今月初めから始まっている展覧会ですが、館のPCだかサーバーだかプロバイダだかの不具合とのことで、公式サイトに詳細情報が出て居らず紹介できないでいましたところ、盛岡在住の光太郎親族・加藤千晴氏がフライヤーのコピーを送って下さり、とりあえず基本的な情報は掴めましたのでご紹介します。

開館30周年記念展「深沢紅子と出会いの偉大なる人々 ~高村光太郎~」

期 日 : 2026年9月3日(木)~2027年1月11日(月・祝)
会 場 : 深沢紅子野の花美術館 盛岡市紺屋町4-8
時 間 : 10:00~17:00(最終日は15:00まで)
休 館 : 月曜日(祝祭日の場合はその翌日) 年末年始(12月28日(月)~1月4日(月))
料 金 : 大人500円(団体20名様以上の場合は400円) 大高生300円 中小生200円

 画家・深沢紅子は、明治36年(1903)盛岡に生まれ育ちました。幼い頃から道端や川原に咲く身近な野の花を愛し、花との対話を楽しみながら、生涯、野の花を主題とした独自の画境で、女流画家の草分けとなって活躍しました。
 また、戦後ふるさとに疎開した折には、荒廃した地で気力を失った人々のくらしを憂い、夫であり画家の深沢省三とともに文化による復興を誓い美術指導に奔走、岩手の美術教育の礎となり尽力しました。小・中学校の子どもたちを対象とした日曜図画教室にはじまり、日中に働いている若者たちを集めて岩手美術研究所、やがて学校の形となる岩手県立美術工芸学校、盛岡短期大学美術工芸科、更に発展を遂げた岩手大学特設美術科など、当時同じように疎開した県出身の美術家達との力を合わせた取り組みは、全国に先駆け大きな機運をもたらしました。そんな深沢夫妻が熱心に美術教育に取り組む中、心の支えとなり大きな示唆と勇気を与えてくれた人に、高村光太郎氏がいました。縁あって岩手で疎開し独居生活を送られていた光太郎氏に、美術学校の生徒を連れ訪問したり、美術工芸学校のスタート時には祝辞を賜るなど、沢山の温かい交流がありました。
 この度の展覧会では、深沢夫妻が師と仰いだ高村光太郎氏についてもふれながら、岩手における文芸復興の大きな力となり、美の研鑽に励んだ深沢省三・紅子の功績を、あらためて讃える機会といたします。

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関連行事
 中津川のせせらぎセッション 秋風に音楽をのせて
   VARIETY SHORT LIVES by the Nakatsu River
 日 時 : 2026年10月24日(土) 14:00開演
 出 演 : フルート 村野井友奈 ピアノ 長谷川恭一
 料 金 : 入館料+500円 要申し込み


案内文にあるとおり、岩手県立美術工芸学校の創設に尽力し、その初期の活動を担った深沢夫妻と、同校名誉教授就任を打診されながら辞退したものの、何度も足を運んだり、会食に招かれたりして学校ぐるみの付き合いのあった光太郎との交流に関する展示です。

案内文の「同じように疎開した県出身の美術家達」は、初代校長にして美術評論家・森口多里、教授陣で彫刻家の舟越保武、画家の佐々木一郎、同じく池田龍甫など。

フライヤー裏面の画像のうち、宮沢賢治の「雨ニモマケズ」の一節を引いた書は、光太郎の揮毫。深沢夫妻の子息にして、雫石町に開拓入植した深沢龍一氏(戦時中の光太郎詩「四人の学生」のモデルにもなりました)に贈られたものです。龍一氏の息女・加藤真夢様が受け継がれて、令和3年(2021)、富山県水墨美術館さんで開催され、当方もいろいろとお手伝いした「チューリップテレビ開局30周年記念「画壇の三筆」熊谷守一・高村光太郎・中川一政の世界展」の際にもお借りして展示しました。フライヤー裏面一番下の画像は雫石の龍一氏邸。背景にこの書が写っています。

ちなみに野の花美術館さんのすぐ近くで歩いて移動できる盛岡てがみ館さんでも、来月中旬には「第78回企画展 高村光太郎没後70年「高村光太郎と岩手の人~手紙にみる交流~」」が始まります。おそらく館蔵品が中心と思われますが、学芸員氏や館長氏によるギャラリートークなども予定されています。また近くなりましたら詳細をご紹介いたします。当方、こちらが始まりましたら2館併せてお伺いするつもりで居ります。

皆様方も是非どうぞ。

【高村光太郎書誌】

詩華集 61 『日本詩集 第二輯』

昭和18年(1943)9月5日 淡海堂出版 野長瀬正夫編
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収録作家
 大木惇夫 岡本潤 勝承夫 高村光太郎 南江治郎 中野繁雄 武者小路実篤 野長瀬正夫
 山本和夫 高祖保 江口隼人 安藤一郎 佐伯郁郎 阪本越郎 佐川英子 北村秀雄
 三ツ村繁蔵 日野岩太郎 杉原邦太郎 千家元麿

前年に同じ野長瀬の編で洛陽書院から出た『日本詩集』の続編という位置づけです。

光太郎作品は散文の「詩人も一兵である」、詩で「供木のことば」「紀元節を迎ふ」「撃ちてし止まむ」 「神の如く行へ」「みなもとに帰するもの」「覆滅彼にあり」「神これを欲したまふ」。