智恵子がその創刊号の表紙絵を描いた『青鞜』をめぐる演劇「二兎社公演43 私たちは何も知らない」。『朝日新聞』さんに、二回にわたって紹介されました。

まず、12月5日(木)。 

(評・舞台)二兎社「私たちは何も知らない」 女性の権利、現状に思いはせ

 ラップの音楽に乗り、ジーンズ、スニーカー姿で走る。女権に目覚めた大正の若い女性たちが、弾むような足取りで新鮮に蘇(よみがえ)る。雑誌『青鞜』に拠(よ)った平塚らいてう(朝倉あき)らパイオニアの活動家たちを、永井愛が評伝風な群像劇に書き、演出した。

 『青鞜』が発刊された翌年の1912年から廃刊までの日々が、編集室を主舞台に展開される。志あり、恋あり、家族をめぐる厳しい現実あり。理想を目指しながら、滑稽で悲惨な日々を送る若き女性たちの群像は、人間味が濃い。
 演目名の「私たちは何も知らない」には、今の人は先覚者を知らない、の意味がある。同時に女性や世界をめぐる状況が、時が経ってもこんなに劣化しているなんて知らなかったという『青鞜』人の怒りと嘆き節も聞こえるようだ。
 永井は過去を、今の視点、現実の社会から見直す。背景の巨大なギロチンの刃(大田創美術)が、徐々に下りる。『青鞜』発刊が幸徳秋水らの処刑の直後。廃刊7年後に、編集者の伊藤野枝(藤野涼子)と大杉栄らが虐殺された甘粕事件が起きる。ギロチンは、きなくさい現代への予兆だ。第2次大戦を翼賛した平塚への辛い目線もある。
 朝倉と、保持研を演じる富山えり子とのからみが笑わせ、しんみりさせて傑作。藤野とボーイッシュな紅吉役の夏子が、軽やかに絡んで面白い。
 ラスト。平塚が廃刊時に、その後の甘粕事件や第2次大戦を幻視する。スリリングだ。ただ平塚は国家権力の謀略に関心が薄かった。このあたりの平塚像は、さらに踏み込みたい。それにしても女性による性にまつわる論争は、ネット時代の性をも考えさせる。(山本健一・演劇評論家)
 22日まで、東京・池袋の東京芸術劇場。


001


12月13日(金)にも「「青鞜」を舞台化、自由求め 初の女性文芸誌、現代の女性差別を想起 永井愛が描く」と題して評が載っています。

002

000

同じく12月13日(金)には、全く別の記事でも『青鞜』主幹・平塚らいてうに触れられていました。

003

らいてうの先駆性、恐るべしというべきか、『青鞜』発刊から100年以上を経ても変わらない世の中を嘆くべきか、というところですね。


続いて、やはり『青鞜』がモチーフに使われている小説をご紹介します。 

遠の眠りの

2019年12月10日 谷崎由依著 集英社 定価1,800円+税

大正末期、貧しい農家に生まれた少女・絵子は、農作業の合間に本を読むのが生きがいだったが、女学校に進むことは到底叶わず、家を追い出されて女工として働いていた。
ある日、市内に初めて開業した百貨店「えびす屋」に足を踏み入れ、ひょんなことから支配人と出会う。えびす屋では付属の劇場のため「少女歌劇団」の団員を募集していて、絵子は「お話係」として雇ってもらうことになった。ひときわ輝くキヨという娘役と仲良くなるが、実は、彼女は男の子であることを隠していて――。
福井市にかつて実在した百貨店の「少女歌劇部」に着想を得て、一途に生きる少女の成長と、戦争に傾く時代を描く長編小説。


001

福井を舞台に、貧しい農村で生まれ育った少女が、人絹工場、百貨店の「少女歌劇団」などで働きつつ、さまざまな出会いと別れを経験し、時代に翻弄されてゆく物語です。大正期から太平洋戦争敗戦までが描かれていますが、当時の地方都市はこんな感じだったのかと、新鮮でした。

版元である集英社さんのPR紙『青春と読書』に、森まゆみさんによる書評が出ています。 

森まゆみ 『遠の眠りの』谷崎由依 著

野に咲くスミレのような……
 大正、そして昭和の戦前、女性に選挙権がない時代、父に、夫に、息子に従って生きるのが当たり前だった時代に、自分で自分の人生を切り開いた少女がいた。
 この小説は、大正の初め、福井の農村に生まれた絵子(えこ)が主人公である。姉や妹は早くとつがされる。嫁にやる側から言えば、「口減らし」、嫁を取る側から言えば「労働力の確保」。それに従わず、絵子は村を出て人絹を織る工女となる。
 ひどい搾取も受けたけれど、農村にいては出会えない知識や文化に触れる。中でも意識の高い先輩・吉田朝子から貸してもらった「青鞜(せいとう)」という古い雑誌、それに絵子は目を見開かされる。
「青鞜」は明治44年9月に東京は本郷で創刊された、初めての「女性の、女性による、女性のための」雑誌である。主宰者の平塚らいてうらは日本女子大学の卒業生で、女学校も行けず、地方の工場で働いていた絵子とは境遇が違う。創刊号は1000部のこの雑誌が福井の少女のもとに届き、その人生を変えてゆく。
 大正の初め、ノルウェイの作家イプセンの「人形の家」が東京で上演された。主人公を演じたのは松井須磨子、これをめぐって、「青鞜」誌上では「可愛がられる人形のような妻として人生を終わるのがいいのか」という論争が起きて、同人たちは己が人生を変えてゆく。「新しい女」は酒を飲む、タバコを吸う、吉原に登楼する、とバッシングされ、「青鞜」は風俗壊乱を理由に何度も発禁になった。それでも彼女たちは「習俗打破」を旗印に前へ前へと突き進んだ。
 それが地方の少女を励ましたのだ。親の言うがままに生きる「白い羊」であることをやめ、絵子は一人「黒い羊」であり続ける。そして福井に初めてできた百貨店に転職し、そこで催される少女歌劇の脚本係になっていく。
 昭和18年3月18日に福井駅前の繁華街で大火事があり、佐佳枝(さかえ)劇場、だるま屋百貨店が焼けた。私が福井を訪ねた時、「フェニックス都市」という言葉を聞いた。台風、洪水、大火、空襲。その度にこの町は力強くたち上がってきた。決して大勢に順応しない絵子の姿が、その淡い恋が清冽な筆致で描かれる。よく調べられた時代背景が小説を支え、久しぶりに爽やかな読後感を味わった。


ちなみに、森さんによる労作『『青鞜』の冒険 女が集まって雑誌をつくること』が「参考文献」の項に挙げられていました。

同書は上記の「二兎社公演43 私たちは何も知らない」を書かれた永井愛さんも参考にされている由。まだお読みになっていない方は、ぜひどうぞ。現在は文庫版で手に入ります。

もちろん『遠の眠りの』も、です。


【折々のことば・光太郎】

その詩にみる重量、深さといつたものも、萩原君の「語感」の鋭さの、いかに強く、すぐれたものであつたかを意味してゐる。実際、ことばの感覚といふものの鋭さは、これまでに、萩原君をおいては、その比をみることが出来ないと思ふのである。

談話筆記「語感の詩人――故萩原朔太郎君の霊前に――」より
昭和17年(1942) 光太郎60歳


ともに口語自由詩の確立を成し遂げた、いわば「戦友」、朔太郎への追悼の辞です。