6月発売の雑誌ですが、年2回の発行のようでまだ最新号の扱いです。
谷澤紗和子氏。
大阪国立国際美術館 「特別展 プラカードのために」。
「彫刻三昧(ざんまい)―札幌芸術の森美術館の名品50選」「プラカードのために」報道。
福岡市美術館「第4回福岡アートアワード受賞作品展」。
谷澤氏は智恵子以外にも、中国の民間芸術「剪紙(せんし)」作家、庫淑蘭(クー・シューラン)、18世紀イギリスで切り絵に取り組んだメアリー・ディレイニーなどのオマージュ作品等も発表なさっていて、今回の稿では三人の切り絵作家の簡略な評伝、谷澤氏の彼女たちに対する眼差しといった内容となっています。
庫淑蘭、メアリー・ディレイニーについては谷澤氏がインスパイアを受けたという程度の知識しかなかったので、そういう人だったのか、という感じでした。智恵子も含め、三人とも村松氏曰く「彼女たちは切り紙を作品として発表したのでも、生業としたわけでもない。きわめて私的な創作だったが、後年、制度的な美術の側から見いだされる」。そしてそれだけでなく、それぞれにいわばステレオタイプの「評」が与えられてしまっているとも。
智恵子紙絵に関しては、
紙絵を見た人たちの感想は、おおむね同じ地平にある。切り紙の「造型美、色彩美」に驚嘆し、その「純粋さ」や「愛」を讃え、「人間業でないもの」「神業」を感じる、という言説だ。
このことは智恵子という人物そのものにも言えることで、
智恵子はそのイメージにとどまらず、創作においても、純と愛と狂気のトライアングルから逃れられない。
たしかにそういう面は否定できません。そして一部の人々による智恵子は光太郎によって毀された哀れな被害者、という固定観念もまかり通っています。谷澤氏の作にはそうした見方に異を唱える部分もあると、村松氏。それで正解でしょう。谷澤氏には智恵子への思いを手紙形式にし、文字を切り絵にした作品もあります。
「はいけい ちえこ さま3」と題された作品の一節が引かれています。
あれからまたずっと智恵子さんのことを考えています。智恵子さんの語られ方について。夫に狂わされた女。というのもまた違います。物事はそう簡単ではありません。深く知れば知るほどその複雑さに魅了され単純にわかりやすく語るなんてことはできなくなります。
まさにそのとおりだと思います。
そんなこんなの『美術フォーラム21』第53号 、Amazonさんなどでも扱われています。ぜひお買い求めを。
河井酔茗 野口米次郎 北原白秋 高村光太郎 川路柳虹 服部嘉香 佐藤春夫 堀口大学
竹友藻風 矢野峰人 白鳥省吾 福田正夫 佐藤惣之助 百田宗治 尾崎喜八 前田鉄之助
中西悟堂 佐藤一英 中野秀人 喜志邦三 林信一 大木惇夫 勝承夫 三好達治
藪田義雄 南江治郎 高木斐瑳雄 能村潔 一戸玲太郎 阪本越郎 田中令三 吉川則比古
中山輝 村上成実 火野葦平 塩野筍三 西村皎三 杉浦伊作 山田岩三郎 青山郊汀
萩原朔太郎 川路柳虹 保田与重郎
光太郎詩は「沈思せよ蒋先生」。「蒋先生」は蒋介石です。その激しい抗日思想を批判し、我が帝国の軍門に下れ、的な内容です。光太郎は戦後になって、この時の言を振り返って反省し「蒋先生に慙謝す」という詩も書いています。あれは言い過ぎだった、間違っていたのは自分だった、というような。
光太郎と交流があり、ともに口語自由詩の確立に貢献した萩原朔太郎の作品も掲載されています。ただし詩ではなく「大衆と詩文学=国民詩について=」と題する散文です。
とにかく日本の詩人たちは、今一度出発を新たにして、大衆の中に降りて行く必要があるかと思ふ。但し此所では大衆の中に降りるといふのは、詩を芸術的に卑俗化して、大衆に媚びるといふ意味ではなく、日本詩人としての自覚から、民族精神の独立性に立脚し、和歌俳句の伝統詩と相並んで、二十世紀新日本の現代詩を、新しく建設せよといふ意味である。
というわけで、翼賛詩の必要性を訴えています。文末には「病床にて」とあり、朔太郎はこの年5月に亡くなります。相次いで没した与謝野晶子、北原白秋ともども、まだ戦争が激化する前だったため、光太郎のように馬鹿げた翼賛詩文を大量生産せずに済んだとも言えます。シニカルな見方ですが。
発行日 : 2026年6月10日
著者等 : 公益財団法人きょうと視覚文化振興財団編集
版 元 : 醍醐書房
版 元 : 醍醐書房
定 価 : 2,300円+税
「Emotionally Sweet Mood - 情緒本位な甘い気分 -」展覧会評。特集 ローカル、手わざ、素人芸:身体のオリエンタリズムの此岸(上村博編集)
フェティッシュを動かすもの(上村博)
「踊る」ということ——佐久間新とダンスの現象学(富田大介)
限界芸術という新しいカテゴリを提案することの意味と効果
——大衆文化から限界芸術、そして二十一世紀の消費社会まで(谷川嘉浩)
身体の〈動〉の表象とオリエンタリズム
——キルヒナーが描いた日本の曲芸と演劇(仲間裕子)
地方の手工芸をめぐる一九三〇年代──民芸、ペリアンから雪害調査所まで(土田眞紀)
ラテン音楽を「琴」で奏でる——一九七〇年代日本における伝統楽器の創出(鈴木聖子)
素人だからこそ、への転回(乾 久美子)
都市の間隙を見つめる——「自主祭壇」と「街角ブンダーカンマー」(小澤京子)
スケッチーズ——八瀬の石黒さん家から見た世界(中村裕太)
手軽なテクノロジーとささやかな文化——謄写版のプリント・カルチャー(佐藤守弘)
セルフィという撮影行為——撮影者、撮影機器、被写体の関係に注目して(江本紫織)
[コラム]女性と切り紙——谷澤紗和子の作品から
高村智恵子、庫淑蘭、メアリー・ディレイニー(村松美賀子)
〈資料紹介〉
氷見・朝日山上日寺蔵「上日寺伽藍絵図」(原口志津子)
第20回パラミタ陶芸大賞展
出品作家紹介(衣斐唯子)
現代作家論
福嶋敬恭——表現の「リアリティ」を求めて(岩城見一)
〈書評〉
永井隆則編『ポスト印象派とユートピア』(河本真理)
表紙解説
【表】ポール・ジャクレー《波の音、東カロリン諸島》1936年(猿渡紀代子)
【裏】中山博喜《BORODINO》2025年(竹内万里子)
智恵子の紙絵、『青鞜』表紙絵などをモチーフとした切り絵作品を世に問うていらっしゃる谷澤紗和子氏の仕事を紹介する「女性と切り紙——谷澤紗和子の作品から 高村智恵子、庫淑蘭、メアリー・ディレイニー」という記事が4ページ。ご執筆はフリーライターの村松美賀子氏です。
谷澤紗和子氏については以下ご参照下さい。
VOCA展2022 現代美術の展望─新しい平面の作家たち─/「Emotionally Sweet Mood - 情緒本位な甘い気分 - 」。
谷澤紗和子氏については以下ご参照下さい。
VOCA展2022 現代美術の展望─新しい平面の作家たち─/「Emotionally Sweet Mood - 情緒本位な甘い気分 - 」。
都内レポートその2「VOCA展2022 現代美術の展望―新しい平面の作家たち―」。
「彫刻三昧(ざんまい)―札幌芸術の森美術館の名品50選」「プラカードのために」報道。
福岡市美術館「第4回福岡アートアワード受賞作品展」。
谷澤氏は智恵子以外にも、中国の民間芸術「剪紙(せんし)」作家、庫淑蘭(クー・シューラン)、18世紀イギリスで切り絵に取り組んだメアリー・ディレイニーなどのオマージュ作品等も発表なさっていて、今回の稿では三人の切り絵作家の簡略な評伝、谷澤氏の彼女たちに対する眼差しといった内容となっています。
庫淑蘭、メアリー・ディレイニーについては谷澤氏がインスパイアを受けたという程度の知識しかなかったので、そういう人だったのか、という感じでした。智恵子も含め、三人とも村松氏曰く「彼女たちは切り紙を作品として発表したのでも、生業としたわけでもない。きわめて私的な創作だったが、後年、制度的な美術の側から見いだされる」。そしてそれだけでなく、それぞれにいわばステレオタイプの「評」が与えられてしまっているとも。
智恵子紙絵に関しては、
紙絵を見た人たちの感想は、おおむね同じ地平にある。切り紙の「造型美、色彩美」に驚嘆し、その「純粋さ」や「愛」を讃え、「人間業でないもの」「神業」を感じる、という言説だ。
このことは智恵子という人物そのものにも言えることで、
智恵子はそのイメージにとどまらず、創作においても、純と愛と狂気のトライアングルから逃れられない。
たしかにそういう面は否定できません。そして一部の人々による智恵子は光太郎によって毀された哀れな被害者、という固定観念もまかり通っています。谷澤氏の作にはそうした見方に異を唱える部分もあると、村松氏。それで正解でしょう。谷澤氏には智恵子への思いを手紙形式にし、文字を切り絵にした作品もあります。
「はいけい ちえこ さま3」と題された作品の一節が引かれています。
あれからまたずっと智恵子さんのことを考えています。智恵子さんの語られ方について。夫に狂わされた女。というのもまた違います。物事はそう簡単ではありません。深く知れば知るほどその複雑さに魅了され単純にわかりやすく語るなんてことはできなくなります。
まさにそのとおりだと思います。
そんなこんなの『美術フォーラム21』第53号 、Amazonさんなどでも扱われています。ぜひお買い求めを。
【高村光太郎書誌】
詩華集 51 『大日本詩集 聖戦に歌ふ』
昭和17年(1942)6月5日 欧文社 大日本詩人協会編
収録作家河井酔茗 野口米次郎 北原白秋 高村光太郎 川路柳虹 服部嘉香 佐藤春夫 堀口大学
竹友藻風 矢野峰人 白鳥省吾 福田正夫 佐藤惣之助 百田宗治 尾崎喜八 前田鉄之助
中西悟堂 佐藤一英 中野秀人 喜志邦三 林信一 大木惇夫 勝承夫 三好達治
藪田義雄 南江治郎 高木斐瑳雄 能村潔 一戸玲太郎 阪本越郎 田中令三 吉川則比古
中山輝 村上成実 火野葦平 塩野筍三 西村皎三 杉浦伊作 山田岩三郎 青山郊汀
萩原朔太郎 川路柳虹 保田与重郎
光太郎詩は「沈思せよ蒋先生」。「蒋先生」は蒋介石です。その激しい抗日思想を批判し、我が帝国の軍門に下れ、的な内容です。光太郎は戦後になって、この時の言を振り返って反省し「蒋先生に慙謝す」という詩も書いています。あれは言い過ぎだった、間違っていたのは自分だった、というような。
光太郎と交流があり、ともに口語自由詩の確立に貢献した萩原朔太郎の作品も掲載されています。ただし詩ではなく「大衆と詩文学=国民詩について=」と題する散文です。
とにかく日本の詩人たちは、今一度出発を新たにして、大衆の中に降りて行く必要があるかと思ふ。但し此所では大衆の中に降りるといふのは、詩を芸術的に卑俗化して、大衆に媚びるといふ意味ではなく、日本詩人としての自覚から、民族精神の独立性に立脚し、和歌俳句の伝統詩と相並んで、二十世紀新日本の現代詩を、新しく建設せよといふ意味である。
というわけで、翼賛詩の必要性を訴えています。文末には「病床にて」とあり、朔太郎はこの年5月に亡くなります。相次いで没した与謝野晶子、北原白秋ともども、まだ戦争が激化する前だったため、光太郎のように馬鹿げた翼賛詩文を大量生産せずに済んだとも言えます。シニカルな見方ですが。




