一昨日のこのブログでは花巻市と十和田市、昨日は二本松市と福島市、光太郎智恵子ゆかりの地での報道等をご紹介しました。本日はそれ以外の地の地方紙記事から。

掲載順に、9月14日(月)、『室蘭民報』さん。

はるみんオススメ書籍(34)『道程』 室蘭民報

 僕の前に道はない
 僕の後ろに道は出来る
 ああ、自然よ004
 父よ
 僕を一人立ちにさせた広大な父よ
 僕から目を離さないで守る事をせよ
 常に父の気魄を僕に充たせよ
 この遠い道程のため
 この遠い道程のため

 敬愛する叔父が逝って1年。いまだ心がその事実に追いつかず、どこか宙に浮いたままの日々を過ごしている。父を失ったときもそうだった。時間が少しずつ痛みを薄めてくれることは、頭ではわかっている。それでも、叔父の不在はまだ生活の輪郭に馴染んでくれない。
 叔父との最初の出会いは、父の従妹である叔母と叔父の結婚式だった。7歳の私と4歳の弟は、花束贈呈という大役を任され、300人を超える参列者の前で緊張のあまり「おめでとうございます」の一言も言えずに花束を差し出した。その日から叔父は、折に触れて静かに寄り添ってくれる存在になった。「叔父さんがいるから大丈夫」―幼い心に灯ったその思いは、長い年月を経ても消えることがなかった。
 父が亡くなったときも、真っ先に駆けつけてくれた。心細かった私に、「通夜と告別式は用事があって行かれないから、今日はいてやるからな」と優しく声をかけ、葬儀社との打ち合わせを黙って見守ってくれた。その温かさは、今も胸の奥に灯のように残っている。
 後年、半世紀以上働き続けた叔父と食事をした折「あ~幸せ幸せ」と呟きながら箸を進める姿を見た。なんと美しい生き方なのだろう―その一言に、叔父の人生観が凝縮されているように思えた。生前に叔父がしたためていた「来し方」を読むと、叔父はまさしく自らの足で人生を切り開いてきた人だったと知る。多くの苦難のなかにあっても「報恩・感謝・貢献」を胸に刻み、仕事においても「創造力・想像力、信念と納得」を貫いた人。静かだが揺るぎない、ひとつの道を歩んだ人だった。
 その生き方は、高村光太郎の「道程」を思わせる。誰も人生の道を用意してはくれない。歩いたあとに初めて〝道〟が生まれる。自分の生き方は自分で創り出すしかない―その詩の祈りと決意が、叔父の背中と重なって見える。私は叔父から受け取ったものに、果たして報いることができるだろうか。あとどれほど生きられるかは分からない。だからこそ、最期まで人知を尽くし天命を待ち、生き切った叔父のように、日々を丁寧に歩んでいこうと思う。
 叔父さん、今まで本当にありがとう。感謝してもしきれません。そして、披露宴のときに言えなかった言葉を、今ようやく届けます。 「おめでとうございます。お幸せに」。
005

「道程」高村光太郎(日本図書センター/愛蔵版詩集シリーズ)

同日、仙台に本社を置く『河北新報』さん。

東北の本棚 書評『父、吉野弘』久保田奈々子・著 娘がひもとく詩人の生

008 <二人が睦(むつ)まじくいるためには 愚かでいるほうがいい>。披露宴のスピーチなどで誰もが聞いたことがあるかもしれない「祝婚歌」の詩人、山形県酒田市出身の吉野弘さん(1926~2014年)の評伝だ。母の死や戦争を挟む激動の時代など詩の背景を、長女がひもとく。
 弘さんは1歳半の時に疫痢にかかり、生死をさまよった。腎臓病を患った母貞さんは、弘さんが酒田商業学校(現酒田光陵高)1年の12歳の時、51歳の若さで亡くなった。後年、現代詩誌「詩学」の新人賞を受賞した「I was born」(1952年)は、母への手向けの作品とされる。
 模範的な作文を書いた皇国少年だった。家庭が貧しくて進学はかなわず、帝国石油に入社。1945年8月20日に陸軍に入隊予定だったが、敗戦で免れた。職場の先輩に高村光太郎らの詩を薦められたのがきっかけになった。
 戦後は一転して労働組合の専従職員に。過労のため結核にかかった。入院中に詩友と出会い、結核感染前から詩作を始めていた弘さんは文学の夢を膨らませていく。
 第1詩集「消息」を自費出版した時、妻喜美子さんは制作費に充てようと、内緒で宝くじを買った。ほとんどの詩の第1読者は喜美子さんだった。弘さんが筆で生きる覚悟を決め、会社を辞めた時の喜美子さんの一言は-。家族の物語こそ一篇(ぺん)の詩のようだ。(青土社・2420円)

著者の久保田奈々子氏、連翹忌の集いにも複数回ご参加下さっています。

ある程度詩に詳しい方なら、奈々子氏を謳った父君の詩「奈々子に」はご存じでしょう。第二詩集『幻・現実』に収められ、のちにそれを表題作とした詩選集も出版されています。

   奈々子に 009

 赤い林檎の頬をして
 眠っている 奈々子。

 お前のお母さんの頬の赤さは
 そっくり
 奈々子の頬にいってしまって
 ひところのお母さんの
 つややかな頬は少し青ざめた
 お父さんにも ちょっと
 酸っぱい思いがふえた。

 唐突だが
 奈々子
 お父さんは お前に
 多くを期待しないだろう。
 ひとが
 ほかからの期待に応えようとして
 どんなに
 自分を駄目にしてしまうか
 お父さんは はっきり
 知ってしまったから。
010
 お父さんが
 お前にあげたいものは
 健康と
 自分を愛する心だ。

 ひとが
 ひとでなくなるのは
 自分を愛することをやめるときだ。

 自分を愛することをやめるとき
 ひとは
 他人を愛することをやめ
 世界を見失ってしまう。

 自分があるとき
 他人があり
 世界がある。
007
 お父さんにも
 お母さんにも
 酸っぱい苦労がふえた。
 苦労は
 今は
 お前にあげられない。

 お前にあげたいものは
 香りのよい健康と
 かちとるにむづかしく
 はぐくむにむづかしい
 自分を愛する心だ。 

これまで奈々子氏、父君の詩集を編まれたり、父君の詩を中心とした朗読会等の主催をなさったりということはあおりでしたが、評伝等は執筆されてこなかったそうで、数十年を経て、いわばこの詩への返し歌のような出版ですね。奈々子氏のブログに、この詩を巡る思い出が綴られています。ご高覧下さい。

続いて9月15日(火)、『奈良新聞』さん。

きょうは「老人の日」。そして今月21日は……

 きょうは「老人の日」。そして今月21日は「敬老の日」。自宅のカレンダーに「老人の日」はないが、県民手帳は「老人週間」と併せて記している。
 振り返ってみると、以前は9月15日の「敬老の日」だけだった。2003年にこの日が9月の第3月曜日に変更され、同月15日は「老人の日」となった。
 「敬老の日」は国民の祝日の一つ。「老人の日」は、高齢者福祉への関心・理解を深めることなどが意義付けされている。だから老人週間も15日から。
 現在普及している電車やバスなどの「優先席」も、1973年9月15日に旧日本国有鉄道(国鉄)の電車内に「シルバーシート」の名称で導入されたのが始まりだ。
 シルバーシートが優先席になっていったのは1997年頃らしい。高齢者、障害者から負傷者、体調不良者、妊婦、乳幼児連れなどへと対象が拡大された。
 わが身は既に「高齢者」の域に入っているが、改めて「高齢者」とか「老人」とは何かと自問する。「死ねば死にきり。自然は水際立ってゐる」(高村光太郎『夏書十題』より)の心境を保ち続けたい、とも思う。
000
かつて祝日「敬老の日」は9月15日に固定でした。その名残で同日は「老人の日」と命名されているようです。

引用されているのは、「夏書十題」(昭和3年=1928)の総題で10篇の短章を集めたもの。「夏書」は「げがき」と読み、仏教用語ですが夏の季語です。

    夏書十題

   青空

 青空は底が抜けて居るといふ。
 なるほど見てゐると
 真剣すぎるほどはるかなものだ。
 しばらく見てゐてそこらを見ると、001
 なんだかそこらがぺちゃんこだ。
 木でも草でも人間でも又鉄骨でも、
 ばかに近くて親密だ。
 あはは、同僚と言ひたくなる。

   底

 底がぬけるといふ事は
 そんなにやさしいことではない。
 だがまた
 そんなにやさしい事かも知れない。
 鏡の中に
 おれの眉毛が伸びてゐる。
 そんな文句は棄てて来い。002

   寒山詩

 蚊えぶしをたいて
 寒山詩をよんでゐると、
 小さな蚊がぱちんと落ちた。
 夜の風が櫻の葉を鳴らしてゐる。

   (一生かかつて)

 一生かかつて
 自己をジヤスチフアイしようとする。
 そいつは何かいやしい。
 そいつはなんだかうつたうしい。
003
   さうか、寒公

 寒山はいふ、
 王秀才はおれの詩を見て、
 蜂腰鶴膝も知らず平仄も解せぬといふが、
 奴の詩は盲が月に詠ずるやうなものだと。
 寒山でもこんな事を言ふのか。
 さうか、寒公

   (夜明けのかなかなに)
 
 夜明けのかなかなに起された。
 眼をつぶつてきいてゐると、
 水色の、青磁色の、雨過霽天の
 あくまで透明の、あくまで一途の、019
 又うつさうと暗いほど青々した
 あの土用波ののつぴきならない
 積極無道の夏がぷんぷん匂つて来た。

   (ヤマノイモの)

 ヤマノイモの蔓が
 三間梯子にからみつく。
 一段、二段、三段、
 毎日うまくのぼつてゆく。
 平気な奴だ。

   死ねば
020
 死ねば死にきり。
 自然は水際立つてゐる。


   無いからいい

 生きよ、生きよ、生き抜いて死ね。
 そのさきは無い、無いからいい。

   一人づつが

 一人づつが眼をあかないで、
 何の全体。
 おれは下からゆく。


続く一節の「生きよ、生きよ、生き抜いて死ね。/そのさきは無い、無いからいい。」あたりも実にいい感じですね。

さて、最後に『信濃毎日新聞』さん。9月18日(金)の掲載で、上田市での演劇公演「『智恵子という名の檸檬』〜わたしの手からとつた一つの檸檬を〜」の予告記事です。

一人の女性の人生、演劇で深める 松本市の俳優の1人芝居、上田市で22、23日に 詩人高村光太郎の詩集「智恵子抄」を題材に

 上田市の民間文化施設「犀(さい)の角」で22、23日、松本市の俳優下地尚子さん(37)が1人芝居「智恵子という名の檸檬(れもん)」を上演する。詩人高村光太郎が妻智恵子をしのんで編んだ詩集「智恵子抄」を題材にしつつ、智恵子の視点からその人生を描く。男性が多い劇団で女性が担う役割を多く演じ、違和感も抱いてきた下地さん。困難を抱えた人が駆け込める宿を併設する犀の角で、一人の女性の人生を深める。
 下地さんは神奈川県出身。2012年から松本市が拠点の劇団「TCアルプ」や「シアターランポン」で活動してきた。そのうち10年ほどは各劇団で唯一の女性。自然と「妻」や「母」といった役が多くなったが、男性の手がける脚本や演出で求められる女性像を演じることに、しっくりこない思いもあった。
 4月に1人芝居への挑戦を決めた時、女性の演出でやりたいと以前から交流があった松本市出身の劇作家・演出家の高山さなえさん(福島県)に協力を依頼。1人の女性の人生を深めることになった。
 高山さんが題材に選んだのが「智恵子抄」。精神の安定を徐々に失っていく智恵子が光太郎の視点から描かれるが、智恵子は画家であり、紙を切り抜いて絵画を作る「紙絵」の作家でもあった。下地さんは、女性の役割から離れたところで「戦いたい」という智恵子の気持ちを感じ取り、共感したという。
 犀の角は、支援の必要な女性の相談に乗っている宿「やどかりハウス」を併設しているだけに、今回の上演に特別の意味合いを感じるという声もある。犀の角スタッフの伊藤茶色さん(34)は、6月、智恵子抄を題材にした別の演劇が上演された際に、「(智恵子が舞台に現れる場面で)やどかりハウスの当事者の1人として来ている感覚もあった」と振り返る。
 下地さんは、女性、芸術家として先輩の智恵子と対話するようにして表現を磨いている。「共感できるところ、甘えだと思うところそれぞれに向き合ってみたい」と意気込む。上演は22日午後7時と23日午後2時から。一般3千円など。専用フォーム= https://forms.gle/X4T8ZKAb58MLMwXy8 =から予約できる。 
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芝居で使う小道具を確かめる下地さん(右)と伊藤さん

というわけで、今日はこれから愛車を駆って信州へと旅立ち、こちらを拝見して参ります。その前に安曇野の碌山美術館さんでの「高村光太郎没後70年 高村智恵子生誕140年 高村光太郎・智恵子展」も開幕しましたので、そちらも併せて拝見してきます。台風25号は通り過ぎましたが、途中で土砂崩れだの洪水だのが起こっていないことを祈るばかりです。

【高村光太郎書誌】

詩華集 65 『近代名詩選集』

昭和19年(1944)2月10日 千歳書房 山田岩三郎編者代表
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収録作家
 土井晩翠 島崎藤村 河井酔茗 野口米次郎 伊良子清白 蒲原有明 薄田泣菫 横瀬夜雨
 高村光太郎 山村暮鳥 北原白秋 千家元麿 川路柳虹 萩原朔太郎 室生犀星 三木露風
 三富朽葉 日夏耿之介 佐藤惣之助 西條八十 堀口大学 百田宗治 深尾須磨子
 尾崎喜八 宮澤賢治 吉田一穂 笹沢美明 壺井繁治 佐藤一英 蔵原伸二郎 三好達治
 北川冬彦 丸山薫 高橋新吉 村野四郎 佐伯郁郎 岡本潤 平田内蔵吉 立原道造
 乾直恵 草野心平 永瀬清子 阪本越郎 田中冬二 竹内てるよ 中山省三郞 神保光太郎
 大江満雄 山之口貘 壺田花子 伊東静雄 安藤一郎 山田岩三郎 高祖保 大木実
 菱山修三 菊岡久利 津村信夫 村上成実 野田宇太郎 大島博光 田中克己 江間章子
 稲津静雄

光太郎詩は「老耼、道を行く」「樹下の二人」「鯰」「レモン哀歌」「秋風辞」「地理の書」。翼賛詩でないものが中心で、他の作者のものもそうです。中にはコテコテの翼賛詩も含まれていますが、どうもそのあたりはカムフラージュかな、と思われます。大政翼賛会などの主導に依らない出版物には、この手の「反戦」とは行かないものの「厭戦」的なニュアンスが感じられるものも存在しました。