山口県の中原中也記念館さんで開催中の開館25周年記念展(文学表現の可能性 後期)「清家雪子展――『月に吠えらんねえ』の世界」等について、報道がなされ、光太郎にも触れられていますのでご紹介します。
まず、地方紙『中国新聞』さん。
続いて、tysテレビ山口さんのローカルニュースから。「清家雪子展」以外に、『山羊の歌』に関してがメインですが、やはり光太郎にからみます。

まず、地方紙『中国新聞』さん。
中也の詩、漫画と共により深く
中原中也たち日本近代の詩人の詩をモチーフにした漫画「月に吠(ほ)えらんねえ」を詩と共に紹介する企画展が山口市湯田温泉の中原中也記念館で開かれている。来年4月12日まで。 漫画の登場人物「チューヤ」(中也)や「朔」(萩原朔太郎)たち8人のモデルとなった人物の詩集や作品が載った雑誌など28点を展示。漫画のワンシーンや扉絵をパネルで紹介し、基になった詩との関連性を説明している。戦争と文学との関連もテーマの一つで、「コタロー」(高村光太郎)や「白」(北原白秋)の戦時中の愛国詩や苦悩なども解説する。 「月に吠えらんねえ」は「月刊アフタヌーン」で9月号で完結。(以下略)
中也初の詩集「山羊の歌」
12月10日は85年前に山口市出身の詩人、中原中也の初めての詩集「山羊の歌」が出版された日です。ふるさとの記念館では中也の署名入りの初版本が期間限定で展示されています。中原中也の初めての詩集「山羊の歌」は1934年、12月10日に200部が出版されました。展示は中也が友人の高森文夫に宛てて署名を書き入れたもので、特に貴重とされています。装丁は詩人で彫刻家の高村光太郎によるものです。中也は出版直後に東京から山口に戻り、長男の文也に初めて対面したことを書き残しています。30年の短い人生で、最も充実した時期だったことがうかがえます。会場では中也をキャラクターにした漫画、「月に吠えらんねえ」を紹介する企画展も行われています。「山羊の歌」署名入り初版本は、今月15日まで山口市の中原中也記念館で展示されています。『山羊の歌』、装幀を手がけた光太郎宛の署名本もあったと考えられます。しかし、それがあったとしても、昭和20年(1945)4月の空襲で、駒込林町のアトリエもろとも灰になったのでしょう。もし何処かに残っているとしたら、誰かに貸すかしていて奇跡的に難を逃れた、というところですか。それもほとんどあり得ない確率ですが。そんなネタで短編小説が一本書けそうです(笑)。
さて、中原中也記念館さん、ぜひ足をお運び下さい。
さて、中原中也記念館さん、ぜひ足をお運び下さい。

【折々のことば・光太郎】
秀抜な此の若さは果断である。進歩、弾力、将来性を語る。
秀抜な此の若さは果断である。進歩、弾力、将来性を語る。
散文「黄秀才の首」より
昭和5年(1930) 光太郎48歳
昭和5年(1930) 光太郎48歳
「黄秀才」は黄瀛。光太郎と交流の深かった詩人です。中也にしてもそうですが、光太郎、若い世代の有望な詩人に対しては讃辞を惜しみませんでした。
右は光太郎の手になる黄瀛肖像彫刻。これもおそらく戦災で焼失してしまいました。
右は光太郎の手になる黄瀛肖像彫刻。これもおそらく戦災で焼失してしまいました。