光太郎の名が載った各地の新聞記事等、今日も3件ご紹介します。

まず『北海道新聞』さん、7月1日(水)の一面コラム。

<卓上四季>日本サッカーの道程016

高村光太郎の詩「道程」には長短ふたつのかたちがある。最初に発表されたのは100行を超える長い作品。小欄で以前に紹介した短いものより、モチーフが明確だ▼<僕の前に道はない/僕の後ろに道は出来る/道は僕のふみしだいてきた足あとだ/だから/道の最端にいつでも僕は立っている/何という曲りくねり/迷いまよった道だろう>。いろんな困難を乗り越えて、未踏の荒野をひたむきに前へ進んでいく。そんな姿がイメージされる▼思い浮かべるのはサッカーの日本代表チームである。W杯の晴れ舞台で王国ブラジルと対戦した。選手たちの規律と献身が光り、鮮やかに先制する。したたかな相手に翻弄(ほんろう)され、あとわずかなところで敗れたけれど、間違いなくナイスファイトだった。こころから拍手を送りたい▼W杯の初出場から28年。悔しさをばねに一歩ずつ進んで、大会ごとに着実に強くなってきた。思えば遠くへ来たものだ▼試合終了後のピッチで大粒の涙が流された。まずは休んで疲れをいやし、また前を向こう。そして4年後こそは喜びの涙に変えてみよう▼「道程」にはこんな一節もある。<ああ/人類の道程は遠い(略)歩け、歩け/どんなものが出て来ても乗り越して歩け/この光り輝やく風景の中に踏み込んでゆけ>。その歩みの先に未来が開けると信じたい。

詩「道程」の「長短ふたつのかたち」。「長」は大正3年(1914)3月の雑誌『美の廃墟』に掲載されたオリジナルの形で、102行もある長詩でした。引用されている詩句はその中からのものです。「短」の方は、同じ年の10月、第一詩集『道程』に収められたもので、オリジナルの形からばっさりと斬り捨て、9行の短い形に書き改められました。広く人口に膾炙しているのはこちらの形で、最終詩型です。

くりかえしこのブログで警告していますが、オリジナルの102行の形がネット上などで「全文」と紹介されることがあります。「全文」ではなく「初出発表形」もしくは「原型」とすべきですね。そうしないと9行に圧縮された「最終詩型」がまるでまがい物という意味になってしまいます。あくまで102行の形は光太郎自身がボツにした形ですし。

同じくスポーツ関連で、『スポーツニッポン』さん、7月4日(土)の記事。

なぜ? ロッテはドーム球場での試合が苦手 この日で5連敗、今季は2勝16敗2分けと大きく負け越し◇パ・リーグ ロッテ2―3ソフトバンク(2026年7月3日 みずほペイペイD)015

 「東京には空がない」――。詩集「智恵子抄」にそうつづったのは詩人の高村光太郎だ。
 ロッテは空がない、もとい空が見えない球場での試合が極端に苦手だ。
 この日のみずほPayPayドームでのソフトバンク戦も1点差で惜敗。これで今季、ドーム球場での試合は2勝16敗2分け。5月10日のソフトバンク戦からは2分けを挟んで5連敗となった。
 屋根がなく、独特の強風で知られる本拠地ZOZOマリンスタジアムでは今季、20勝13敗1分けと大きく勝ち越している。風がなく、プレーがしやすいはずのドーム球場がこれだけ苦手なのは「謎」と言っていい。 

こういう内容の前振りで「あどけない話」(昭和3年=1928)を持ってくるか?と笑いました。しかし、他チームがZOZOマリン独特の強風への対応に手こずるのはうなずけますが、なぜロッテの選手は無風のドーム球場を苦手としているのでしょうか? 風が吹いていないと実力が発揮できないという体質になっているのでしょうか? たしかに謎ですね。

最後に7月4日(土)の『日本経済新聞』さんから。

図書館のすすめ 女優・戸田菜穂

 私の家のそばには図書館がある。集中いや全集中したい時に図書館の二階へ行く。そこはもう私の愛する静けさと、ページをめくる音、ペンの音のみの世界。今もそこにいる。スマホは玄関に置いていく。
 絵本コーナーは小上がりになっていて、お母さんが子供を膝に乗せ読み聞かせをしている。私ももっと読んであげれば良かったと、胸がちくっとする。
 小学生用の机では、児童が宿題をしたり、昆虫図鑑を読んだりしている。ああ懐かしい光景。
 大人の机は人気があり、土日の朝は座席券をもらうために行列になるらしい。私は空いている平日のお昼前後によく行く。
 そういえば中学高校の頃、広島の図書館によく通っていた。あの周りはライバルだらけの逃げ場のない空間に身を置かなければ集中できなかったし、みんなが黙々と勉強する気配が気に入っていた。
 先日、娘の学校の先生に国語の勉強の仕方を聞いたところ、「いつも選ぶ本棚から七歩先の本を手に取って見て下さい」と言われた。大人もまだ知らない世界が山ほどある。大人も勉強しよう、その背中を子供はちゃんと見ているし、そこから国語の世界への興味が広がるのだと理解した。
 すぐに実践、七歩先にあった美術のコーナーで「高村光太郎 美に生きる」という本を手に取る。そこには高村が地方の小学校に贈った書が載っていた。素朴な飾らない字でふり仮名もつけて「正直 親切」と。
 子育てで一番大切な言葉に出合えた! 早速筆ペンで「正直 親切」と書いて、子供部屋の高い所に張っておいた。

『高村光太郎 美に生きる』は、平成10年(1998)に二玄社さんから刊行された、当会顧問であらせられた故・北川太一先生の編著です。光太郎令甥の写真家、故・髙村規氏撮影になる光太郎作品等の写真図版がふんだんに使われています。
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「正直親切」の書は、光太郎が蟄居生活を送っていた花巻郊外太田村の山小屋(高村山荘)にほど近い、太田小学校山口分教場が昭和26年(1951)に山口小学校に独立昇格した際、校訓として贈った言葉を書いたものです。
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戦後らしく左から右へ、さらに入学したての一年生でも読めるようにと、新仮名遣いでルビまで書きました。ただ、まだ拗音表記のルールが徹底されていなかったようで「よ」は大きなサイズです。ちなみに旧仮名遣いだと「しやうぢきしんせつ」でした。

書自体は花巻高村光太郎記念館さんで所蔵。ここから文字を写した碑が廃校となった山口小学校跡地、光太郎の母校の荒川区立第一日暮里小学校さん、光太郎と交流のあった故・田口弘氏が教育長を務められていた埼玉県東松山市の新宿小学校さんにそれぞれ建っています。
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それにしても、この言葉に「子育てで一番大切な言葉に出合えた!」とまで感銘を受けられた戸田さん、さすがに「NHK俳句」司会もなさった方だな、と思いました。

明日もまだ新聞記事に光太郎の名、というネタで。

【高村光太郎書誌】

選集等(部分) 17 『石川啄木 高村光太郎 宮澤賢治集』現代日本の文学6

昭和46年(1971)10月1日 学習研究社 石川啄木/高村光太郎/宮澤賢治著
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目次
 石川啄木集
  石川啄木文学紀行 啄木の旅 草野心平
  一握の砂 悲しき玩具 あこがれ 呼子と口笛 ローマ字日記
  註解 紅野敏郎 年譜 石川啄木文学アルバム 評伝的解説 久保田正文
 高村光太郎集
  高村光太郎文学紀行 光太郎と一緒の旅を振り出しに 草野心平
  道程 「道程」以後 猛獣篇 「猛獣篇」時代 智恵子抄 典型 「典型」以後
  註解 紅野敏郎 年譜 北川太一 高村光太郎文学アルバム 評伝的解説 北川太一
 宮澤賢治集
  宮澤賢治文学紀行 何度も訪れた花卷 草野心平
  春と修羅 四又の百合 インドラの網 雁の童子 北守将軍と三人兄弟の医者
  註解 紅野敏郎 年譜 宮澤賢治文学アルバム 評伝的解説 天沢退二郎
 月報
  著者を語る 石川啄木 ストライキ 金田一京助 高村光太郎 兄の思出二・三 藤岡孟彦
  宮澤賢治 「修羅の渚」にて 宮澤清六
  石川啄木・高村光太郎・宮澤賢治主要文献一覧 紅野敏郎編
  石川啄木・高村光太郎・宮澤賢治旅行ガイド 湧田佑
  最終回の編集を終えて 編集長 桜田満

岩手ゆかりの三人が一冊にまとめられています。手持ちのものは昭和47年(1942)の再版です。