まずテレビ番組の放映情報を2件。

プレイバック日本歌手協会歌謡祭

BSテレ東 2026年7月1日(水)  17:56〜19:00

楽曲
「大江戸出世小唄」合田道人         「東京音頭」香西かおり
「東京ラプソディ」大川栄策         「九段の母」塩まさる
「東京ブギウギ」森サカエ          「君の名は」青山和子
「東京のバスガール」初代コロムビア ローズ  「智恵子抄」二代目コロムビア・ローズ
「東京ドドンパ娘」渡辺マリ         「東京五輪音頭」福田こうへい
「あゝ上野駅」松原健之           「東京でだめなら」水前寺清子
「それぞれの原宿」ロス・インディオス&NINA 「東京砂漠」内山田洋とクール・ファイブ
「東京迷路」藤圭子             「池袋の夜」青江三奈
「東京セレナーデ」都はるみ

<司会>合田道人
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「東京」をテーマにした楽曲の特集のようですね。

昭和39年(1964)、故・二代目コロムビアローズさんが唄ってヒットした「智恵子抄」(丘灯至夫作詞/戸塚三博作曲)のアーカイブ映像が流れます。唄い出しが「東京の空、灰色の空……」です。

もう1件、こちらはおそらく光太郎の名は出て来ないとは思われますが。

秘湯ロマン

地上波テレビ朝日 2026年7月4日(土)  03:00〜03:30

日本全国の秘湯と呼ばれる温泉の魅力を紹介します。今回の秘湯は岩手県、鉛温泉「藤三旅館」、夏油温泉「元湯夏油」、「夏油温泉観光ホテル」。

 ◇出演者 【旅人】映枝 【ナレーション】丸山未沙希
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光太郎が花巻郊外旧太田村で昭和20年(1945)から7年間の蟄居生活を送っていた際に何度か足を運び、日記や随筆に語られている鉛温泉藤三旅館さんが取り上げられます。

同館名物の深さ約1.3㍍の「白猿の湯」が紹介されるのでしょう。旅館の本館と白猿の湯は、最近、国登録有形文化財(建造物)に指定されました。

それぞれぜひご覧下さい。

テレビと言えば、光太郎詩が時折取り上げられますので、このブログで何度もご紹介してきたNHK Eテレさんの「にほんごであそぼ」にご出演されていた美輪明宏さんがお亡くなりになりました。

時事通信さんの配信記事。

歌手で俳優の美輪明宏さん死去、91歳 「ヨイトマケの唄」「黒蜥蜴」

018 「ヨイトマケの唄」で知られ、性別を超えて強烈な存在感を放った歌手で俳優の美輪明宏(みわ・あきひろ、本名丸山明宏=まるやま・あきひろ)さんが20日午前9時30分、老衰のため死去した。91歳だった。所属事務所が28日、公式サイトで発表した。葬儀は近親者のみで済ませた。
 長崎市で生まれ、10歳で被爆した。歌手を目指して上京し、国立音大付属高校を中退後、16歳でプロ活動を始めた。銀座のシャンソン喫茶「銀巴里(ぎんぱり)」で美貌の歌手として話題を呼び、1957年に「メケ・メケ」、65年には自ら作詞作曲した「ヨイトマケの唄」がヒットした。
 作家の三島由紀夫と親しく、三島の戯曲「黒蜥蜴(くろとかげ)」の舞台で主役の盗賊を演じ、代表作となった。劇作家の寺山修司が書き下ろした「毛皮のマリー」も67年の初演から主役を務めた。
 声優としても、宮崎駿監督の長編アニメ「もののけ姫」「ハウルの動く城」で存在感を発揮。テレビでは「オーラの泉」(テレビ朝日系)などのバラエティー番組で活躍し、若者にも支持された。
 2012年には、NHK紅白歌合戦に77歳で初出場。工事現場で働く母と成長した子の思いを描いたヨイトマケの唄を熱唱し、話題になった。19年に軽い脳梗塞で入院したが、復帰後も幅広く活動を続けていた。

美輪さんの故郷・長崎の『長崎新聞』さん。

美輪明宏さんが死去…10歳で被爆、平和と不戦訴え 「長崎のスター」に感謝と悼む声

 長崎市出身の歌手で俳優の美輪明宏さんが91歳で死去した。10歳の時に長崎で被爆した美輪さんは戦争や被爆の体験をしばしば語り、平和と不戦のメッセージを積極的に発信し続けた。28日、訃報に接した県内には悲しみが広がり、悼む声が次々に上がった。
 美輪さんは2015年7月、同市の県美術館で長崎新聞社などが主催した「瀬戸内寂聴展」の関連イベントで来崎し、作家・僧侶の故瀬戸内寂聴さんと対談。出征して戦死した知人を長崎駅で見送った際、「死ぬなよ」と息子の足にすがった母が憲兵に突き飛ばされ、出血したエピソードを涙ながらに語った。
 折しも自衛隊の任務を拡大した安全保障関連法が安倍政権下で成立する直前。「最後に見た母親の姿が血だらけなんて。それをまた政治の連中はやろうとしている。責任が重いのは賛成している選挙民。真剣に考えて」と語気を強めて訴えた。
 長崎原爆被災者協議会の田中重光会長(85)は、かつて舞台運営に関わっていた際、まだ20代だった美輪さんに出演してもらったことがあるという。「芸能界ではっきり物を言う人は嫌われるが、社会に影響の大きい人が平和が大事だと言ったのは価値あること。貴重な人だった」と惜しんだ。
 南島原市西有家町のいその産婦人科院長、磯野潔さん(72)は幼少時の美輪さんを知る母元子さん(故人)の話を書き留めており、今年3月に有家史談会が発行した郷土研究誌「嶽南風土記第33号」に寄稿した。
 寄稿によると、元子さんの実家は長崎市丸山町にあった産婦人科医院。美輪さんの実家が経営していたカフェ「世界」が近所にあり、元子さんは美輪さんの母に頼まれ、小学生の美輪さんを合唱団の練習に連れて行っていた。美輪さんは「特別可愛(かわい)らしくもの静かな雰囲気の少年」。練習前にレストラン「銀嶺」に寄ると、元子さんたちと一緒にコーヒーを飲みながらクラシック音楽のレコードに聴き入っていた。
 磯野さんは「テレビで美輪さんの素晴らしい歌を聴くたびに母の話を思い出し、シンパシーを感じていた」としのんだ。
 美輪さんは昨年、有家史談会会長の生駒輝彦さん(79)の依頼を受け、嶽南風土記第32号に直筆の「ヨイトマケの唄」の歌詞を寄稿していた。生駒さんは「地方の小さな郷土誌の依頼を快諾してくれた。尊敬の念に堪えない」と感謝した。
 母方の遺骨が代々納骨されているという本行寺(長崎市西小島2丁目)の馬場泰宣住職(48)は長崎や福岡で舞台があるたび、お参りに来ていたと明かす。「長崎、日本のスターでありながら、年下の自分にも腰の低い口調で優しく接してくれた。被爆者を含め、いろいろな人の心の支えになっていた」と話した。
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美輪さん、「にほんごであそぼ」では「みわサン」というキャラクターで声のご出演。光太郎詩の一節もたびたび読んで下さいました。
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「にほんごであそぼ」に関するインタビュー。

 私、子どもが大好きなんですよ。あの無邪気なものって本当に何ものにも代えがたい宝物だと思っていますしね。『にほんごであそぼ』には、かわいい子どもがいっぱい出ますでしょう。子どもって勝手なことを言って、勝手なことをしますからね、それがまたかわいらしくて、この番組がとっても気に入っています。
 出演に関しては、有識者で番組の監修を務めていらっしゃる齋藤孝教授からお電話をいただきました。「短歌や俳句を一首詠んでもらえれば、それだけでいい」とおっしゃったので「それならお手伝いができますね」とお引き受けしたんです。ところが出番が多くて、いろいろなことをするようになり「約束が違うじゃないの!」って(笑)。でもよろしかったですよ。だってかわいい子どもたちに会えますから。
 自宅の前には保育園があり近くに小学校もあるのですが、よく道を歩いていると、出会い頭に子どもたちから「わあ、みわサンって本当にいるんだ」と驚かれるんです(笑)。いつだったかしら、確かナレーションを担当した連続テレビ小説『花子とアン』の打ち上げの席で、脚本家の中園ミホさんとお話していたら、いつのまにか子どもたちに囲まれていて、不思議そうにこっちを見ていたこともありました。「子どもに人気があるんですね」なんて言われましたけど、やっぱりこっちが好きだと向こうも好いてくれるんですね。

また、平成25年(2013)にNHK総合さんで放映された探検バクモン 「男と女 愛の戦略」にゲスト出演され、「智恵子も「平凡の凡」な男はつまらないと感じていたはず」といったコメントをなさいました。

美輪さんといえば、中曽根康弘元首相に大啖呵を切ったことでも有名ですね。
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昨今の提灯持ち御用タレントどもには爪の垢でも煎じて飲め(死語ですが)と言ってやりたいものです。

謹んでご冥福お祈り申し上げます。

【高村光太郎書誌】

選集等(部分) 9 『北原白秋 高村光太郎 宮澤賢治集』現代文学大系15

昭和40年(1965)11月5日 筑摩書房 北原白秋/高村光太郎/宮澤賢治著
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目次
 北原白秋集
  邪宗門 思ひ出 抄 水墨集 抄 海豹と雲 抄 黒檜 抄
 高村光太郎集
  道程 「道程」以後 典型
 宮澤賢治集
  春と修羅第一集 手帳より 風の又三郎 銀河鉄道の夜 注文の多い料理店
  セロ弾きのゴーシュ 農民芸術概論綱要
 年譜
 人と文学 村野四郎

 月報
  黒い眼鏡――最晩年の白秋先生―― 木俣修
  そのおもかげ 尾崎喜八
  賢治三十三回忌 真壁仁
  小さなエピソード 倉持功
  現代文学事典㉗ゾライズム

手持ちのものは昭和44年(1969)の第7刷です。たくさんの種類が出ていた文学全集ものですが、短期間でこれだけ重版がかかっていたのかと驚きます。