9月13日(日)に上京しまして、2件の展覧会をハシゴ。昨日はそのうち東京都写真美術館さんでの「出光真子 おんなのさくひん――ある映像作家の自伝」展をレポートいたしました。今日はもう1件の21_21 DESIGN SIGHTギャラリーさんでのをレポートしようかと思っておりましたが、「出光真子 おんなのさくひん――ある映像作家の自伝」展について書かれた『週刊金曜日』さんが届きまして、そちらからご紹介します。同展が9月21日(月・祝)までの開催なので、まごまごしていると終わってしまいますから。
9月4日号(1583号)と、9月11日号(1584号)の2号で「出光真子 おんなのさくひん――ある映像作家の自伝」展に触れられています。
まず9月4日号(1583号)。「出光真子 「私」のフェミニンが社会を動かす■映像作家が映した「おんな」の葛藤」と題し、6ページ。
初めに「半世紀前の映像が暴く2020年代の「見えない檻」 映像作家に聴く 見えない抑圧を予見した「眼」」ということで、出光氏へのインタビュー。
リード文。
自伝的な映像表現を通じ、密室化された家庭や性役割の抑圧を鋭く撃ち続けてきた出光真子氏。半世紀余りの作品を一堂に集めた回顧展には世代を超えた人々が詰めかけている。女性首相の誕生をめぐり社会が分断を深める中、保守回帰や目に見えぬ規範が人々を縛る2020年代の日本社会。86歳を迎えた先駆者は、自らの足跡と「現在」をいかに見つめているのか。
途中途中に附された小見出しが「「時代遅れ」の女性首相」「家父長制の抑圧」「映像は闘うための武器」「現代のデジタル監視社会」「《直前の過去》の恐怖」「世間に遠慮するな」。
「出光真子 おんなのさくひん――ある映像作家の自伝」展出品作にして「彫刻家で詩人の高村光太郎と画家の高村智恵子の関係を参照し構想され、さらに、パリで画家を志すも苦悩の末に急逝した長姉に捧げられている」という映像作品「清子の場合」については……
――《英雄ちゃん、ママよ》(83年)や《清子の場合》(89年)では、家庭という密室における母子の過密な依存関係や、表現への野心を持つ女性が家庭的役割によって潰(つぶ)されてゆく悲劇を描かれました。
日本の女性は家の中では実質的な主権を握っていて強い側面もあります。台所も財布も任されている。だけど男性の側はそれを知らずに「俺がこの家の主だ」と思い込んでいる。一方、女性の側も「完璧な母・主婦でいなければならない」おいう見えない規範を内面化させられているんです。《清子の場合》は、家庭と芸術の板挟みで倒れた長姉と、私自身の体験を重ねて書いたシナリオですが、主婦という枠組みに押しこめられた女性の能力は、時に自分や子供を脅かす凶器になり得るのです。
もう一つ、同様のテーマで制作された《加恵、女の子でしょ!》(平成8年=1996)については細かな言及がありませんでしたが、画像が大きく載っていました。
会場でこのカットを拝見した際、当方はジョン・エヴァレット・ミレーの「オフィーリア」を連想しました。
同じイメージを抱かれた方も少なくないのでは、と思うのですがどうでしょうか。
さらに同志社大学さんの菅野優香教授による展覧会評「「主婦」の密室から自己監視の時代へ 「奇妙な新しさ」の正体──出光真子の映像知」1ページも掲載されています。
それから9月11日号(1584号)。こちらでは「編集後記」。
気になるのは「夫の創作に献身した」という一言。たしかに智恵子は光太郎の巨大な才能に圧倒され、刀折れ矢尽きて毀れていった部分はありますが、決して「夫の創作に献身した」わけでもありません。1年に3、4ヶ月は光太郎をほっぽらかして福島の実家に帰っていた事実があるわけで。ただ、この二人の関係性には余人にははかりがたいものがあったことはもちろんで、もしかすると智恵子の意識としては「夫の創作に献身した」だったのかもしれませんが。
以上、『週刊金曜日』さん。
それ以外に、昨日も書きましたが、会場で無料配付のリーフレットにも出光氏へのインタビューが掲載されています。ただし、こちらでは《清子の場合》《加恵、女の子でしょ!》や光太郎智恵子に特化した部分はありませんでしたが。
繰り返しますが、東京都写真美術館さんでの「出光真子 おんなのさくひん――ある映像作家の自伝」展、9月21日(月・祝)までの開催です。ぜひ足をお運びください。
野口米次郎 河井酔茗 高村光太郎 川路柳虹 正富汪洋 佐藤春夫 服部嘉香 西條八十
白鳥省吾 奥栄一 前田鉄之助 大木惇夫 井上康文 佐藤一英 瀧口武士 齋藤光次郎
勝承夫 月原橙一郎 与田準一 高木恭造 乾直恵 巽聖歌 江口隼人 杉本駿彦
都築益世 木下夕爾 坂野草史 加藤健 鈴樹昌 竹内てるよ 佐川英三 仲村久慈
笠豊秋 大野良子 南江治郎
光太郎作品は詩「夜を寝ねざりし暁に書く」と、前年に歿した北原白秋の追悼文「童心と叡智の詩人-北原白秋の業績-」。
扉には武人と思われる埴輪の絵。「武人埴輪」=「大王を警護する武人を象(かたど)ったもの」。そこで、「皇軍兵士」へと類推が働き、さまざまな美術作品や工芸品、書籍類の表紙その他に埴輪が「国威発揚」「戦意高揚」といった使命を担わされ、多用されました。一昨年にはそのあたりに的を絞った企画展「ハニワと土偶の近代」が竹橋の東京国立近代美術館(MOMAT)さんで開催され、光太郎にも触れられました。
タイトルの「御楯われら」は、既に敗色濃厚だったこの時期、われら皇国臣民一人一人が鬼畜米英の侵攻から「現人神」をお守りする「楯」たらん、ということでしょう。ついでに言うなら版元の旺文社さんは、元々「欧文社」だったものが、昭和15年(1940)に「欧」の字が敵性語と見なされ、社名を変更させられています。同盟国のドイツやイタリアも欧州なのに、むちゃくちゃですね。
発行日が8月15日です。2年後の同じ日に終戦の玉音放送があるなど、この時点では誰一人予想していなかったでしょう。
9月4日号(1583号)と、9月11日号(1584号)の2号で「出光真子 おんなのさくひん――ある映像作家の自伝」展に触れられています。
まず9月4日号(1583号)。「出光真子 「私」のフェミニンが社会を動かす■映像作家が映した「おんな」の葛藤」と題し、6ページ。
初めに「半世紀前の映像が暴く2020年代の「見えない檻」 映像作家に聴く 見えない抑圧を予見した「眼」」ということで、出光氏へのインタビュー。
リード文。
自伝的な映像表現を通じ、密室化された家庭や性役割の抑圧を鋭く撃ち続けてきた出光真子氏。半世紀余りの作品を一堂に集めた回顧展には世代を超えた人々が詰めかけている。女性首相の誕生をめぐり社会が分断を深める中、保守回帰や目に見えぬ規範が人々を縛る2020年代の日本社会。86歳を迎えた先駆者は、自らの足跡と「現在」をいかに見つめているのか。
途中途中に附された小見出しが「「時代遅れ」の女性首相」「家父長制の抑圧」「映像は闘うための武器」「現代のデジタル監視社会」「《直前の過去》の恐怖」「世間に遠慮するな」。
「出光真子 おんなのさくひん――ある映像作家の自伝」展出品作にして「彫刻家で詩人の高村光太郎と画家の高村智恵子の関係を参照し構想され、さらに、パリで画家を志すも苦悩の末に急逝した長姉に捧げられている」という映像作品「清子の場合」については……
――《英雄ちゃん、ママよ》(83年)や《清子の場合》(89年)では、家庭という密室における母子の過密な依存関係や、表現への野心を持つ女性が家庭的役割によって潰(つぶ)されてゆく悲劇を描かれました。
日本の女性は家の中では実質的な主権を握っていて強い側面もあります。台所も財布も任されている。だけど男性の側はそれを知らずに「俺がこの家の主だ」と思い込んでいる。一方、女性の側も「完璧な母・主婦でいなければならない」おいう見えない規範を内面化させられているんです。《清子の場合》は、家庭と芸術の板挟みで倒れた長姉と、私自身の体験を重ねて書いたシナリオですが、主婦という枠組みに押しこめられた女性の能力は、時に自分や子供を脅かす凶器になり得るのです。
もう一つ、同様のテーマで制作された《加恵、女の子でしょ!》(平成8年=1996)については細かな言及がありませんでしたが、画像が大きく載っていました。
会場でこのカットを拝見した際、当方はジョン・エヴァレット・ミレーの「オフィーリア」を連想しました。
同じイメージを抱かれた方も少なくないのでは、と思うのですがどうでしょうか。
さらに同志社大学さんの菅野優香教授による展覧会評「「主婦」の密室から自己監視の時代へ 「奇妙な新しさ」の正体──出光真子の映像知」1ページも掲載されています。
それから9月11日号(1584号)。こちらでは「編集後記」。
10年前の初秋、彫刻家・詩人の高村光太郎の妻、智恵子ゆかりの地を訪ねた。故郷・福島の安達太良山で彼女が焦がれた〈ほんとの空〉を仰ぎ、別の年には青森・秋田県境の十和田湖畔で、光太郎が刻んだ乙女像2体と向き合った。
光太郎の詩集『智恵子抄』は、心を病んで命を落とす智恵子への鎮魂とされる。岩下志麻さんが彼女を演じた映画(1967年)は今も胸を刺す。画家の夢を捨て、夫の創作に献身した果ての心の破綻。「芸術」という美名の下に隠れた性差別が追い詰めたのだろう。
「智恵子が自身の夢を追っていたら、あんなふうにはならなかった」。先日話を伺った映像作家・出光真子さんの見解だ(本誌9月4日号)。自身もかつて批評の名を借りた差別的言辞に苦しめられたという。米国人画家と別れ、再婚した修平さんの佇まいが清々しい。「僕はそっちのほうはわからないから」と、真子さんの創作に干渉しない。旺盛に自己表現を続けた真子さんの自由な翼は、この「良い意味で無関心な」伴侶に支えられていたと感じる。
「献身」の果てに犠牲者を出すのはもう終わりにしよう。もし智恵子が自身の夢を追えていたなら、光太郎の詩も違った形になっていたはずだ。
気になるのは「夫の創作に献身した」という一言。たしかに智恵子は光太郎の巨大な才能に圧倒され、刀折れ矢尽きて毀れていった部分はありますが、決して「夫の創作に献身した」わけでもありません。1年に3、4ヶ月は光太郎をほっぽらかして福島の実家に帰っていた事実があるわけで。ただ、この二人の関係性には余人にははかりがたいものがあったことはもちろんで、もしかすると智恵子の意識としては「夫の創作に献身した」だったのかもしれませんが。
以上、『週刊金曜日』さん。
それ以外に、昨日も書きましたが、会場で無料配付のリーフレットにも出光氏へのインタビューが掲載されています。ただし、こちらでは《清子の場合》《加恵、女の子でしょ!》や光太郎智恵子に特化した部分はありませんでしたが。
繰り返しますが、東京都写真美術館さんでの「出光真子 おんなのさくひん――ある映像作家の自伝」展、9月21日(月・祝)までの開催です。ぜひ足をお運びください。
【高村光太郎書誌】
詩華集 58 『青年朗唱詩集 御楯われら』
昭和18年(1943)8月15日 旺文社 詩人同志会編
収録作家野口米次郎 河井酔茗 高村光太郎 川路柳虹 正富汪洋 佐藤春夫 服部嘉香 西條八十
白鳥省吾 奥栄一 前田鉄之助 大木惇夫 井上康文 佐藤一英 瀧口武士 齋藤光次郎
勝承夫 月原橙一郎 与田準一 高木恭造 乾直恵 巽聖歌 江口隼人 杉本駿彦
都築益世 木下夕爾 坂野草史 加藤健 鈴樹昌 竹内てるよ 佐川英三 仲村久慈
笠豊秋 大野良子 南江治郎
光太郎作品は詩「夜を寝ねざりし暁に書く」と、前年に歿した北原白秋の追悼文「童心と叡智の詩人-北原白秋の業績-」。
扉には武人と思われる埴輪の絵。「武人埴輪」=「大王を警護する武人を象(かたど)ったもの」。そこで、「皇軍兵士」へと類推が働き、さまざまな美術作品や工芸品、書籍類の表紙その他に埴輪が「国威発揚」「戦意高揚」といった使命を担わされ、多用されました。一昨年にはそのあたりに的を絞った企画展「ハニワと土偶の近代」が竹橋の東京国立近代美術館(MOMAT)さんで開催され、光太郎にも触れられました。
タイトルの「御楯われら」は、既に敗色濃厚だったこの時期、われら皇国臣民一人一人が鬼畜米英の侵攻から「現人神」をお守りする「楯」たらん、ということでしょう。ついでに言うなら版元の旺文社さんは、元々「欧文社」だったものが、昭和15年(1940)に「欧」の字が敵性語と見なされ、社名を変更させられています。同盟国のドイツやイタリアも欧州なのに、むちゃくちゃですね。
発行日が8月15日です。2年後の同じ日に終戦の玉音放送があるなど、この時点では誰一人予想していなかったでしょう。







