明治後半から昭和20年(1945)まで、光太郎が住んでいた文京区千駄木(大正3年=1914から昭和10年=1935の間は智恵子も暮らしていました)に新たな施設が竣工しました。
プレスリリースから。

「タイガーボード」の吉野石膏さんですね。場所的には創業者の邸宅跡地ということで、現在の須藤公園に隣接するあたりではないかと思われます。
上記は森まゆみ氏著『「谷根千」地図で時間旅行』より。光太郎アトリエだけでなく、旧林町155番地の光太郎実家(光雲邸)、森鷗外の観潮楼(現・文京区立森鷗外記念館さん)、『青鞜』の最初の編集所があった物集高見邸跡などもすぐ近くです。また、須藤邸の左下(南西)に「この辺原っぱだった」とありますが、このあたりが光太郎詩「落葉を浴びて立つ」(大正11年=1922)の舞台ですし、その北に位置する「丸善工場」は「丸善工場の女工達」(大正9年=1920)に謳われています。
吉野石膏さん、公益財団法人の吉野石膏美術振興財団を傘下にお持ちです。そちらには、まず主に近代絵画のコレクション。
現在は、一部が山形美術館さんと天童市美術館さんへ寄託されているそうですが、手元に戻すそうで。「なぜ山形?」と思ったのですが、吉野石膏さんが元々は山形の吉野鉱山での石膏原石採掘から始まった企業だということで、山形との関係が深いということです。
それから、書籍。美術評論家の故・中山公男氏、美術史研究者の故・前川誠郎氏、同じく小佐野重利氏から寄贈された美術関係書籍、図録等が数千冊あるそうで、それらの閲覧もできるようになるとのことです。稀覯本にあたるようなもの(特に雑誌系)が含まれていると嬉しいのですが。
そしてプレスリリースによれば「所蔵するコレクションの展示にとどまらず、近代アートも含めた、企画展も行っていきます」とのことですので、この地にゆかりの光太郎智恵子・光雲らに関するそれも行っていただきたいものです。
オープンは今秋だそうです。またその頃に取り上げさせていただきます。
今日からのこの項、「選集等(部分)」ということで、光太郎を含む数人の作品が一冊にまとめられているものを扱います。ある程度の分量が載っているものに限り、数篇しか載っていないものは別に「詩華集等」ということで後ほど。
『高村光太郎集 室生犀星集 萩原朔太郎集』。光太郎自身が作品の選択と校訂も行い、大正3年(1914)の詩集『道程』以後、久しく単行詩集を刊行しなかった光太郎の、実質的には弟2詩集となりました。目次には入っていませんが、短い自伝が附されており、そちらは書き下ろしです。
プレスリリースから。
せっこう(石膏)を原料とする建築材料の製造・販売事業等を展開する吉野石膏株式会社(本社:東京都千代田区、代表取締役社長:須藤 永作)は、創業家ゆかりの地である東京都文京区千駄木において、「千駄木林町 須藤記念アートライブラリー」を建設し、竣工しました。
本施設は、故 須藤恒雄会長、故 須藤永一郎会長の邸宅跡地に整備されたアートライブラリーです。
ここでは、吉野石膏美術振興財団(現・千代田区丸の内)の約8,000冊の美術図書が閲覧できます。
そして、吉野石膏が長年収集し、山形美術館と天童市美術館に寄託してきた絵画コレクションも本施設に集約し、展示します。
また、所蔵するコレクションの展示にとどまらず、近代アートも含めた、企画展も行っていきます。
◆本施設の背景
東京都文京区千駄木は、森鴎外記念館や高村光太郎旧居跡などの文化施設が点在し、文化人に縁のある地域です。
本施設の敷地にかつてあった、故 須藤恒雄会長、故 須藤永一郎会長の邸宅では、吉野石膏黎明期に幹部が集い、会社の将来を語り合う場でした。
「千駄木林町 須藤記念アートライブラリー」は、そうした歴史を持つ土地において、邸宅に宿る記憶や思想を受け継ぎながら、吉野石膏と吉野石膏美術財団が持つ文化資産を未来へ継承する場として整備したものです。
◆本施設について
設計は建築家・隈研吾氏率いる隈研吾建築都市設計事務所が手掛け、日本の伝統的な建築様式である校倉造りに着想を得た、「AZEKURA」のデザインを採用しました。
施行は大林組が手掛けました。
多目的に利用可能な空間を屋内外に備えるほか、敷地内には旧邸宅の一部が再現されており、歴史的な記憶を未来へ紡ぐ設計となっています。
◆今後について
今後は蔵書や美術品の収蔵および公開に向けた準備を段階的に進め、2027年秋頃の本格的な運用開始を目指してまいります。
本施設の竣工は一つの到達点であると同時に、吉野石膏が培ってきた文化的な活動や価値を未来へ継承していく新たなスタートでもあります。
今後は本施設を舞台に、多くの方々が文化や芸術に触れる機会を創出し、文化資産の継続的な保存と活用に貢献してまいります。



吉野石膏さん、公益財団法人の吉野石膏美術振興財団を傘下にお持ちです。そちらには、まず主に近代絵画のコレクション。
現在は、一部が山形美術館さんと天童市美術館さんへ寄託されているそうですが、手元に戻すそうで。「なぜ山形?」と思ったのですが、吉野石膏さんが元々は山形の吉野鉱山での石膏原石採掘から始まった企業だということで、山形との関係が深いということです。
それから、書籍。美術評論家の故・中山公男氏、美術史研究者の故・前川誠郎氏、同じく小佐野重利氏から寄贈された美術関係書籍、図録等が数千冊あるそうで、それらの閲覧もできるようになるとのことです。稀覯本にあたるようなもの(特に雑誌系)が含まれていると嬉しいのですが。
そしてプレスリリースによれば「所蔵するコレクションの展示にとどまらず、近代アートも含めた、企画展も行っていきます」とのことですので、この地にゆかりの光太郎智恵子・光雲らに関するそれも行っていただきたいものです。
オープンは今秋だそうです。またその頃に取り上げさせていただきます。
【高村光太郎書誌】
選集等(部分) 1 『高村光太郎集 室生犀星集 萩原朔太郎集』現代詩人全集 第九巻
「道程」時代
失はれたるモナ・リザ 根付の国 画室の夜 鳩 食後の酒 寂寥 声 新緑の毒素
髪を洗ふ女 「心中宵庚申」 はかなごと 地上のモナ・リザ 葛根湯 あつき日
泥七宝 赤鬚さん ――に 或る夜のこころ さびしきみち カフエにて 冬が来る
そればつかりは 現実 或る宵 狂者の詩 郊外の人に 冬の朝のめざめ 戦闘 人に
深夜の雪 冬が来た 牛 道程 愛の嘆美 婚姻の栄誦 瀕死の人に与ふ 晩餐
五月の土壌 秋の祈
「道程」以後
無為の白日 海はまろく 花のひらくやうに 晴れゆく空 丸善工場の女工達
雨にうたるるカテドラル 沙漠 米久の晩餐 ラコッチイ マアチ 落葉を浴びて立つ
五月のアトリエ 冬の送別 かがやく朝 樹下の二人 鉄を愛す Liluli 春駒
月曜日のスケルツオ 氷上戯技 珍客 葱 車中のロダン 後庭のロダン 十大弟子
無口な船長
「猛獣篇」時代
清廉 象の銀行 白熊 傷をなめる獅子 狂奔する牛 鯰 苛察 龍 雷獣
「猛獣篇」以後
滑稽詩 夜の二人 冬の奴 ミシエル オオクレエルを読む 火星が出てゐる
偉大なるもの あなたはだんだんきれいになる 詩人 笑 美を見る者 「詩」
北東の風、雨 偶作八篇 二つに裂かれたベエトオフエン 旅にやんで
花下仙人に遇ふ 天文学の話 或る墓碑銘 ぼろぼろな駝鳥 当然事 あどけない話
無限軌道 青空 古事一則 死ねば 無いからいい 一人づつが 或る日 人生
ひとり酸素を奪つて 焼けない心臓 或る筆記通話 触知 上州湯桧曽風景 その詩
非ユークリツド的
花下仙人に遇ふ 天文学の話 或る墓碑銘 ぼろぼろな駝鳥 当然事 あどけない話
無限軌道 青空 古事一則 死ねば 無いからいい 一人づつが 或る日 人生
ひとり酸素を奪つて 焼けない心臓 或る筆記通話 触知 上州湯桧曽風景 その詩
非ユークリツド的
室生犀星集(略)
萩原朔太郎集(略)
『高村光太郎集 室生犀星集 萩原朔太郎集』。光太郎自身が作品の選択と校訂も行い、大正3年(1914)の詩集『道程』以後、久しく単行詩集を刊行しなかった光太郎の、実質的には弟2詩集となりました。目次には入っていませんが、短い自伝が附されており、そちらは書き下ろしです。



