11月2日(土)、3日(日)と、1泊2日で福島と岩手を廻っておりました。
まずは智恵子の故郷・福島二本松。先月、二本松で開催された智恵子を偲ぶ「第25回レモン忌」にお邪魔した際、智恵子と同郷の日本画家の故・大山忠作画伯を顕彰する大山忠作美術館さんで開催中の「新五星山展」の招待状を、大山画伯のご息女で女優の一色采子さんから頂きまして、立ち寄ることに致しました。
ちなみに今回も公共交通機関で行きました。午前4時半に千葉の自宅兼事務所を出まして、二本松着が9時でした。この日は素晴らしい秋晴れ。二本松駅前の「あどけない話」(昭和3年=1928)の一節を刻んだ光太郎詩碑にも、まさしく「ほんとの空」が映っていました。
光太郎の父・光雲の孫弟子に当たる彫刻家・橋本堅太郎氏の手になる智恵子像。「ほんとの空」の題名です。まさしく「ほんとの空」が背景に広がっていました。この像を写真に撮るには、朝の時間帯がいいようです。
その背後にあるのが大山忠作美術館さん。
この日の午後、一色さんと、福島県立美術館長の早川博明氏によるトークショーがあり、そちらも拝聴したかったのですが、次なる目的地・盛岡に行かねばならず、そちらは断念。また、当方が着いた時は開館時間前で、一色さんもまだお見えになっていませんでした。
館のロビーから見た安達太良山。
さて、開館時間となりました。
「新五星山展」。名前に「山」のつく日本画の巨匠五人の作品を集めた展覧会です。五人すなわち横山大観、山口蓬春、杉山寧、横山操、そして大山画伯。「今回は」というのは、前回があったわけで、「新」がつかない「」が(東山魁夷、高山辰雄、平山郁夫、加山又造、大山忠作)平成25年(2013)に開催されています。
このうち、横山大観は東京美術学校で光雲や光太郎とも関わりがありました。『高村光太郎全集』にも、大観の名がたびたび表れます。
こちらが展示目録。
大山画伯には智恵子をモチーフとした作品も複数有りますが、今回は展示されておらず(安達太良山を描いた「安達太良山(残照)」という作品はありました)、そちらは少し残念でしたが、日本画の大作をまとめてみるのは久々で新鮮でした。また、五人それぞれに近代の新しい日本画を創出しようという意気込みが感じられました。
下記は、ミュージアムショップで購入した一筆箋とはがき箋。新商品のようで、初めて見ましたし、館のサイトにも掲載されていません。一筆箋の方は光太郎智恵子の後ろ姿、はがき箋は4種類のデザインのうち、智恵子生家をあしらったものもあります。早速使わせていただいています。
この後、次なる目的地、岩手盛岡を目指し、再び電車に乗り込みました。以下、明日。
【折々のことば・光太郎】
あれのアイデアというのは真正面から見ると二等辺三角形になつている。三角形の先端は空中に伸びていて向き合つた二人の乙女の像の真中辺に空間がある。この空間の面白さが群像の面白さで、何となしにわかる人は、そういうところを見ているからです。
まずは智恵子の故郷・福島二本松。先月、二本松で開催された智恵子を偲ぶ「第25回レモン忌」にお邪魔した際、智恵子と同郷の日本画家の故・大山忠作画伯を顕彰する大山忠作美術館さんで開催中の「新五星山展」の招待状を、大山画伯のご息女で女優の一色采子さんから頂きまして、立ち寄ることに致しました。
ちなみに今回も公共交通機関で行きました。午前4時半に千葉の自宅兼事務所を出まして、二本松着が9時でした。この日は素晴らしい秋晴れ。二本松駅前の「あどけない話」(昭和3年=1928)の一節を刻んだ光太郎詩碑にも、まさしく「ほんとの空」が映っていました。
光太郎の父・光雲の孫弟子に当たる彫刻家・橋本堅太郎氏の手になる智恵子像。「ほんとの空」の題名です。まさしく「ほんとの空」が背景に広がっていました。この像を写真に撮るには、朝の時間帯がいいようです。
その背後にあるのが大山忠作美術館さん。
この日の午後、一色さんと、福島県立美術館長の早川博明氏によるトークショーがあり、そちらも拝聴したかったのですが、次なる目的地・盛岡に行かねばならず、そちらは断念。また、当方が着いた時は開館時間前で、一色さんもまだお見えになっていませんでした。
館のロビーから見た安達太良山。
近くの小高い丘は紅葉に色づいていました。
さて、開館時間となりました。
このうち、横山大観は東京美術学校で光雲や光太郎とも関わりがありました。『高村光太郎全集』にも、大観の名がたびたび表れます。
こちらが展示目録。
大山画伯には智恵子をモチーフとした作品も複数有りますが、今回は展示されておらず(安達太良山を描いた「安達太良山(残照)」という作品はありました)、そちらは少し残念でしたが、日本画の大作をまとめてみるのは久々で新鮮でした。また、五人それぞれに近代の新しい日本画を創出しようという意気込みが感じられました。
下記は、ミュージアムショップで購入した一筆箋とはがき箋。新商品のようで、初めて見ましたし、館のサイトにも掲載されていません。一筆箋の方は光太郎智恵子の後ろ姿、はがき箋は4種類のデザインのうち、智恵子生家をあしらったものもあります。早速使わせていただいています。
この後、次なる目的地、岩手盛岡を目指し、再び電車に乗り込みました。以下、明日。
【折々のことば・光太郎】
あれのアイデアというのは真正面から見ると二等辺三角形になつている。三角形の先端は空中に伸びていて向き合つた二人の乙女の像の真中辺に空間がある。この空間の面白さが群像の面白さで、何となしにわかる人は、そういうところを見ているからです。
講演筆録「視角で変る群像」より
昭和28年(1953) 光太郎71歳
智恵子の顔をもつ生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」に関し、その除幕式の二日後に青森市の野脇中学校で行われた講演で語った一節です。
同じ講演では、「三角形という形は何か無限性と関係があるようです」などとも述べています。
同じ講演では、「三角形という形は何か無限性と関係があるようです」などとも述べています。