この一年を振り返る企画の最後となります。今日は10月から今月のできごとです。詳細は各項のリンクをご参照下さい。毎日書いていますが、主なものに限らせていただきます。書籍等の発行日は奥付の記述に典拠し、実際の発売日とは異なる場合があります。
まず、昨日、書き忘れました9月分の追補を。
9月20日(金)
文治堂書店さんからPR冊子『トンボの眼玉』№9が刊行されました。今年4月に刊行された当会顧問・北川太一先生の『光太郎ルーツそして吉本隆明ほか』の宣伝になっています。『高村光太郎の戦後』を青土社さんから上梓された中村稔氏、吉本に詳しい評論家の久保隆氏、同じく芹沢俊介氏の玉稿、そして拙稿「『高村光太郎全集』未収録作品集成」が掲載されています。
9月23日(月)~12月17日(火)
栃木県佐野市にある佐野東石美術館さんで第4回「森の交響曲(シンフォニー)」展が開催され、光雲木彫「牧童」が展示されました。
さて、10月以降に入ります。
10月3日(木)・4日(金)
ホテルメトロポリタン長野さん及び信州善光寺さんで「第14回善光寺サミット」が開催されました。光雲とその高弟・米原雲海による仁王像開眼100周年を記念し、田中修二氏(大分大学教授)、藤曲隆哉氏(東京藝術大学大学院非常勤講師)による記念講演『善光寺仁王諸像の魅力について』などが行われました。
10月5日(土)~11月24日(日)
小樽文学館さんで特別展「歿後50年 伊藤整と北海道展」が開催され、光太郎に関わる展示も為されました。
10月5日(土)・6日(日)・12日(土)・13日(日)
長野市のギャラリー花蔵さんで「thee第13回公演『売り言葉』」が上演されました。本来一人芝居である野田秀樹氏の戯曲『売り言葉』を、島崎美樹さん、ミズタマリさんのふたり芝居とする演出でした。
10月5日(土)~12月15日(日)
群馬県立土屋文明記念文学館さんで「萩原恭次郎生誕120年記念展 詩とは?詩人とは?」が開催され、光太郎に関する展示も行われました。「萩原恭次郎生誕120年記念展」は前橋文学館さんとの共同企画で、同館では11月2日(土)~来年1月26日(日)まで、「何物も無し!進むのみ!」を開催中です。
10月6日(日)
福島県二本松市のラポートあだちさんで、智恵子を偲ぶ「第25回レモン忌」が開催されました。記念講演はテルミン奏者の大西ようこさんによる「もう一つの智恵子抄」でした。
同日、当会で会報的に発行している冊子『光太郎資料』52集を発行いたしました。
同日、地方紙『伊豆新聞』さんに「新・埋もれ火を訪ねて 鈴木白羊子」という記事が載りました。光太郎と交流のあった詩人・編集者の鈴木白羊子を紹介するもので、光太郎にも触れられています。
10月6日(日) 10月10日(木)
福島市の古関裕而記念館さん、二本松市の市民交流センターさんで、シャンソン系歌手モンデンモモさんのコンサート「FUKUSHIMA DAISUKI MOMO CONCERT 2019」が開催され、「智恵子抄」にオリジナルのメロディーを付けた曲などが演奏されました。
10月7日(月)
岩手県花巻市・北上市の光太郎ゆかりの石碑等を巡る市民講座「岩手花巻高村光太郎記念館講座 詩と林檎のかおりを求めて 小山先生と訪ねる碑めぐり」が開催されました。講師は当方が務めさせていただきました。
10月10日(木)
『日本経済新聞』さんに、元アナウンサー・近藤サトさんによる「読書日記 ナレーター 近藤サト(2) 「緑色の太陽」 芸術の核心を見る手助け」という記事が載りました。
10月11日(金)
元花巻高村光太郎記念会理事長・佐藤進氏が亡くなりました。進氏、父君は佐藤隆房。昭和8年(1933)に歿した宮澤賢治の主治医でもあり、賢治の父・政次郎ともども、昭和20年(1945)4月の空襲でアトリエ兼住居を失った光太郎を花巻に招き、その後も物心両面で光太郎を支えてくれた人物で、進氏ご本人も光太郎と交流がありました。
10月12日(土)
集英社さんからインターナショナル新書の一冊として津上英輔氏著『危険な「美学」』が刊行されました。「「美に生きる」(高村光太郎)ことの危険」という章で光太郎に詳しく触れています。
同日、俳優の中山仁さんが亡くなりました。昭和42年(1967)の松竹映画「智恵子抄」(岩下志麻さん主演)で、髙村豊周役を演じられました。
10月12日(土)~2020年1月13日(月・祝)
港区の東京都庭園美術館さんにおいて「アジアのイメージ―日本美術の「東洋憧憬」」展が開催中です。光太郎実弟・髙村豊周の鋳金作品が展示されています。12月22日(日)、NHK Eテレさんの「アートシーン」で紹介がありました。
10月13日(日)
仙台市の宮城野区文化センターパトナホールで、コンサート「第19回 華 日本の詩歌の会」が開催され、歌曲「レモン哀歌」が演奏されました。
10月14日(月・祝) 11月17日(日) 12月15日(日)
二本松市の福島県男女共生センターさんで、「智恵子講座2019」が開催されました。主催は智恵子のまち夢くらぶさん、講師は木戸多美子さん(詩人)、坂本富江さん(太平洋美術研究所 高村光太郎研究会)、澤正宏さん(福島大学名誉教授)でした。
10月15日(火)
神戸新聞総合出版センターさんから『画家 池田永治の記録―その作品と年譜―』が刊行されました。光太郎が昭和20年(1945)、花巻に疎開する前日に書かれた揮毫(チョッキの背に書かれたもの)が紹介されています。池田は智恵子と同時期に太平洋画会に所属し、漫画家、挿絵画家としても活躍した人物です。
10月17日(木) ~21日(月)
「山本學+兼古隆雄 朗読とギターの饗宴」が、滋賀県栗東市芸術文化会館さん、島根県松江市市民活動センターさん、山口県周南市文化会館さん、山口市中原中也記念館さん、山口県下松市国民宿舎大城さんでそれぞれ開催され、光太郎詩の朗読が為されました。
10月20日(日)
本の泉社さんより『季論21 2019秋 第46号』が発行されました。歌人・内野光子氏の「「暗愚小傳」は「自省」となり得るのか――中村稔『髙村光太郎の戦後』を手掛かりとして」が17ページにわたり掲載されています。
10月26日(土)
横浜市の3丁目カフェさんで「月の映像詩と朗読の夕べ つきおもふこころ」の公演がありました。月を撮り続けているカメラマン河戸浩一郎氏による作品(月の映像詩)の上映会で、「智恵子抄」を題材にした朗読作品が、みのもかおりさんの朗読で披露されました。
10月27日(日)
NHK Eテレさんで「日曜美術館 わしがやらねばたれがやる~彫刻家・平櫛田中~」の放映がありました。光雲にも触れられました。再放送が11月3日(日)でした。
11月1日(金)
土曜美術出版社さんから『詩と思想』2019年11月号が刊行されました。「特集 詩人・作家の死生観」の中で、詩人の豊岡史郎氏による「高村光太郎の自然観と死生観」が載っています。
11月1日(金)~12月1日(日)
京都市の知恩院さんで「20周年! お坊さんに会いに行こう! 知恩院秋のライトアップ2019」が開催され、光雲作の聖観音像もライトアップされました。
11月2日(土)・3日(日)
盛岡市の旧岩手銀行赤レンガ伝統工芸館で「IWATE TRADITIONAL CRAFTS year 2019 ~(ホームスパン)」が開催され、光太郎遺品にして英国の世界的染織家エセル・メレ作の毛布が展示されました。3日には岩手県立大学盛岡短期大学部の菊池直子教授による特別講演「高村光太郎のホームスパンを探る!」が開催されました。
やはり11月2日(土)・3日(日)で、渋谷区の新国立劇場さんに於いて「新国立劇場バレエ研修所公演 バレエ・オータムコンサート2019」が開催され、プログラムに「檸檬(レモン)哀歌」が入りました。
11月3日(日)
写真家の田沼武能氏に文化勲章が伝達されました。光太郎の肖像写真を手がけられた他、光太郎令甥の故・髙村規氏と木村伊兵衛門下で兄弟弟子として活躍されました。
11月4日(月・振)
台東区の旧平櫛田中邸アトリエにおいて「潮見佳世乃歌物語コンサート 智恵子抄」が開催されました。
11月7日(木)
『週刊新潮』さんの11月7日号で「「ほんとの空の下」の山小屋」という記事が3ページにわたって掲載されました。安達太良山のくろがね小屋を紹介する中で、光太郎智恵子にも触れて下さいました。
11月13日(水)
俳優の滝口幸広さんが34歳の若さで亡くなりました。平成24年(2012)に開催された朗読系の公演「僕等の図書室」及び「僕等の図書室2」で、「智恵子抄」の朗読を披露なさいました。
11月14日(木)
『朝日新聞』さんの岩手版に「高村光太郎のはがき寄贈 70年前に受け取る」という記事が載りました。横浜に住む女性が中学生だった昭和25年(1950)、光太郎から受け取った葉書を花巻高村光太郎記念館さんに寄贈した件でした。21日(木)には全国版にも同じ記事が掲載された他、その前後、地方紙にも記事が載りました。
11月16日(土)
名古屋市のザ・コンサートホールさんで、「伊藤晶子ソプラノリサイタル ~演奏生活70周年を記念して~」が開催され、朝岡真木子さん作曲の「智恵子抄」改訂初演が為されました。
11月19日(火)
DeAGOSTINIさんから『日本の名峰 DVD付きマガジン64 紅葉色めく湯の山 安達太良山』が刊行されました。付録のDVDを含め、光太郎智恵子に触れて下さっています。
11月20日(水)
日本コロムビアさんからソプラノ歌手・小林沙羅さんのアルバム「日本の詩(うた)」がリリースされました。「或る夜のこころ ―『智恵子抄』より」(作曲/中村裕美さん)を含みます。
11月23日(土)
江東区立東大島文化センターさんで第64回高村光太郎研究会が開催されました。研究発表は元いわき市立草野心平記念文学館の小野浩氏で「黄瀛から見た光太郎・賢治・心平」、当会顧問北川太一氏子息の北川光彦氏が「高村光太郎が彫刻や詩の中に見つけた「命」とは」、書家の菊地雪渓氏による「光太郎の書について―普遍と寛容―」でした。
11月26日(火)
『日本経済新聞』さんに「日本美術の中の動物十選(10) 高村光雲「老猿」」という記事が載りました。千葉市美術館館長・河合正朝氏による文化面の連載の一環です。
11月27日(水)~2020年4月12日(日)
山口市の中原中也記念館さんで「清家雪子展――『月に吠えらんねえ』の世界」が開催中です。光太郎に関わる展示も為されています。
11月28日(木)
FMヨコハマさんで「スペシャルプログラム Sound Travelogue ~沢木耕太郎、日本を旅する~ ラジオドラマ 高村光太郎「智恵子の紙絵」」がオンエアされました。
11月29日(金)
静岡県浜松市の鴨江アートセンターさんで「SPAC出張劇場『星の時間 〜高村光太郎「智恵子抄」より〜』」の公演がありました。吉見亮さんの電子パーカッション演奏に合わせての、布施安寿香さんの一人芝居でした。
11月30日(土)
光文社さんから光文社新書の一冊として評論家長山靖生氏著『恥ずかしながら、詩歌が好きです 近現代詩を味わい、学ぶ』が刊行されました。「第七章 犯罪幻想(ミステリ)と宇宙記号(SF)の世界――萩原朔太郎、高村光太郎、山村暮鳥、千家元麿、三好達治、佐藤惣之助――」「第九章 直情の戦争詩歌、哀切の追悼詩歌――北原白秋、三好達治、高村光太郎、折口信夫――」などで光太郎に触れられています。
12月2日(月)~22日(日)
杉並区の古書店・西荻モンガ堂さんで「個人名のついた研究会会誌の世界」展が開催され、かつて当会顧問・北川太一先生が発行されていた『光太郎資料』などが展示されました。
12月4日(水)~12月28日(土)
京都市のおもちゃ映画ミュージアムさんで「戦争プロパガンダ展 ポスター・雑誌・映画」が開催されました。光太郎の翼賛詩に関する資料も展示されました。
12月7日(土)(土)~12月18日(水)
神戸市のギャラリー島田さんで「井上よう子展 ―言葉がくれたもの―」が開催されました。「智恵子抄」からインスパイアされた絵画も並びました。
12月7日(土)~2020年1月26日(日)
花巻市の5つの文化施設で「ぐるっと花巻再発見!~イーハトーブの先人たち~」という統一テーマの元に行われる共同企画展が開催されています。花巻高村光太郎記念館さんでは「光太郎からの手紙」。花巻市総合文化財センターさんの「ぶどう作りにかけた人々 ―北上山地はボルドーに似たり―」でも、光太郎に関わる展示が為されています。
12月10日(火)
株式会社トゥーヴァージンズさんからCD13枚組「【近代文學の泉】朗読で味わう文豪の名作」がリリースされました。俳優の寺田農さんによる「智恵子抄」朗読を含みます。
12月13日(金)~15日(日)
岡山市の城下公会堂 さんにおいて劇団カタオモイ旗揚げ公演「売り言葉」が上演されました。ご出演は櫻井杏子さん、久永柚月さん、松尾千晶さんでした。
12月15日(日)
文治堂書店さんからPR誌『トンボ』第9号が発行されました。拙稿「連翹忌通信」の題で連載されております。
追記 12月20日(金)
ワルトラワラの会さんから文芸同人誌『ワルトラワラ』第45号が発行されました。料理研究家の中野由貴さんご執筆の「イーハトーヴ料理館 賢治たちの自炊めし 二膳目 光太郎さんからの食アドバイス」が5ページにわたり掲載されています。
12月21日(土)・22日(日)
大阪市のアートギャラリーフジハラさんで「演劇創造ユニット [フキョウワ] 第一回公演 売り言葉」が開催されました。雀野ちゅんさんのご出演でした。
12月22日(日)
二本松市の市民交流センターで女優の林亜佑美さんによる「一人芝居 売り言葉」の公演がありました。
追記 12月28日(月)
文化放送さんから声優の能登麻美子さんによる「能登麻美子おはなしNOTE 朗読CD第7弾 ルルとミミ/夢野久作」がリリースされました。光太郎随筆「山の雪」朗読を含みます。
また、各月の項には書きませんでしたが、雑誌『月刊絵手紙』さん、隔月刊誌『花巻まち散歩マガジンMachicoco(マチココ)』さんが、それぞれ「生(いのち)を削って生(いのち)を肥やす 高村光太郎のことば」、「光太郎レシピ」という連載を今年も掲載し続けて下さいました。
と。まあ、今年も実にいろいろなことのあった一年間でした。関係各位に改めて御礼申し上げます。ありがとうございました。来年以降もどうぞよろしくお願い申し上げます。
【折々のことば・光太郎】
一番先に気のついた事はその詩がすべて形象に向つて動いてゐる事である。映像として詩の情景が具象され、うちつけな露はな抒情よりも其を包んだ場面としての表現がすべてに行き亙つてゐる。
散文「大野良子詩集『馬頭琴』読後感」より
昭和15年(1940) 光太郎58歳
昭和15年(1940) 光太郎58歳
この手の文章に共通することですが他者への評でありながら、一面、光太郎の目指す……とまでは行かなくともよしとする詩のあり方が示されています。