四紙誌から、ご紹介します。

まず、『朝日新聞』さん。11月14日(木)、岩手版に載った記事が、1週遅れで11月21日(木)、夕刊の全国版にも掲載されました。見出しのみ、「高村光太郎のはがき寄贈 70年前に受け取る」だったのが「高村光太郎、ファンに宛てた感謝 当時中3の85歳、はがき寄贈 「死ぬまで詩や彫刻を作るつもりで居ります」」と変更されていますが、記事本体は同一でした。

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続いて、『しんぶん赤旗』さん。11月24日(日)の日曜版。智恵子がその表紙絵を描いた雑誌『青鞜』編集部を舞台とした、劇団・二兎社さんの公演「私たちは何も知らない」について、脚本家の永井愛さんへのインタビューが大きく載っています。

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長いので全文は引用しませんが、『青鞜』がらみの箇所のみ。

 平塚らいてうさんは70年安保でも運動の先頭に立たれていました。私には年配の偉い人という感じで、若い娘の時『青鞜』を旗揚げした人という実感がありませんでした。
 数年前、森まゆみさんの『「青鞜」の冒険』を読みました。森さん自身の雑誌づくりの経験をまじえながら、「青鞜」編集部の様子を書いていました。
 それを読んで、あの時代に女性だけで雑誌をつくることの大変さが、初めて現実的に感じられたんです。
 『青鞜』の提起した三大論争があります。貞操=結婚まで処女を守ること、堕胎=人工妊娠中絶、公娼=当時公認されていた売春制度―です。この三つはいずれも女性の体に関する自己決定権の議論だと、最近になって見直されるようになりました。
 女性の体は誰のものか。当時はまず親のもので、次いで夫のもの、あるいは兵士を産む国家のものでした。本当はそうではないと、『青鞜』が稚拙ながらも問題提起して、真面目に語り合ったのは画期的なことです。
(略)
 モデルにした人がみんなおかしいし、人間模様がすごいんです。作家が考えた話なら、普通もっとシンプルにします(笑い)。あの時代に若い女たちが、真剣に雑誌作りに取り組んだ日を描けば、その中にすべてがあると思います。
 いまでも出産で退職する女性は多いですし、『MeToo』運動など、『青鞜』が提起した問題は今も続いています。昔の話でなく、今のスタイルでやってみようと。


なるほど。

ちなみに紹介されている、森まゆみさんの『『青鞜』の冒険 女が集まって雑誌をつくること』についてはこちら


続いて、『日本経済新聞』さん。11月26日(火)、千葉市美術館館長・河合正朝氏による文化面の連載で、光太郎の父・光雲の代表作にして国指定重要文化財の「老猿」(明治26年=1893)を取り上げて下さいました。 

日本美術の中の動物十選(10) 高村光雲「老猿」

 西洋美術史の概念に、てらしあわせるなら、日本に「彫刻」は、無いのではないかとわたしには思える。素人ゆえの無謀、無知との謗(そし)りは覚悟の上である。

 敢(あ)えて言えば、8世紀の初めと13世紀の前半に、幾(いく)らかは、彫刻と言える作品があったとは思う。
そのように考えた時、高村光雲作の「老猿」は、日本の彫刻の本質、日本の彫刻の「何か」を語っているように思える。
 近年、日本の近代彫刻、それも木彫の研究が活発になっているという。「老猿」をもって、日本の彫刻、日本の近代彫刻について識者の説くところを聞きたい。
 光雲は、江戸末期の東京浅草に生まれた。仏師・高村東雲に学び、東京美術学校開設に際し教授となって、彫刻科の基礎を築いた。仏師の伝統に、西洋美術に学ぶ写実を加味し、木彫に新しい作風を拓(ひら)いたと評される。
 1893年のシカゴ万博に出品、高い評価を得た「老猿」を、今年、わたしは再びワシントンDCのナショナルギャラリーに展示した。欧米人に、真の日本彫刻とは何かを問い、示したかったからだ。実は、モチーフが人体でなく動物であることも重要なのである。
(1893年、高さ108.5センチ、東京国立博物館蔵)

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最後に、雑誌で、『月刊絵手紙』さん12月号。連載「生(いのち)を削って生(いのち)を肥やす 高村光太郎のことば」。毎年、11月号は年賀状特集ということで、通常の連載がお休みになるので、2ヶ月ぶりの掲載でした。

今号は、詩「冬の言葉」(昭和2年=1927)全文。

    冬の言葉004

 冬が又来て天と地を清楚にする。
 冬が洗ひだすのは万物の木地。

 天はやつぱり高く遠く
 樹木は思いきつて潔らかだ。


 蟲は生殖を終へて平気で死に、
 霜がおりれば草が枯れる。


 この世の少しばかりの擬勢とおめかしとを
 冬はいきなり蹂躙する。


 冬は凩の喇叭を吹いて宣言する。
 人間手製の価値をすてよと。


 君等のいぢらしい誇をすてよ、
 君等が唯君等たる仕事に猛進せよと。005


 冬が又来て天と地を清楚にする。
 冬が求めるのは万物の木地。


 冬は鉄碪(かなしき)を打つて又叫ぶ、
 一生を棒にふつて人生に関与せよと。


11月も末となり、確かに冬に蹂躙される時期となってきました。冬の寒さに弱い当方としては、憂鬱な期間が続きます(笑)。


皆様もお風邪など召しませぬよう、ご自愛下さい。


【折々のことば・光太郎】

美は発見によつて豊かにされる。

散文「詩の朗読について」より 昭和16年(1941) 光太郎59歳

「美ならざるなし」、「美しきもの満つ」といった言葉を好んで揮毫した光太郎。ありふれた風景の中にも美は充満している、それに気付くか気付かないかは、あなた次第(笑)、そして気付ける者には豊かな人生が待ち受けているよ、ということでしょうか。