当会で会報的に発行している冊子です。元々は当会顧問・北川太一先生が昭和35年(1960)から平成5年(1993)にかけ、筑摩書房『高村光太郎全集』等の補遺を旨として第36集まで不定期に発行されていたもので、第37集からその名跡を譲り受けました。題字は北川先生作の木版から採っています。4月の連翹忌、10月の智恵子忌日・レモンの日に合わせて年2回発行しております。ただ、今号は明日からの消費増税の関係で、既に発送済みです。
B5判ホチキス留め、49ページ。今号の内容は以下の通りです。
B5判ホチキス留め、49ページ。今号の内容は以下の通りです。
・ 「光太郎遺珠」から 第十六回 智恵子(三)
筑摩書房の『高村光太郎全集』完結(平成11年=1999)後、新たに見つかり続けている光太郎文筆作品類を、テーマ、時期別にまとめています。今回は戦後の『智恵子抄』、『智恵子抄その後』に関する光太郎書簡をまとめました。
・ 光太郎回想・訪問記 「夕闇の中の光太郎」 澁川驍
これまであまり知られていない(と思われる)光太郎回想文。作家・評論家の澁川驍によるもので、昭和16年(1941)に聞いた光太郎明治末の留学時代の様子を、光太郎没後の昭和32年(1957)になって書いた特異な回想文です。ニューヨーク留学時代に助手として雇ってくれた彫刻家ガットソン・ボーグラムの妹のボディーガードを務めた話、イプセンの「人形の家」で主演した女優アラ・ナジモヴァに送った手紙とその返事の内容など、光太郎自身の回想等にも記述が無く、興味深いものです。
・ 光雲談話筆記集成 『大江戸座談会』より 江戸の見世物(その三)
原本は江戸時代文化研究会発行の雑誌『江戸文化』第二巻第十号(昭和3年=1928)。光太郎の父・光雲を含む各界著名人による座談会の筆録から。
・ 昔の絵葉書で巡る光太郎紀行 第十六回 湯檜曾温泉
見つけるとついつい購入してしまう(最近はこの項を書くため積極的に探していますが)、光太郎智恵子ゆかりの地の古絵葉書を用い、それぞれの地と光太郎智恵子との関わりを追っています。今回は、詩「上州湯檜曾温泉」(昭和4年=1929)の舞台となった、群馬県湯檜曾温泉。
・ 音楽・レコードに見る光太郎 「真珠港特別攻撃隊」(その二)
昭和17年(1942)、箏曲家の今井慶松の依頼で書かれ、翌年、今井の作曲で演奏された「真珠港特別攻撃隊」についてです。
・ 高村智恵子初出索引
智恵子が生前に雑誌等に発表した文筆作品、表紙絵、カットなどを一覧表にしました。
・ 第63回連翹忌報告
4月2日(火)、日比谷松本楼様で執り行いました第63回連翹忌のレポートです。
智恵子が生前に雑誌等に発表した文筆作品、表紙絵、カットなどを一覧表にしました。
・ 第63回連翹忌報告
4月2日(火)、日比谷松本楼様で執り行いました第63回連翹忌のレポートです。
ご入用の方にはお頒けいたします(37集以降のバックナンバーも)。一金10,000円也をお支払いいただければ、年2回、永続的にお送りいたします。通信欄に「光太郎資料購読料」と明記の上、郵便局備え付けの「払込取扱票」にてお願いいたします。ATMから記号番号等の入力でご送金される場合は、漢字でフルネーム、ご住所、電話番号等がわかるよう、ご手配下さい。
ゆうちょ口座 00100-8-782139 加入者名 小山 弘明
今号のみ欲しい、などという方は、このブログのコメント欄等でご連絡いただければと存じます。
【折々のことば・光太郎】
芸術には生命がなければならない。然らば自己内部の心核に深く深く突き入つたものでなければならない。換言すれば自己内部の生活から生れたものでなければならない。
今号のみ欲しい、などという方は、このブログのコメント欄等でご連絡いただければと存じます。
【折々のことば・光太郎】
芸術には生命がなければならない。然らば自己内部の心核に深く深く突き入つたものでなければならない。換言すれば自己内部の生活から生れたものでなければならない。
談話筆記「気分本意の作家を排す」より
大正3年(1914) 光太郎32歳
大正3年(1914) 光太郎32歳
詩の代表作「道程」を執筆した同じ年の談話筆記。芸術観の部分でやはり相通ずるものがありますね。