昨日は上京しておりました。2日に分けてレポートいたします。

メインの目的が、吉祥寺の武蔵野商工会議所さんで開催された「第20回明星研究会 与謝野寛・晶子を偲ぶ会 「晶子短歌の全貌を見渡す~『みだれ髪』から『白桜集』まで」。
PXL_20260531_042733842.MP PXL_20260531_070600299
明星研究会さんでは年2回、研究発表会を開催されていますが、1回はこの時期で、5月29日の与謝野晶子忌日・白桜忌に合わせての設定です。

会場での対面型と、Zoom使用によるオンライン開催でしたが、会場の方でも100名近く集まられたでしょうか。
001
ご発表はお三方の歌人。それぞれが「明治」「大正」「昭和」を担当され、それぞれの時期の晶子短歌を中心に、さらに事蹟や社会情勢などを追ったものでした。

まず古谷円氏。演題は「明治の晶子、ほとばしる豊かな抒情『みだれ髪』~『青海波』」。
PXL_20260531_050411358.MP
002
晶子がはなばなしくデビューした明治期ですが、「恋」を一つのキーワードにその時期を。ただ、歌集の中で晶子が「恋」の語を多用したのは、実は明治期より大正期だったそうですが。また、かの『みだれ髪』についても、晶子自身、後になって「取るにたらないものだった」的な自作評をしていたというあたり、興味深いものでした。
005
光太郎も第一詩集『道程』(大正3年=1914)については、同じようなことを語っています。

「道程」の構成がいはゆる詩集のやうでなくて、むしろ一つの雑綴のやうであるといふ 人もあるが、その通りである。当時私は世人のいふ詩集といふ特殊観念に鼻もちがならず、(詩集にガラスの宝石をちりばめるといつたやうな観念だ。)ただ製作順に自己の詩を並べて、注意深い読者におのつから筆者内面のエヴオリユウシヨンを見てもらはうとしたのである。それ故、装幀も無装飾、まるで違つたカテゴリイに属する詩篇も平気で並べたのである。お上品な、いはゆる詩人気質の好きな人は始から「道程」などを手に取らない方がいい。(「某月某日」昭和16年=1941)

ただ、ここにはある種の自負心は感じられますが。

続いて米川千嘉子氏が、「大正の晶子、人生にわたる浪漫『夏より秋へ』~『瑠璃光』」と題してのご発表。
PXL_20260531_055023754
003
晶子というと「明治の歌人」というイメージがありますが、最も旺盛に執筆や出版を行っていたのが大正期ということで、さらに夫の寛との関係性の変化、生活上の苦労、明治期と異なる様々なモチーフ(滞欧体験、連作の試み、羈旅歌的な作他)や新たなジャンル(感想集、評論集、『源氏物語』訳、自由詩など)への挑戦といったお話。

智恵子の先輩にして『青鞜』主宰だった平塚らいてう等とのいわゆる「母性保護論争」などについても言及されました。

トリの松平盟子氏で、「昭和の晶子、その変節と不変『心の遠景』~『白桜集』」。
PXL_20260531_063138107
004
昭和2年(1927)に与謝野家は荻窪に移り、同10年(1935)に寛、そして同17年(1942)に晶子が逝去。いわば晩年ですね。この頃になると晶子の作品発表先が、主宰していた雑誌『冬柏』は別として、『横浜貿易新報』などに限られていたというお話など。晶子自身も現場近くに居たという、関東軍による張作霖爆殺事件(昭和3年=1928)以後、満州事変(同6年=1931)、日中戦争(同12年=1937)と推移していく世情の中で、ある意味、かつての晶子スタイルの作は世の中にとって不要とされていくさまなど。

そして晶子も翼賛的歌文を書くように。松平氏、昭和9年(1934)の散文集『優勝者となれ』序文の一節を引かれていました。

 目前の日本は、国家としても、個人としても、破天荒の飛躍を断行しつつ、歴史を新しくする一大転機の中に動いてゐる。無用の旧憤、有害なる前例は之を破らねばならぬ。すべての人が各自の能力相応に日本の進転を円滑にする歯車の一つとして国民の本文を尽さねばならぬ。(略)この一大転機に歓呼して進む日本人は、もとより百難千苦の抵抗を前途に覚悟してゐる。

どこぞの大統領と会ってぴょんぴょん跳びはねた愚物が涙を流して有り難がるような文章ですね。

また、遡って昭和7年(1932)には、昭和とは思えないような文語定型の翼賛詩も発表しています。これは存じませんでした。
006
昨年亡くなった晶子研究の泰斗・逸見久美氏はこのあたり、寛の代筆ではないかとおっしゃっていたそうです。さもありなん、ですね。

休憩を挟んで、最後に発表のお三方が揃ってご登壇なさり「まとめ 人生の歓喜も悲哀も詠み尽くすということ」。
PXL_20260531_071639846
ちなみにスクリーンの下に写っている茶髪はシャンソン系歌手のモンデンモモさんです。2週間ぶりに会いました(笑)。荻窪の晶子顕彰団体・杉並与謝野晶子研究会さんに所属されているそうです。そういえば昨冬、当方が発表を仰せつかった「第19回 明星研究会シンポジウム 『明星』と美術~ 華麗にして心に響くカタチ」にもいらしていました。少し前から晶子短歌モチーフの曲を作られ、歌われているそうで。

関係の皆様のますますのご活躍、そして晶子研究のさらなら進展を祈念いたし、都内レポートその1、終わります。

【高村光太郎書誌】

選集等(単独) 28 『日本の詩歌 10 高村光太郎』中公文庫

昭和49年(1974)9月10日 中央公論社 編集委員 伊藤信吉/伊藤整/井上靖/山本健吉
PXL_20260528_000157739 PXL_20260528_000209497 PXL_20260528_000225945
目次
 道程
  失はれたるモナ・リザ 生けるもの 根付の国 画室の夜 食後の酒 寂寥 声
  新緑の毒素 廃頽者より 髪を洗ふ女 なまけもの 手 地上のモナ・リザ 父の顔
  泥七宝 犬吠の太郎 さびしきみち 冬が来る 夜 狂者の詩 山 よろこびを告ぐ
  冬が来た 冬の詩 牛 道程 群集に 万物と共に踊る 五月の土壌 秋の祈 失走
  白昼の空気 あたり前 PRÉSENTATION  秒刻 マデル 豆腐屋
 道程以後
  わが家 花のひらくやうに 海はまろく 湯ぶねに一ぱい 晴れゆく空 無為の白日
  小娘 丸善工場の女工達 雨にうたるるカテドラル ラコツチイ マアチ 米久の晩餐
  クリスマスの夜 下駄 冬の送別 沙漠 落葉を浴びて立つ とげとげなエピグラム
  新茶
 猛獣篇
  清廉 白熊 傷をなめる獅子 狂奔する牛 鯰 象の銀行 苛察 ぼろぼろな駝鳥 竜
 猛獣篇時代
  聖ジヤンヌ 秋を待つ 火星が出てゐる 冬の奴 怒 花下仙人に遇ふ 母をおもふ
  その年私の十六が来た 詩人 偶作 平和時代 寸言 或る墓碑銘 冬の言葉 当然事
  さういふ友 あの音 夏書 焼けない心臓 街上比興 上州湯桧曽風景 或る筆記通話
  無題 激動するもの 上州川古「さくさん」風景 或る親しき友の親しき言葉に答ふ
  孤独が何で珍しい のつぽの奴は黙つてゐる 機械、否、然り 友よ 霧の中の決意
  非ヨオロツパ的なる もう一つの自転するもの ばけもの屋敷 お化け屋敷の夜
  つゆの夜ふけに
 造型篇
  五月のアトリエ 鉄を愛す 月曜日のスケルツオ 車中のロダン 後庭のロダン 葱
  美を見る者 最後の工程 首の座 刃物を研ぐ人 似顔 村山槐多 鯉を彫る 荻原守衛
  孤坐 蝉を彫る 十和田湖畔の裸像に与ふ 偶作
 独居自炊
  秋風辞 地理の書 銅像ミキイヰツツに寄す へんな貧 最低にして最高の道
  百合がにほふ 手紙に添へて 新緑の頃 氷上戯技 晴天に酔ふ 独居自炊 われらの道
  美しき落葉 石くれの歌 春駒
 智恵子抄
  人に 涙 おそれ からくりうた 或る宵 郊外の人に 冬の朝のめざめ 深夜の雪
  人類の泉 人に 僕等 愛の嘆美 晩餐 樹下の二人 金 夜の二人
  あなたはだんだんきれいになる あどけない話 同棲同類 美の監禁に手渡す者
  人生遠視 風にのる智恵子 千鳥と遊ぶ智恵子 値ひがたき智恵子 山麓の二人
  レモン哀歌 亡き人に 梅酒 荒涼たる帰宅 うた六首 もしも智恵子が 元素智恵子
  メトロポオル 裸形 案内 あの頃 吹雪の夜の独白 噴霧的な夢 松庵寺
  智恵子と遊ぶ
 典型
  雪白く積めり
  暗愚小伝
   家
    土下座 ちよんまげ 郡司大尉 日清戦争 御前彫刻 建艦費 楠公銅像
   転調
    彫刻一途 パリ
   反逆
    親不孝 デカダン
   蟄居
    美に生きる おそろしい空虚
   二律背反
    協力会議 真珠湾の日 ロマン ロラン 暗愚 終戦
   炉辺
    報告 山林
  「ブランデンブルグ」  人体飢餓 悪婦 月にぬれた手 鈍牛の言葉 典型
  田園小詩
   山口部落 かくしねんぶつ クロツグミ クチバミ 別天地 ヨタカ
  女医になつた少女 山の少女 山のともだち 餓鬼 わが詩をよみて人死に就けり
 詩人の肖像 山本健吉
 鑑賞 伊藤信吉
 年譜 

刊行された単行詩集の配列をもとにした編集です。文庫本としては異例の多くの作品を掲載し、さらに一篇ごとに伊藤信吉による的確な解説文が附されています。残念ながら絶版ですが。

手持ちのものは平成3年(1991)の9版です。