昭和39年(1964)、故・二代目コロムビアローズさんが唄ってヒットした「智恵子抄」(丘灯至夫作詞/戸塚三博作曲)のアーカイブ映像が流れます。
BSテレ東 2026年6月15日(月) 17:56〜19:00
「二人の星をさがそうよ」田辺靖雄 「ウェディング・ドレス」九重佑三子
「ごめんねチコちゃん」三田明 「智恵子抄」二代目コロムビアローズ
「東京の灯よいつまでも」新川二朗 「桑港のチャイナ街」渡辺はま子
「長崎の鐘」藤山一郎 「別れのブルース」淡谷のり子
「イヨマンテの夜」伊藤久男 「温泉芸者」五月みどり
「お座敷小唄」松平直樹 「浮世街道」畠山みどり
「幸せなら手をたたこう」ボニージャックス 「ラ・ノビア」ペギー葉山
「恋をするなら」橋幸夫 「愛と死をみつめて」青山和子
<司会>合田道人
これまで何度も類似の番組でローズさんの「智恵子抄」がラインナップに入り、6月3日(水)に同じBSテレ東さんで放映された「日本歌手協会歌謡祭プレミアム」でも流されましたが、その際は見落としていました。
作詞の故・丘灯至夫氏は智恵子の故郷・福島二本松に近い田村郡小野新町(おのにいまち 現・小野町)の出身で、本名は西山安吉。郡山市立郡山商工学校(現・福島県立郡山商業高等学校)商業科を卒業後、西條八十に師事し、詩誌『蝋人形』郡山支部主宰となり、同誌に多くの詩を発表しました。生活のためもあって日本放送協会、のち毎日新聞社に勤務。太平洋戦争召集を経て、戦後は『毎日グラフ』記者として活躍しました。
津吹さんも福島ご出身だそうで。
「智恵子抄」、今後とも歌い継がれていってほしいものです。
<司会>合田道人
これまで何度も類似の番組でローズさんの「智恵子抄」がラインナップに入り、6月3日(水)に同じBSテレ東さんで放映された「日本歌手協会歌謡祭プレミアム」でも流されましたが、その際は見落としていました。
作詞の故・丘灯至夫氏は智恵子の故郷・福島二本松に近い田村郡小野新町(おのにいまち 現・小野町)の出身で、本名は西山安吉。郡山市立郡山商工学校(現・福島県立郡山商業高等学校)商業科を卒業後、西條八十に師事し、詩誌『蝋人形』郡山支部主宰となり、同誌に多くの詩を発表しました。生活のためもあって日本放送協会、のち毎日新聞社に勤務。太平洋戦争召集を経て、戦後は『毎日グラフ』記者として活躍しました。
昭和24年(1949)、たまたま手がけることとなった「母燈台」(三益愛子主演映画の主題歌 霧島昇歌唱)の作詞をきっかけに、毎日新聞社に籍を置いたまま日本コロムビアの専属作詞家となり、以後、故郷・福島を謳った「高原列車は行く」(昭和29年=1954 古関裕而作曲 岡本敦郎歌唱)、舟木一夫のデビュー曲「高校三年生」(昭和38年=1963 遠藤実作曲)などのヒット曲を世に送り出した他、テレビアニメ「ハクション大魔王」(昭和44年=1969 市川昭介作曲)、「昆虫物語みなしごハッチ(昭和45年=1970 越部信義作曲)の主題歌なども手がけました。
その丘灯至夫氏の「「智恵子抄」と私」。
私が歌謡として書いた「智恵子抄」が、戸塚三博氏の気品ある、曲を得、そしてコロムビア・ローズさんの心をこめた歌いぶりで、ひろくヒットしたことは本当にうれしい。もともとこういう地味な歌は、なかなか大衆にとけこまないレコード界のことだけに、私としても予想外のことであった。この歌は、ご存じのように、高村光太郎の詩集「智恵子抄」を、歌詞化したものだが、純粋な詩を、歌謡化することは、一歩あやまると原詩を汚すおそれがある。しかし私としては郷里が、亡き智恵子さんとおなじ、福島県であり、詩集「智恵子抄」がはじめて世に出た昭和初期から、私の心を魅了しつづけていただけに、私がレコード界に籍をおくようになってから、この歌謡化は、ひとつの大きな念願だった。難かしい仕事ではあったけれど、たまたま病後、静養のため、しばらく福島県、会津のひなびた温泉に滞在中、澄み切った青空の下、安達太良山を背景に、高原のからまつ林の道をゆく、浴衣姿の乙女のうしろ姿を見て、
その丘灯至夫氏の「「智恵子抄」と私」。
私が歌謡として書いた「智恵子抄」が、戸塚三博氏の気品ある、曲を得、そしてコロムビア・ローズさんの心をこめた歌いぶりで、ひろくヒットしたことは本当にうれしい。もともとこういう地味な歌は、なかなか大衆にとけこまないレコード界のことだけに、私としても予想外のことであった。この歌は、ご存じのように、高村光太郎の詩集「智恵子抄」を、歌詞化したものだが、純粋な詩を、歌謡化することは、一歩あやまると原詩を汚すおそれがある。しかし私としては郷里が、亡き智恵子さんとおなじ、福島県であり、詩集「智恵子抄」がはじめて世に出た昭和初期から、私の心を魅了しつづけていただけに、私がレコード界に籍をおくようになってから、この歌謡化は、ひとつの大きな念願だった。難かしい仕事ではあったけれど、たまたま病後、静養のため、しばらく福島県、会津のひなびた温泉に滞在中、澄み切った青空の下、安達太良山を背景に、高原のからまつ林の道をゆく、浴衣姿の乙女のうしろ姿を見て、
東京の空 灰色の空
ほんとの空が見たいという
というはじめの二行が、溢れ出たのである。
この歌は、先にのべた詩集「智恵子抄」の中の「あどけない話」からヒントを得たもので一番の歌詩は、もちろん「あどけない話」がテーマになっているけれど、二番と三番の歌詩は、私のフィクションである。智恵子さんが精神に異常を起こしたのは中年になってからのことで、そのまま歌にしては、いかにも若さを失ってしまう。だから、私の「智恵子抄」は、智恵子さんを、乙女の姿として描いてみたものである。さきごろ、この歌のヒットが縁で、二本松市に招かれ、若いころの智恵子さんの写真や、手紙などを見せていただいたが、私が私なりに感じ、まとめあげたイメージが、そんなに違っていなかったことで安堵した。この歌をローズさんは、今後も折あるごとに歌いつづけるという。私にとっては思い出深い歌のひとつになるであろうし、地下の高村光太郎、智恵子夫妻も、あたたかなやさしい気持で、この歌を聞いて下さっていることと思う。
(ソノシートブック『智恵子のふるさとを訪ねて◆コロムビア・ローズ愛唱歌集◆』日本コロムビア 昭和39年=1964)
今年4月、新宿で行われた朗読劇「ほんとの空・青い空」公演で、W主演のお一人だった演歌歌手の津吹みゆさんという方が、同公演のカーテンコールで「智恵子抄」を唄われていたそうですし、その後も各地のショッピングモール等での新曲キャンペーン中で「智恵子抄」も唄って下さっています。ありがたし。津吹さんも福島ご出身だそうで。
「智恵子抄」、今後とも歌い継がれていってほしいものです。
【高村光太郎書誌】
選集等(単独) 40 『レモン哀歌 高村光太郎詩集』
平成3年(1991)1月25日 集英社(集英社文庫) 高村光太郎著
目次
ぼろぼろな駝鳥
ちょっと前まで新刊書店で見かけていたような気がするのですが、残念ながら現在は絶版のようです。目次
ぼろぼろな駝鳥
失はれたるモナ・リザ 根付の国 寂寥 声 新緑の毒素 父の顔 犬吠の太郎
さびしきみち 冬が来る 山 冬が来た 牛 道程 秋の祈 わが家 小娘
丸善工場の女工達 雨にうたるるカテドラル ラコツチイ マアチ 米久の晩餐
落葉を浴びて立つ 鉄を愛す 月曜日のスケルツオ 白熊 車中のロダン 後庭のロダン
丸善工場の女工達 雨にうたるるカテドラル ラコツチイ マアチ 米久の晩餐
落葉を浴びて立つ 鉄を愛す 月曜日のスケルツオ 白熊 車中のロダン 後庭のロダン
苛察 火星が出てゐる 冬の言葉 ぼろぼろな駝鳥 当然事 その詩 首の座
激動するもの 孤独が何で珍らしい 刃物を研ぐ人 もう一つの自転するもの 鯉を彫る
へんな貧 蝉を彫る
激動するもの 孤独が何で珍らしい 刃物を研ぐ人 もう一つの自転するもの 鯉を彫る
へんな貧 蝉を彫る
レモン哀歌
人に(いやなんです) 郊外の人に 冬の朝のめざめ 人に(遊びぢやない) 深夜の雪
人類の泉 僕等 樹下の二人 金 鯰 夜の二人 あなたはだんだんきれいになる
あどけない話 同棲同類 美の監禁に手渡す者 人生遠視 風にのる智恵子
千鳥と遊ぶ智恵子 値ひがたき智恵子 山麓の二人 レモン哀歌 亡き人に 梅酒
荒涼たる帰宅 若しも智恵子が 元素智恵子 メトロポオル 裸形
千鳥と遊ぶ智恵子 値ひがたき智恵子 山麓の二人 レモン哀歌 亡き人に 梅酒
荒涼たる帰宅 若しも智恵子が 元素智恵子 メトロポオル 裸形
暗愚小伝
家
土下座 ちよんまげ 御前彫刻 楠公銅像
転調
転調
彫刻一途 パリ
反逆
親不孝 デカダン
蟄居
美に生きる
二律背反
協力会議 真珠湾の日 ロマン ロラン 暗愚 終戦
炉辺
報告(智恵子に) 山林
わが詩を読みて人死に就けり
語注
解説 粟津則雄
鑑賞 残間里江子
年譜 小田切進
手持ちのものは平成4年(1992)の第4刷です。1年で4刷、なかなか売れ行きが好調だったようで、林静一氏のカバーイラストも貢献度大だったのではないかと思われます。
手持ちのものは平成4年(1992)の第4刷です。1年で4刷、なかなか売れ行きが好調だったようで、林静一氏のカバーイラストも貢献度大だったのではないかと思われます。










