に置いていたのではないでしょうか。


さらに言うなら、上記光太郎葬儀で詩を朗読した心平も、「悲しみが深められながら又清められる。これが詩の微妙なはたらきである」的なことを考えていたような気がします。