6月30日(火)、日帰りで京都・大阪に行っておりました。京都では祇園の何必館(かひつかん)さんで「コレクション 近代芸術家の書 展」、大阪は堺で「さかい利晶の杜×文豪とアルケミスト企画展 明キ星ヲ繋グ。」などを拝見。3回に分けてレポートいたします。
まずは京都。
東海道新幹線で京都駅に降り立ち、さらにJR奈良線と京阪本線を乗り継いで祇園四条駅へ。駅を出ると目の前が四条通に面した京都南座さんで「ありゃ、ここかい」という感じでした。最近めったに行かなくなりましたが、昔は年に1、2回は京都に行っており、何度も歩いた場所でした。東へ進み続ければ突き当たりは八坂神社さんです。
スマホの地図アプリを起動、何必館さんを探すと、八坂神社さん方面に歩くとすぐとのこと。何度も歩いていた場所でしたが、これまで気づかずに通り過ぎていました。
こちらが何必館さん。敷地面積はそれほどではありませんが、地階から5階までが展示フロアとなっており、総床面積はそれなりに。街なかにある美術館さんなどでよくあるスタイルです。
昭和56年(1981)開館で、日本画の村上華岳の作品を中心に、北大路魯山人、山口薫の洋画などがコレクションの柱だそうです。今回は「近代芸術家の書」ということで、村上、魯山人、そして光太郎、さらに川端康成、棟方志功、梅原龍三郎、平櫛田中、奥村土牛、須田剋太、富本憲吉、会津八一、加藤唐九郎、小倉遊亀、熊谷守一。約60点が展示されていました。なかなかに眼福でした。
公式サイトで光太郎の書は、戦後の花巻郊外旧太田村の山小屋(高村山荘)で書かれた短歌「山にゆきて何をしてくる山にゆきてみしみしあるき水のんでくる」を書いた幅が紹介されていましたが、他にも出ているだろうと思っていたところ、ビンゴでした。「山にゆきて……」以外に2点が出ていました。
まず横長の紙に「甘酸是人生」と書いたものが額装されて。同じ文言をやはり戦後、親交があった花巻のリンゴ農家の故・阿部博氏に贈っています。「甘酸」はリンゴの味にひっかけているわけで。そちらは現在、花巻高村光太郎記念館さんで常設展示されています(下画像)。
平成27年(2015)にNHK Eテレさんで放映された「趣味どきっ!女と男の素顔の書 石川九楊の臨書入門 第5回 智恵子、愛と死 自省の「道程」 高村光太郎×智恵子」では、この書が大きく取り上げられました。
何必館さんで展示中のものも戦後のものと思われます。撮影不可ということで画像がありませんが。
それから短歌「あゝこれ山 空を劃りて 立てるもの かたらす(ず)おろか さひ(び)てたつもの 」を分かち書きした大きな書。短歌自体は明治37年(1904)、第一期『明星』辰歳第11号に載った「赤城山の歌」19首のうちの一つです。「劃りて」は「かぎりて」、「おろかさひ(び)て」の「さび」は接尾語で名詞に付いて「~のように」といった意味となり、「愚か者のように」あるいはもっと突っ込めば「愚直に」といった意味でしょう。この年、光太郎は断続的に2ヶ月近く赤城山麓に滞在、8月には東京からやって来た与謝野寛、石井柏亭、伊上凡骨らを迎え、共に赤城山に登っています。
揮毫されたのはおそらく昭和戦前ではないかと思いました。明治大正の頃は大きな紙に書を書くことはほとんどやりませんでしたし、戦後の書はもっとかすれの激しい彫刻刀で刻みつけるような書体ですが、こちらは比較的流麗な筆遣いです。また、使われている紙が竹の模様を漉き出したちょっと高級そうな紙で、戦後にはこういった紙は入手不可能だったと思われます。終戦後すぐには粗悪なボール紙を色紙代わりにしていたこともありました。
ちなみに短歌「あゝこれ山」を書いた短冊、「赤城山の歌」に含まれるものだということで、群馬県立土屋文明記念館さんで所蔵され、平成31年(2019)の同館の第103回企画展「文学者の書―筆に込められた思い」で展示されたりもしています。
余談ですが、「甘酸是人生」、「あゝこれ山」共に、サムネイルの小さな画像で見ただけでそれとわかる悪質なニセモノがよく売られています。ご注意を。
何必館さんでは平成23年(2011)にも今回と同じく「近代芸術家の書」展を開催なさいました。その際に刊行された図録的な書籍『近代芸術家の書』が、今回も受付で販売されています。「甘酸是人生」は載っていませんが、短歌「山にゆきて」、同じく「あゝこれ山」は画像が掲載されています。
それから「山にゆきて」の方は、ポストカードも。ただしバラ売りではなく魯山人や梅原龍三郎らの書のそれとともに8枚セットです。
ぜひ足をお運びの上、お買い求め下さい。
明日は「京阪」の「阪」。堺市の「さかい利晶の杜×文豪とアルケミスト企画展 明キ星ヲ繋グ。」についてレポートいたします。
まずは京都。
東海道新幹線で京都駅に降り立ち、さらにJR奈良線と京阪本線を乗り継いで祇園四条駅へ。駅を出ると目の前が四条通に面した京都南座さんで「ありゃ、ここかい」という感じでした。最近めったに行かなくなりましたが、昔は年に1、2回は京都に行っており、何度も歩いた場所でした。東へ進み続ければ突き当たりは八坂神社さんです。
スマホの地図アプリを起動、何必館さんを探すと、八坂神社さん方面に歩くとすぐとのこと。何度も歩いていた場所でしたが、これまで気づかずに通り過ぎていました。
こちらが何必館さん。敷地面積はそれほどではありませんが、地階から5階までが展示フロアとなっており、総床面積はそれなりに。街なかにある美術館さんなどでよくあるスタイルです。
昭和56年(1981)開館で、日本画の村上華岳の作品を中心に、北大路魯山人、山口薫の洋画などがコレクションの柱だそうです。今回は「近代芸術家の書」ということで、村上、魯山人、そして光太郎、さらに川端康成、棟方志功、梅原龍三郎、平櫛田中、奥村土牛、須田剋太、富本憲吉、会津八一、加藤唐九郎、小倉遊亀、熊谷守一。約60点が展示されていました。なかなかに眼福でした。
公式サイトで光太郎の書は、戦後の花巻郊外旧太田村の山小屋(高村山荘)で書かれた短歌「山にゆきて何をしてくる山にゆきてみしみしあるき水のんでくる」を書いた幅が紹介されていましたが、他にも出ているだろうと思っていたところ、ビンゴでした。「山にゆきて……」以外に2点が出ていました。
まず横長の紙に「甘酸是人生」と書いたものが額装されて。同じ文言をやはり戦後、親交があった花巻のリンゴ農家の故・阿部博氏に贈っています。「甘酸」はリンゴの味にひっかけているわけで。そちらは現在、花巻高村光太郎記念館さんで常設展示されています(下画像)。

何必館さんで展示中のものも戦後のものと思われます。撮影不可ということで画像がありませんが。
それから短歌「あゝこれ山 空を劃りて 立てるもの かたらす(ず)おろか さひ(び)てたつもの 」を分かち書きした大きな書。短歌自体は明治37年(1904)、第一期『明星』辰歳第11号に載った「赤城山の歌」19首のうちの一つです。「劃りて」は「かぎりて」、「おろかさひ(び)て」の「さび」は接尾語で名詞に付いて「~のように」といった意味となり、「愚か者のように」あるいはもっと突っ込めば「愚直に」といった意味でしょう。この年、光太郎は断続的に2ヶ月近く赤城山麓に滞在、8月には東京からやって来た与謝野寛、石井柏亭、伊上凡骨らを迎え、共に赤城山に登っています。
揮毫されたのはおそらく昭和戦前ではないかと思いました。明治大正の頃は大きな紙に書を書くことはほとんどやりませんでしたし、戦後の書はもっとかすれの激しい彫刻刀で刻みつけるような書体ですが、こちらは比較的流麗な筆遣いです。また、使われている紙が竹の模様を漉き出したちょっと高級そうな紙で、戦後にはこういった紙は入手不可能だったと思われます。終戦後すぐには粗悪なボール紙を色紙代わりにしていたこともありました。
ちなみに短歌「あゝこれ山」を書いた短冊、「赤城山の歌」に含まれるものだということで、群馬県立土屋文明記念館さんで所蔵され、平成31年(2019)の同館の第103回企画展「文学者の書―筆に込められた思い」で展示されたりもしています。
余談ですが、「甘酸是人生」、「あゝこれ山」共に、サムネイルの小さな画像で見ただけでそれとわかる悪質なニセモノがよく売られています。ご注意を。
何必館さんでは平成23年(2011)にも今回と同じく「近代芸術家の書」展を開催なさいました。その際に刊行された図録的な書籍『近代芸術家の書』が、今回も受付で販売されています。「甘酸是人生」は載っていませんが、短歌「山にゆきて」、同じく「あゝこれ山」は画像が掲載されています。
それから「山にゆきて」の方は、ポストカードも。ただしバラ売りではなく魯山人や梅原龍三郎らの書のそれとともに8枚セットです。
ぜひ足をお運びの上、お買い求め下さい。
明日は「京阪」の「阪」。堺市の「さかい利晶の杜×文豪とアルケミスト企画展 明キ星ヲ繋グ。」についてレポートいたします。
【高村光太郎書誌】
選集等(部分) 12 『人生の名著 2 藤村感想集 智恵子とわが青春 私の個人主義』
智恵子とわが青春 高村光太郎
1 智恵子の半生 智恵子の切抜絵 新茶の幻想 九十九里浜の初夏
某月某日
2 わたしの青銅時代 青春の日 遍歴の日
3 詩について 生きた言葉 所感
4 みちのく便り 山の春 山の秋 美と真実の生活
私の個人主義 夏目漱石
解説 藤島宇内
散文のみを集めています。
月報
藤村と私 羽田知都子
光太郎の詩 小林智子
現代に必要な漱石の精神 登坂宏
古い本 新しい本 新庄嘉章訳 『ジイドの日記』 堀秀彦
散文のみを集めています。








