光太郎と親交のあった、故・田口弘氏が教育長を務められていた埼玉県東松山市。田口氏はやはり光太郎顕彰に骨折ってくれた彫刻家の高田博厚とも親交を結び、光太郎胸像を含む高田の作品を野外に展示する彫刻プロムナードが整備されたり、鎌倉市にあった高田のアトリエにあった作品などが同市に寄贈されたりしました。過日ご紹介した現在開催中の「高田博厚展2019」では、寄贈を受けた作品などが展示されています。
その関連行事として、本日予定されていた、高田と親交があり、彫刻作品のモデルになった元NHKアナウンサーの室町澄子氏による特別講演会「一人のアナウンサーと彫刻家高田博厚」が中止になったそうです。
また、同市の名物イベント「日本スリーデーマーチ」。こちらも田口氏の奔走で、同市を会場に開催されるようになりましたが、やはり今年は中止とのこと。
とにかく今は被災された方々の生活再建が最優先ですので、仕方ありますまい。
ところで高田博厚といえば、台風関連とは別件ですが、高田の故郷・福井県の地方紙『福井新聞』さんで、高田がらみの記事を光太郎にからめて報じて下さっています。
「高田博厚」五感で鑑賞できるシート4種発表 福井大院生
近代日本を代表する福井ゆかりの彫刻家、高田博厚(1900~87年)の世界観を楽しく学べる鑑賞シートを福井大の大学院生が創作し10月12日、福井市美術館で完成発表会が行われた。五感を使った鑑賞や彫刻の制作プロセスを探る学びなど興味関心に応じた4種類を用意した。
高田は2~18歳の多感な時期を福井で過ごした。上京直後に出会った高村光太郎の影響で彫刻や翻訳に従事。渡仏後は文豪ロマン・ロランら知識人の輪に招き入れられ、才能を開花させた。
福井市美術館は高田の作品群を常設展示している。鑑賞シートは、常設展を生涯学習の場として多くの世代に活用してもらおうと、美術館と福井大教育学部の濱口由美教授の研究室が連携し、美術教育を学ぶ大学院生が創作した。「学習のとびら」と銘打ち、▽物語▽レシピ▽哲学▽からだ―を各テーマとしている。
発表会には学生や美術教員ら15人が集まり、シートを創作した福井大大学院2年の高橋葵彩さん、森下由唯さん、松宮史恵さんらが狙いや使い方を説明した。
「物語のとびら」は、高田の作品を五感で観察して想像を膨らませ、一緒に美術館を訪れた仲間と考え合う。「哲学―」は、年表に示した福井での青少年時代や幅広い交友、名言を基に、高田の心情や大切にしたいものを考え書き込める。
「レシピ―」は石膏(せっこう)で型を作り、ブロンズを流し込むなどの高田の制作工程をカード形式にした。「からだ―」は、手足のない胴体の像「トルソ」作品の「カテドラル」について、造形的特徴を捉えてポーズをまねる活動や、友だちを彫刻に見立ててポーズを指導する学びができる。
学生3人は「楽しい仕掛けを通して作品の背景を読み解くことで高田に親近感を持ってほしい。親子やカップルで気軽に楽しく学んで美術の敷居をなくし、美術館そのものも身近に感じもらえれば」と話していた。
鑑賞シートは常設展で配布し、美術館のホームページからもダウンロードできる。
正平調 2019・10・19
福島県いわき市生まれの詩人に草野心平さんがいる。日の光に輝く雪景色を見ては「きれいだねぇ」と言っていた母は、草野さんが小学生のときに亡くなった。母を詠んだ詩がある◆「生きたい・生きる」と題した詩の一節。〈私が憶えている母の最後の言葉。/(きれいだねぇ。)は。しかし不思議に。/自分に悲しみでなく勇気をくれる。〉。寂しさに凍える心を、温めてくれたのだろう◆台風19号の洪水にのまれたいわき市の86歳、関根治さんの最期を本紙が伝えていた。背の高さまで水かさが増した室内で同い年の妻の手を握り「長いこと世話になったな」、そう言いおいて沈んでいったという◆外に向かって助けを求めたし、119番もかけていた。2人して何としてでも生きたい。生きる。その一心だったに違いない。水をかきわけて妻のところにたどり着いたときにはもう、体力は残っていなかった◆宮城県の地元紙、河北新報に寄せられた歌を思い出す。〈手をつなぐことなく過ぎし六十二年その手をつなぎ外に逃れき〉(永澤よう子)。夫婦のことだろうか。詠まれたのは8年前、あの大震災の直後である◆東日本では大雨への警戒がつづく。心のなかで被災地とつないだ手。ぎゅっと力をこめ、きょう一日を過ごす。
「きれいだねぇ」と言える風景の再現のため、がんばりましょう。皆さん、がんばっているとは思いますが、でも、がんばりましょう、としか言えません。
【折々のことば・光太郎】
憎みの裏はすぐ愛で、まことの前に敵は無い。
何事にも本気で当たれ、ということです。同じ文章では「一番いけないのは、取りつくろつたいい加減、ぬけぬけしたづうづうしさ」とも書いています。