光太郎第二の故郷とも云うべき岩手花巻の高村光太郎記念館さんで開催中の企画展「高村光太郎 書の世界」につき、地元紙『岩手日日』さんが報じて下さっています。
同館企画展示室に特設コーナーを設け、詩人の草野心平に贈られた色紙額「不可避」や旧山口小学校の依頼を受け揮毫(きごう)した書額「正直親切」など26点を展示。1950年に旧太田村役場改築記念として制作された「大地麗(だいちうるわし)」は7年ぶりの実物展示とあり、来館者の関心が高い。
このうち光太郎晩年の芸術評論「書についての漫談」原稿は初めて公開される資料。「その時の当人の器量だけの書は巧拙にかかわらず必ず書ける。その代り、いくら骨折っても自分以上の書はかけない。(中略)卑しい根性の出ている書がいちばんいやだ」などの主張が印象的な直筆資料で、読みやすい文字と少ない訂正箇所、著名書作家にも言及した評論の鋭さなどが興味深い。
各資料には制作時期や当時の逸話を記した説明書きもあり、花巻での小太郎の生活や交遊などもうかがい知れる企画展。同館では「(光太郎の)花巻時代の物がまとまって外に出る貴重な機会。作品だけでなく当時のエピソードも紹介できることが(同市)太田で開く企画展の意義」と話し、多くの来館に期待を寄せる。
午前8:30~午後4時30分。期間中無休。一般入場料550円。問い合わせは同記念館=0198(28)3012まで。
「大地麗」の書については、花巻市さんの広報紙『広報』はなまきの10月15日号でも取り上げられています。「花巻歴史探訪[郷土ゆかりの文化財編]」というコーナーです。
この書を書いてもらうにあたって、そうホイホイと書を書いてくれるわけではなかった光太郎に対し、当時の高橋雅郎村長ら、村の中心人物たちは一計を案じました。「女性の頼みなら、無礙に断ることもあるまい」と、村長夫人のアサヨさんを依頼に派遣したのです。ちなみに彼の地で永らく光太郎の語り部を務められた高橋愛子さんはそのご令嬢です。その作戦が当たり、光太郎はこの書を書いてくれました。
大沢温泉さん、昨年8月の台風13号で、別館的な菊水館につながる道路の法面(のりめん)が崩落、食材などの物資を搬入するのが困難となったため、宿泊棟としては休業せざるを得なくなりました。が、建物自体に被害はほとんど無く、今年6月から、ギャラリーとしての活用を始めたそうです。その名も「昔ギャラリー茅(ちがや)」。
来月初めにまた東北に行く予定があり、宿泊は花巻でと考え、大沢温泉さんで営業中の湯治屋さん(自炊部)、通常の温泉旅館的な山水閣さんを当たりましたら、既に満室でした。まぁ、紅葉シーズンですし、菊水館さんの分のキャパが減っているので仕方がありません。ただ、日帰り入浴を兼ねて、拝見してこようと思っております。
記念館さんも含め、皆様もぜひどうぞ。
【折々のことば・光太郎】
すべて美の発見には眼を新にするといふ事が必要である。唯ひたすらに在来の物の見方にのみ拘泥して其の美の基準からばかり物をうけ入れてゐると、知らぬまに感覚が麻痺して、眼前に呈出された美を見損ふ事がある。
光太郎、伝統的な美の尊重も大事だと考えていましたが、新しい美の創出にも貪欲でした。
ただ、この文章、戦時下でもんぺ姿の女性達にも美を見出すべきだ、というのが趣旨で、何だかなぁ、という感じではあります。
書でたどる創作の日々 光太郎記念館企画展 初公開資料も【花巻】
高村光太郎記念館の企画展「高村光太郎 書の世界」は、花巻市太田の同館で開かれている。書額や原稿など花巻で生み出された作品を通し、光太郎の創作の日々をたどる企画。初公開資料もあり、多くの光太郎ファンでにぎわっている。11月25日まで。同館企画展示室に特設コーナーを設け、詩人の草野心平に贈られた色紙額「不可避」や旧山口小学校の依頼を受け揮毫(きごう)した書額「正直親切」など26点を展示。1950年に旧太田村役場改築記念として制作された「大地麗(だいちうるわし)」は7年ぶりの実物展示とあり、来館者の関心が高い。
このうち光太郎晩年の芸術評論「書についての漫談」原稿は初めて公開される資料。「その時の当人の器量だけの書は巧拙にかかわらず必ず書ける。その代り、いくら骨折っても自分以上の書はかけない。(中略)卑しい根性の出ている書がいちばんいやだ」などの主張が印象的な直筆資料で、読みやすい文字と少ない訂正箇所、著名書作家にも言及した評論の鋭さなどが興味深い。
各資料には制作時期や当時の逸話を記した説明書きもあり、花巻での小太郎の生活や交遊などもうかがい知れる企画展。同館では「(光太郎の)花巻時代の物がまとまって外に出る貴重な機会。作品だけでなく当時のエピソードも紹介できることが(同市)太田で開く企画展の意義」と話し、多くの来館に期待を寄せる。
午前8:30~午後4時30分。期間中無休。一般入場料550円。問い合わせは同記念館=0198(28)3012まで。
「大地麗」の書については、花巻市さんの広報紙『広報』はなまきの10月15日号でも取り上げられています。「花巻歴史探訪[郷土ゆかりの文化財編]」というコーナーです。
この書を書いてもらうにあたって、そうホイホイと書を書いてくれるわけではなかった光太郎に対し、当時の高橋雅郎村長ら、村の中心人物たちは一計を案じました。「女性の頼みなら、無礙に断ることもあるまい」と、村長夫人のアサヨさんを依頼に派遣したのです。ちなみに彼の地で永らく光太郎の語り部を務められた高橋愛子さんはそのご令嬢です。その作戦が当たり、光太郎はこの書を書いてくれました。
もう1件。花巻市さんでは季刊で冊子体の広報誌『花日和』も刊行していますが、その2019年秋号。光太郎も足繁く通った大沢温泉さんが大きく取り上げられています。
大沢温泉さん、昨年8月の台風13号で、別館的な菊水館につながる道路の法面(のりめん)が崩落、食材などの物資を搬入するのが困難となったため、宿泊棟としては休業せざるを得なくなりました。が、建物自体に被害はほとんど無く、今年6月から、ギャラリーとしての活用を始めたそうです。その名も「昔ギャラリー茅(ちがや)」。
いずれ宿泊棟としても再開されるはずですが、当分はこういう活用のようです。やはり建物は利用されないでいると、何というか、生命力みたいなものがどんどん失われるわけで、なかなかいいアイディアですね。
来月初めにまた東北に行く予定があり、宿泊は花巻でと考え、大沢温泉さんで営業中の湯治屋さん(自炊部)、通常の温泉旅館的な山水閣さんを当たりましたら、既に満室でした。まぁ、紅葉シーズンですし、菊水館さんの分のキャパが減っているので仕方がありません。ただ、日帰り入浴を兼ねて、拝見してこようと思っております。
記念館さんも含め、皆様もぜひどうぞ。
【折々のことば・光太郎】
すべて美の発見には眼を新にするといふ事が必要である。唯ひたすらに在来の物の見方にのみ拘泥して其の美の基準からばかり物をうけ入れてゐると、知らぬまに感覚が麻痺して、眼前に呈出された美を見損ふ事がある。
散文「服飾について」より 昭和18年(1943) 光太郎61歳
光太郎、伝統的な美の尊重も大事だと考えていましたが、新しい美の創出にも貪欲でした。
ただ、この文章、戦時下でもんぺ姿の女性達にも美を見出すべきだ、というのが趣旨で、何だかなぁ、という感じではあります。