というわけで、新年となりました。改めましてあけましておめでとうございます。

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上記は今年の年賀状。画像は明治29年(1896)、光太郎数え14歳の作になる木彫レリーフです。毛並みの表現の仕方など、父・光雲作の重要文化財「老猿」を思わせる見事な出来ですね。

この年、光太郎は3月に下谷高等小学校を卒業、東京美術学校の予備校として卒業生が作った共立美術学館に編入、旧制中学の課程を学びました。翌年には美校に進んでいます。まさしく「栴檀は双葉より芳し」ですね。


今年も光太郎智恵子、光雲やそれぞれの周辺人物等につき、さまざまな情報をお届けするつもりで居ります。よろしくお願い申し上げます。


【折々のことば・光太郎】

かういふ詩人が教壇にたてばなるほど教室は明るいであらう。かういふ詩人に育てられた子供等は、幸であると思はずには居られない。

散文「実にめづらしい詩集だ――小野忠孝詩集
『日本の教室は明るい』――」より
昭和16年(1941) 光太郎59歳

小野忠孝(のちに「おの・ちゅうこう」と仮名書きにペンネームを改名)は、明治41年(1908)生まれの詩人・児童文学者です。地元・群馬や、上京して大森の小学校で教壇に立ちつつ、詩作に励みました。

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本年の皆様方にも、「幸」あれと念じつつ。