昨日は2週連続で上京し、展覧会を2つハシゴして参りました。
まず恵比寿の東京都写真美術館さんで開催されている「出光真子 おんなのさくひん――ある映像作家の自伝」。映像作品を中心としたもので、6月には始まっていたのですが、先週になって相次いでレビュー等がネットに出て、「え、こんなんやってたんかい?」と、慌てて拝見に伺った次第です。
レビューのうち、『美術手帖』さん掲載のもの。
まず恵比寿の東京都写真美術館さんで開催されている「出光真子 おんなのさくひん――ある映像作家の自伝」。映像作品を中心としたもので、6月には始まっていたのですが、先週になって相次いでレビュー等がネットに出て、「え、こんなんやってたんかい?」と、慌てて拝見に伺った次第です。
レビューのうち、『美術手帖』さん掲載のもの。
自らの人生を取り戻すための表現
2026年7月17日、参院本会議において皇室典範改正案が可決され、成立した。同典範本則の実質的な改正は、1949年の施行以来初の事例である。改正後、皇族が旧宮家の15歳以上の男性を養子に迎えること、また女性皇族が皇族以外の者と婚姻した場合にも皇族としての身分を維持することが認められるようになる。いっぽうで、女性天皇の即位を認めないという原則は変更されていない。報道によれば、高市早苗首相らは皇位継承を男性に限定することが皇室の正統性を維持するため必要であるとの立場を示している(森、ユー、2026)。
ここで問われているのは、皇位継承のあり方という限定された問題だけだろうか。実際に浮かび上がってくるのは、血統や性別によって人間の役割をあらかじめ区分し、その区分を制度によって維持する論理そのものかもしれない。今夏、このことを考えるうえで興味深い2つの展覧会があった。本稿では、東京都写真美術館「出光真子 おんなのさくひん――ある映像作家の自伝」および東京・神宮前のギャラリー、LAG(LIVE ART GALLERY)での「山沢栄子 What I Am Doing」を取り上げる。
「出光真子 おんなのさくひん――ある映像作家の自伝」(東京都写真美術館)
1940年、出光興産創業者・出光佐三の四女に生まれる。お茶の水女子大学附属小・中・高から早稲田大学第一文学部に進む。卒業後ニューヨークへ留学。抽象画家サム・フランシスと結婚。二児の母。妻であり母であることを超える創造表現への想いやみがたく、映像作家の道を歩む(会場テキストより)。
出光真子「おんなのさくひん」展に添えられた華やかな作家略歴を見て、筆者の頭には低俗な羨望の気持ちが首をもたげる。嗚呼。まるで雲の上の人。しかし、展示作品を半分も鑑賞しきらないうちに、もっと別の感情が渦巻き始める。嗚呼。この人は、資本主義と結託した家父長制の過酷さに、誰よりも近い距離で向き合ってきたのだ。
同展には1970年代から2000年代まで、出光の作品が28点揃っている。それらのなかでも、活動初期にアメリカで撮影されたいくつかの作品においては、物語的な筋書きよりも身体に直接訴えかけるイメージが前景化されている。例えば《Woman’s house》(1972)はカリフォルニア芸術大学において企画された「ウーマンハウス」(*1)という教育プログラムの様子を記録したドキュメンタリー的な映像である。この作品は、当時としては珍しい16ミリカメラで撮影されているが、これは出光が当時「女性はメカに弱い」というステレオタイプに対抗すべく、カメラの扱いを自主的に学んだことが背景にある(*2)。
また、展覧会タイトルにもなっている《おんなのさくひん》(1973)は出光にとって初のビデオ作品であり、当時は高価で珍しかったという白黒のオープンリール式機材で撮影された。白っぽい画面に靄がかった被写体が浮かび上がり、一見しただけではこれがなんなのか判然としない。じつは、写されているのはトイレに浮かぶ使用済みのタンポンである(*3)。映像に重ねられて聞こえてくるのは、鑑賞者の頭上からは女児を出産した女性に対して訥々と言い聞かせるようなボイスオーバーだ。「男は尊く強く、女は卑しく弱いことが天理なのです」……女児が男児に比べていかに下位の存在であるかを示唆するナレーションが頭上から降り注ぐインスタレーションの構造は、日本社会にはびこる家父長制的な抑圧システムそのものを身体的に追体験させているようでもある。
いっぽう、1980年代以降の出光は、筋書きやせりふを用意した明確な物語性をもつ作品も制作するようになる。とくに印象的だったのが、《清子の場合》(1989)と《加恵、女の子でしょ!》(1996)である。両作品は、出光自身やその家族の経験、さらには高村光太郎と高村智恵子といった美術史上の人物を参照しながら制作された。《清子の場合》では、世間体を気にする両親に急かされて結婚した画家志望の「清子」が主人公となる。結婚後、清子は主婦として家庭内の役割に追われることで制作時間を失いはじめる。画業を続けようとすれば「金にならないものを作るのはただの遊びだろう」。画面いっぱいに映し出される義母や父の唇から否定的な言葉が次々と吐き出され、清子を追い詰めていく。やがて清子はTVを踏み台にして縊死する。
家事や育児は家庭に不可欠な労働でありながら、賃金を生まないという理由でしばしば「仕事」として可視化されない。インスタントな収入を生まない創作活動は、「遊び」として片づけられる。夫が寝食を忘れ仕事に打ち込めば「情熱」だが、妻が画業のなかで夫の食事の用意が間に合わなくなることは「怠惰」だ。「画家として20代で成功するなんて稀だ」と清子が主張しても、「27歳で芽が出ていないのだから諦めろ」という言葉が降りかかる。女性が職業人として成功しようとすれば、男性以上の成果を要求されるのだ。つまり清子は、家庭内労働を担うことを期待されながら、家庭外では創作者として男性以上のスピードで経済価値を生み出すことを要求されるという二重の拘束のなかに置かれている。出光がこの作品を撮影したのは1989年だが、2010年代に入ってもなお大学入試において女子の得点が不当に減点された事例も記憶に新しく(*4)、日本の社会にはいまも構造的男女差別が根強く残っている。《清子の場合》が描き出す、女性であることを理由として選択肢が先回りして制約される構造は、決して過去のものではない。
続く《加恵、女の子でしょ!》もまた、この構造を別の角度から描き出している。美術学生の「加恵」は子供の頃から「女の子だから」という理由で様々な行動を制限される環境に育った。美大卒業後は同級生の実(みのる)と結ばれ、お互い画業に邁進するよう約束するが、生活のなかで加恵の制作時間はどんどん圧迫されていく。最初は同じ大きさだったキャンバスがどんどん不平等になり、最初は巨大なキャンバスに投影されていたイメージが買い物袋やシンクの皿へと矮小化されていく描写は、加恵の選択肢が狭められていく息苦しさを物理的に可視化しているようだ。美大教員、ギャラリスト、批評家たちは、揃って男性である実だけを職業画家として評価し、加恵は「内助の功」的なポジションに留め置く。
周囲からの偏見のなかで一度は失望する加恵だったが、最終的に画業を諦めることはせず、自身の母と連帯しながら再び絵筆を握る。かつて「加恵は女の子だから、可愛く諦めちゃったほうがお得よ」と教えた母に対し、今度は加恵が「夫とは別れる、私は絵を諦めないから、一緒に暮らそうよ」と語りかけ、世代を超えて再生産されてきたジェンダー規範の書き換えを試みるのだ。ラストシーンでは、個展を成功させた加恵の前に元夫の現在の妻があらわれ、画面の中から私たちをじっと見つめる。この女性の瞳に、夫と離婚し自分の道を歩む加恵の姿はどう映るのだろう? この「もうひとりの加恵」の存在が、《清子の場合》が見せる出口のないトンネルを破壊し、私たちにもっと自由な別の結末を想像させてくれる。
両作品に続いて、展覧会の終盤には映像インスタレーション《直前の過去》(2004)が展示されている。手前に設置された透けるスクリーンに展示されているのは出光家の家族写真である。戦争の混乱期にあっても家族写真を残しているということから、出光家の裕福な暮らしぶりがうかがえる。翻って、透けて見える奥のスクリーンには、凄惨な戦禍を捉えた映像や報道写真が投影されている。モノクロ写真からでも伝わる仕立てのよい着物を纏った出光の母に、従軍慰安婦の証言映像が重なる。学ラン姿で高等教育を受けていることがうかがえる出光の兄に、戦地へと向かう若い兵士たちが重なる。威厳ある佇まいの父に、菊の御紋と戦時中のプロパガンダが重なる。この作品は「家族の中の権力関係と戦争の権力関係が交差」する様子を表現している(笠原、2022、341頁)。《清子の場合》などで出光が描いてきた「家庭」は、社会の最小単位ともいえる家族、イエ制度のなかにおける家父長的な権力勾配であった。それが《直前の過去》ではより大きな国家的権力へと接続され、性別によって人間を序列化する家父長的な論理と、国家が人間を属性によって統制する戦争の論理とのあいだに連続性が見出されるのだ。世界のあらゆる場所で戦禍が巻き起こるいまだからこそ、この作品が伝えるメッセージは私たちの心に重く響いてくる。
*1──《Womanhouse》(1972)は、ジュディ・シカゴとアーティストのミリアム・シャピロはカリフォルニア芸術大学のフェミニスト・アート・プログラムに所属する学生や地元アーティストたちとともに、放置されていた邸宅をフェミニスト・アート作品で満たされた空間へとつくり替えたプロジェクト。邸宅のそれぞれの部屋で、異なるテーマのフェミニスト的なインスタレーションが展開された(Takac、2025)。
*2──「女性がメカに弱い」というステレオタイプは、女性解放草の根運動グループ「C・R(意識覚醒)」でも解決すべき主題となっており、出光もそのグループ活動に参加するなかで機械への苦手意識を克服する決意ができたと述べている(出光、2003、59-60頁)。また、出光は雑誌のインタビューにおいて「どうして今まで女性作家は少なかったんでしょうか」という問いに対し「企画を実行するとか、メカに強くなるとか、私たちの世代では女性に不向きなことのように考えらえていたことをクリアしないと映像作品は作れない」と回答している(イメージフォーラム編集部、1992、61頁)。斉藤綾子によれば、1960年代終わりから70年代初頭にかけてのアメリカにおいてはフェミニズム運動が活発化し、16ミリカメラでの撮影を手がける女性作家たちが増え始めていた状況もあり、この時代にアメリカで過ごしたことは出光が映像という表現手段を選択したことと深く関係している(斉藤、2025、126頁)。
*3──この作品のなかで被写体となっているタンポンや経血はいわば穢れた存在、美術史のなかで描写の対象になりにくかったモチーフだと言える。しかし、それらに向けられたことは、斉藤綾子の言葉を借りれば「おとしめられてきた経血に対するある種のいとおしさ」と「再生産という生物的・社会的に規定された女性性に対する反発」(斉藤、2025、128頁)という、二律背反的でありながらも同じ「女性」の身体が内包する感覚を映し出してもいるようである。
*4──菅沼(2022)によれば、2013年度から18年度にかけ、一部の男性受験者だけに加点をする等の取扱いをするなどして、東京医大、順天堂大学など複数の大学が女性にとって不利になるような入試判定を行っていたことがわかった。
会場の東京都写真美術館さん。

会場の東京都写真美術館さん。

午前10時の開館と同時に入り、『美術手帖』さんで紹介されていた映像作品2本をすぐに拝見。1本目の《清子の場合》はオープン5分後からの上映開始でして。
あまり大きくないテレビモニターでの上映でした。
あまり大きくないテレビモニターでの上映でした。
平成元年(1989)の作品で、16㍉カメラでの撮影だそうでした。この頃にはVHSのビデオテープで撮れるビデオカメラは既にあったはずですが、あえて16㍉フィルムにこだわったのでしょうか。
せりふは日本語ですが、字幕は英語でした。海外の方々への対応なのでしょう。
あらすじは上記『美術手帖』さん記事にほとんどネタバレ的に紹介されていますので、そちらをご参照いただきたいのですが、主人公・清子に対する周囲の扱いがとにかくひどいのです。二言目には「女なんだから」。象徴的なせりふが「金にならないものを作るのはただの遊びだろう」。
光太郎智恵子の関係性を参照したとのことで、確かに智恵子もこうした偏見や決めつけ、社会的慣習などに苦しめられたことは想像に難くありませんが、ここまでひどくはなかったろうと思いました。光太郎は当時としては珍しく、家事分担も積極的に行っていたようですし、智恵子が1年に3、4ヶ月も福島の実家に帰ることも厭いませんでした。同居はしていなかった舅の光雲も自身が彫刻家ということで、それなりに理解はあったと思われます。
続いて《加恵、女の子でしょ!》。こちらは平成8年(1996)の作品。
やはりさまざまな部分で不当な扱いを受ける美術家志望の女性・加恵が主人公です。
こちらは《清子の場合》の倍以上の長さで、その分、主人公・加恵の置かれた状況がエピソード豊富に細かく描かれていました。
加恵の師である美大の教授?は、男子学生には甘く、女子学生には辛い評価ばかり。加恵渾身の自信作にも「時間が掛かったろう、ごくろうさま」と、「それだけ?」。男子でも駄目な学生には「女のような」とか「女でも頑張っているのに」など。
パートナーとなった男性画家は、はじめ「対等にやっていこう」みたいなことを言っていたのに、だんだん自分が優先されるのが当然だ、的な感じに。周囲の画商や美術評論家などもそれが当たり前だというスタンス。
はじめ、ちょうど半々だったアトリエでの二人の作品の内、右のパートナーの絵が次第に増殖し、左の加恵のものはどんどん小さくなっていくという手法で、二人の関係性が象徴されていました。
そして加恵に求められるのは「内助の功」ばかり。こういう部分でもやはり光太郎智恵子が意識されていたのでしょう。
しかし、《清子の場合》とは異なり、一度うちひしがれた加恵は、新たな理解あるパートナーの出現などもあって、画家として立つことに成功します。《清子の場合》が平成元年(1989)、《加恵、女の子でしょ!》は平成8年(1996)、その間に多少は女性を取り巻く社会全体の環境が改善というか、少なくとも悪化はしなかったということかもしれません。
女性はこれらの作品を見て、「そうそう、あるある」「ほんとに男ってひどいよね」という感想を抱き、そして男性は自らの中の勝手なジェンダーバイアスを突きつけられて困惑するのでしょう。また「女の敵は女」といった部分も描かれ、特に母親が兄と差別し「女の子でしょ?」。
ただ、繰り返しますが、光太郎はここまでひどい男ではなかったはず。智恵子は光太郎という巨大な才能に対等であろうと背伸びをしすぎ、自縄自縛に陥ったと考えるのが適当ではないでしょうか。
また、光太郎は智恵子没後に書かれた散文「智恵子の半生」(昭和15年=1940)に「例へば生活するのが東京でなくて郷里、或は何処かの田園であり、又配偶者が私のやうな美術家でなく、美術に理解ある他の職業の者、殊に農耕牧畜に従事してゐるやうな者であつた場合にはどうであつたらうと考へられる。或はもつと天然の寿を全うし得たかも知れない。」と書いていますが、それもどうかな、という気がします。結局は「金にならないものを作るのはただの遊びだろう」と言われて終わりだったような……。あるいは田園の農家でのほほんと絵を描いていてものほほんとした作品しか出来なかったような気もします。
他の映像作品等も、それぞれにいろいろな問いかけ。
あと1週間ですが、展覧会詳細。
中央画像の扉題字は光太郎の筆跡です。明らかに左画像の表紙題字よりいい字ですね。詩は「山道のをばさん」が掲載されています。
第一部から第十部までの構成で、もし上記「収録作家」で複数回出ている名前があったらそのためです。
せりふは日本語ですが、字幕は英語でした。海外の方々への対応なのでしょう。
あらすじは上記『美術手帖』さん記事にほとんどネタバレ的に紹介されていますので、そちらをご参照いただきたいのですが、主人公・清子に対する周囲の扱いがとにかくひどいのです。二言目には「女なんだから」。象徴的なせりふが「金にならないものを作るのはただの遊びだろう」。
光太郎智恵子の関係性を参照したとのことで、確かに智恵子もこうした偏見や決めつけ、社会的慣習などに苦しめられたことは想像に難くありませんが、ここまでひどくはなかったろうと思いました。光太郎は当時としては珍しく、家事分担も積極的に行っていたようですし、智恵子が1年に3、4ヶ月も福島の実家に帰ることも厭いませんでした。同居はしていなかった舅の光雲も自身が彫刻家ということで、それなりに理解はあったと思われます。
続いて《加恵、女の子でしょ!》。こちらは平成8年(1996)の作品。
やはりさまざまな部分で不当な扱いを受ける美術家志望の女性・加恵が主人公です。
こちらは《清子の場合》の倍以上の長さで、その分、主人公・加恵の置かれた状況がエピソード豊富に細かく描かれていました。
加恵の師である美大の教授?は、男子学生には甘く、女子学生には辛い評価ばかり。加恵渾身の自信作にも「時間が掛かったろう、ごくろうさま」と、「それだけ?」。男子でも駄目な学生には「女のような」とか「女でも頑張っているのに」など。
パートナーとなった男性画家は、はじめ「対等にやっていこう」みたいなことを言っていたのに、だんだん自分が優先されるのが当然だ、的な感じに。周囲の画商や美術評論家などもそれが当たり前だというスタンス。
はじめ、ちょうど半々だったアトリエでの二人の作品の内、右のパートナーの絵が次第に増殖し、左の加恵のものはどんどん小さくなっていくという手法で、二人の関係性が象徴されていました。
そして加恵に求められるのは「内助の功」ばかり。こういう部分でもやはり光太郎智恵子が意識されていたのでしょう。
しかし、《清子の場合》とは異なり、一度うちひしがれた加恵は、新たな理解あるパートナーの出現などもあって、画家として立つことに成功します。《清子の場合》が平成元年(1989)、《加恵、女の子でしょ!》は平成8年(1996)、その間に多少は女性を取り巻く社会全体の環境が改善というか、少なくとも悪化はしなかったということかもしれません。
女性はこれらの作品を見て、「そうそう、あるある」「ほんとに男ってひどいよね」という感想を抱き、そして男性は自らの中の勝手なジェンダーバイアスを突きつけられて困惑するのでしょう。また「女の敵は女」といった部分も描かれ、特に母親が兄と差別し「女の子でしょ?」。
ただ、繰り返しますが、光太郎はここまでひどい男ではなかったはず。智恵子は光太郎という巨大な才能に対等であろうと背伸びをしすぎ、自縄自縛に陥ったと考えるのが適当ではないでしょうか。
また、光太郎は智恵子没後に書かれた散文「智恵子の半生」(昭和15年=1940)に「例へば生活するのが東京でなくて郷里、或は何処かの田園であり、又配偶者が私のやうな美術家でなく、美術に理解ある他の職業の者、殊に農耕牧畜に従事してゐるやうな者であつた場合にはどうであつたらうと考へられる。或はもつと天然の寿を全うし得たかも知れない。」と書いていますが、それもどうかな、という気がします。結局は「金にならないものを作るのはただの遊びだろう」と言われて終わりだったような……。あるいは田園の農家でのほほんと絵を描いていてものほほんとした作品しか出来なかったような気もします。
他の映像作品等も、それぞれにいろいろな問いかけ。
あと1週間ですが、展覧会詳細。
期 日 : 2026年6月18日(木)~9月21日(月・祝)
会 場 : 東京都写真美術館 目黒区三田1-13-3 恵比寿ガーデンプレイス内
時 間 : 10:00~18:00 木・金は20:00まで
休 館 : 月曜日
料 金 : 700円
出光真子(1940–)は、日本における実験映画およびビデオアートの先駆的な作家です。1960年代にアメリカ滞在を経て制作を始め、女性の生き方や家族、メディアと社会の関係を主題に、フィルムや当時のビデオを用いた作品を発表しました。とりわけ1970年代以降のビデオ作品では、テレビ・メロドラマの語法を取り入れながら、母と子、夫婦関係、女性の社会的役割といったテーマを独自の視点から描き出しています。近年は、ジェンダーや身体をめぐる国際的な議論の高まりのなかで、その実践があらためて注目されています。本展は、出光の創作活動の全貌を振り返る大規模な回顧展です。当館で収蔵する全作品を、展覧会と上映により網羅的に紹介します。
本展覧会はすべて映像作品による展示です。音声の文字起こし資料をご用意しています。ご希望の方は2階受付へお声がけください(筆談可)。
『美術手帖』さんと相前後して『週刊金曜日』さんには出光氏のインタビューが載ったそうで、そちらはネットで読めず、Amazonさんで注文しました。届いたらご紹介します。また、会場で無料配付のリーフレットにもインタビューが。そちらも併せて後ほどご紹介します。
この後、六本木へ。21_21 DESIGN SIGHTギャラリーさんでの「方丈記に学ぶ –生きるを編み直す小さな建築–」を拝見し、関連行事としてのトーク「『方丈記』巡礼」を拝聴して参りました。そのあたりは明日。
この後、六本木へ。21_21 DESIGN SIGHTギャラリーさんでの「方丈記に学ぶ –生きるを編み直す小さな建築–」を拝見し、関連行事としてのトーク「『方丈記』巡礼」を拝聴して参りました。そのあたりは明日。
【高村光太郎書誌】
詩華集 57 『国民詩選 昭和十八年版』
昭和18年(1943)5月20日 興亜書房 岡本潤編者代表
収録作家
高村光太郎 三好達治 尾崎喜八 大江満雄 竹内てるよ 西垣脩 菊岡久利 笹沢美明
田中克己 高橋新吉 瀧口武士 永瀬清子 佐藤惣之助 萩原朔太郎 金谷丁 野長瀬正夫
田中冬二 森道之輔 三枝響 上林猷夫 長崎浩 北川冬彦 逸見猶吉 藤原定 上路忠雄
会田綱雄 島崎曙海 佐川英三 池田克己 田村昌由 川島豊敏 城小碓 佐伯郁郎
収録作家
高村光太郎 三好達治 尾崎喜八 大江満雄 竹内てるよ 西垣脩 菊岡久利 笹沢美明
田中克己 高橋新吉 瀧口武士 永瀬清子 佐藤惣之助 萩原朔太郎 金谷丁 野長瀬正夫
田中冬二 森道之輔 三枝響 上林猷夫 長崎浩 北川冬彦 逸見猶吉 藤原定 上路忠雄
会田綱雄 島崎曙海 佐川英三 池田克己 田村昌由 川島豊敏 城小碓 佐伯郁郎
野口米次郎 菱山修三 西條八十 大木惇夫 草野心平 北川正明 山本和夫 中室員重
西村皎三 丸山薫 山之口貘 大木実 月原橙一郎 大瀧清雄 岩井五郎 須郷圓太郎
並木和夫 小山正孝 牧章造 青木郁子 鈴木亨 近藤東 村野四郎 竹中郁 阪本越郎
城左門 梶浦正之 安西冬衛 野田宇太郎 殿岡辰雄 今田久 平岡潤 荒木利夫
酒井正平 臼井喜之介 岩佐東一郎 千家元麿 宮崎丈二 蔵原伸二郎 中山省三郞
神保光太郎 真田雅男 浅井十三郎 山田嵯峨 小宮三森 内田博 菊池正 金井新作
秋山清 伊東静雄 津村信夫 西田満 楊雲萍 藪田義雄 長田恒雄 北園克衛 一瀬稔
伊藤桂一 齊木家義 清水三郎 前田純敬 安西均 勝承夫 吉田一穂 中野秀人
大島博光 壺井繁治 岡崎清一郎 平野威馬雄 病迦山人 竹中祐太郎 江口隼人
深尾須磨子 金剛サチ 中村千尾 坂窗江 金子光晴 小野十三郎 倉橋顕吉 吉田欣一
耕治人 草野天平 前田哲冶 宮崎譲 里見謙三 田木繁 木村信吉 吉本孝一 岡本潤
西村皎三 丸山薫 山之口貘 大木実 月原橙一郎 大瀧清雄 岩井五郎 須郷圓太郎
並木和夫 小山正孝 牧章造 青木郁子 鈴木亨 近藤東 村野四郎 竹中郁 阪本越郎
城左門 梶浦正之 安西冬衛 野田宇太郎 殿岡辰雄 今田久 平岡潤 荒木利夫
酒井正平 臼井喜之介 岩佐東一郎 千家元麿 宮崎丈二 蔵原伸二郎 中山省三郞
神保光太郎 真田雅男 浅井十三郎 山田嵯峨 小宮三森 内田博 菊池正 金井新作
秋山清 伊東静雄 津村信夫 西田満 楊雲萍 藪田義雄 長田恒雄 北園克衛 一瀬稔
伊藤桂一 齊木家義 清水三郎 前田純敬 安西均 勝承夫 吉田一穂 中野秀人
大島博光 壺井繁治 岡崎清一郎 平野威馬雄 病迦山人 竹中祐太郎 江口隼人
深尾須磨子 金剛サチ 中村千尾 坂窗江 金子光晴 小野十三郎 倉橋顕吉 吉田欣一
耕治人 草野天平 前田哲冶 宮崎譲 里見謙三 田木繁 木村信吉 吉本孝一 岡本潤
中央画像の扉題字は光太郎の筆跡です。明らかに左画像の表紙題字よりいい字ですね。詩は「山道のをばさん」が掲載されています。
第一部から第十部までの構成で、もし上記「収録作家」で複数回出ている名前があったらそのためです。























