一昨日から福島二本松の智恵子生家/智恵子記念館さんで「令和8年度 高村智恵子生誕祭」が開催されています。
地方紙『福島民友』さんから、予告的な案内記事。他の様々なイベントとともに紹介されました。
地方紙『福島民友』さんから、予告的な案内記事。他の様々なイベントとともに紹介されました。
■高村智恵子生誕祭 開催中
二本松市の智恵子の生家・智恵子記念館。5月24日まで。25日から週末・祝日に生家2階の智恵子の居室を特別公開、5月10日までは奇跡といわれる智恵子の紙絵実物を展示している。
生家は明治初期に建てられた造り酒屋で、酒銘は花霞。智恵子は1886年5月20日に生まれ、育った。5月9、10、19、20日に縁側で「花霞」振る舞い酒、16、17、23、24日に1階で、上川崎和紙で作る紙絵体験を行う。午前9時~午後4時30分。水曜日定休(祝日除く)。入館料は410円(小・中学生210円)。問い合わせは同館(電話)0243・22・6151
ご紹介下さったのはありがたいのですが「水曜日定休(祝日除く)」とあるのは誤りですね。今年は生誕祭期間中は無休だそうです。
平常時は確かに水曜定休のところ、今年は智恵子生誕140周年ということもあるからでしょうか、二本松市さんとしては気合いを入れているようです。お間違いなきよう。
それから同じく『福島民友』さん、あだたら山ロープウェイ山頂駅にオープンした「【あ】の図書室」について。4月17日(金)掲載の記事です。

平常時は確かに水曜定休のところ、今年は智恵子生誕140周年ということもあるからでしょうか、二本松市さんとしては気合いを入れているようです。お間違いなきよう。
それから同じく『福島民友』さん、あだたら山ロープウェイ山頂駅にオープンした「【あ】の図書室」について。4月17日(金)掲載の記事です。
「ほんとの空」の下、読書と眺望がのんびり楽しめる図書室が福島県二本松市のあだたら高原リゾート・ロープウエイ山頂駅に登場した。
安達太良山(あだたらやま)は6文字全て「あ」音のため【あ】の図書室と名付けられ、智恵子抄や二本松に関する本をはじめ、登山、旅、温泉、花の本や雑誌、児童書など約300冊が並んでいる。土足厳禁のサロン風スペース。
奥岳登山口から結ぶロープウエーの運行は午前8時半~午後4時半。料金は往復一般2200円、4歳~小学生1700円。水曜日運休(祝日除く)。同駅近くには薬師岳パノラマパークがあり、標高1350メートルからの景色が楽しめる。
続いて『朝日新聞』さん、4月21日(火)の夕刊。
■紙絵に託した、光太郎への愛と感性 市教育委員会文化課主任主事・橋本真紀
大胆な配色とシンメトリーの構図。シンプルかつ目を引くこの「紙絵」は、高村光太郎の詩集「智恵子抄」のモデルとして知られる妻、智恵子(1886~1938)が最晩年、紙を折り、切り抜いて作った作品です。
《二本松市智恵子記念館》 福島県二本松市油井漆原町36(☎0243・22・6151)。午前9時~午後4時半(入館は30分前まで)。水(祝休の場合は翌平日)休み。410円。紙絵は保護のため複製展示。23日~5月10日は実物を公開予定。
市教育委員会文化課主任主事 橋本真紀
橋本氏、当方もさんざんお世話になっている方ですので「ありゃま」という感じでした。
「おやっ」と思ったのは、油絵「ヒヤシンス」について。「額装されていない状態で見つかりました」という点、存じませんでした。郷里で見つかったとか、署名がないなどの点は、旧安達町発行の図録的な書籍『命と愛のメッセージ』(初版・平成4年=1992/改版・平成14年=2002)に、当会顧問であらせられた故・北川太一先生が書かれていましたが。
考えてみればあり得る話ですが、改めてよくぞこの絵が残っていてくれたものだ、と思わせられます。
同じく二本松にあったはずの、智恵子が祖父・次助を描いた肖像画は行方不明です。明治40年(1907)の日本女子大学校卒業後、郷里に帰らず東京で絵画の修業を続けたいという智恵子の希望に対し、はじめ反対していた家族たちもこの肖像画を見て「これほどの腕前なら……」と翻意したというエピソードがあり、ぜひ見てみたいものなのですが……。どこかからひょっこりでてこないものかと思っております。
最後にやはり『朝日新聞』さん、4月15日(水)付の読者投稿川柳欄。
お題が「智恵」ということで、入選句の七句が掲載されました。秀逸句的な作が「智恵子なら戦地に空は無いといふ」。選評では「「智恵子抄」の類句多」だそうで、「ほんとの空」に関し、それなりに人口に膾炙しているのだなと嬉しくなりました。ただ、内容が内容だけに手放しで喜ぶのも不謹慎かとは存じますが。
これを読んで想起させられたのが、俳人・秋元不死夫の句「鳥わたるこきこきこきと罐切れば」。戦後間もない昭和21年(1946)の作で、まだ回復しない食糧事情の中、入手した貴重な缶詰めを缶切りで開ける様子。そしてふと見上げた空には渡り鳥、という情景です。
この句に関しては貴重な缶詰めとか、「こきこきこき」のオノマトペとかに着目した評が為されることがほとんどですが、やはり季語である「鳥わたる」を中心に据えれば、戦争が終わり、空を飛んでいるのは爆撃機でも戦闘機でもなく渡り鳥だ、平和な世になったんだなぁ、という実感が見てとれるような気がします。
ちなみに秋元は戦時中、新興俳句の同人誌、その作者らが治安維持法に基づいて大量検挙された「京大俳句事件」で2年間投獄されました。戦後、自由の身となったというのもこの句の背景にあるのでしょう。
つくづくこういう句が詠まれる世に戻してはならないと思うのですが、国会審議を経ない閣議決定とやらでなし崩し的に武器輸出が容認されるとのこと。我々の納めた税金が人殺しのための武器に使われる、日本製の無人ドローンなどで戦地の「ほんとの空」が覆われるなど、あってはならないことだと思うのですが……。
しかしおよそ一般教養や常識に欠ける幼稚なネトウヨなどには「「智恵子なら戦地に空は無いといふ」の句も、何を言ってるのかさっぱりわからないのでしょうね。嘆かわしいものですが、そういう輩が多数派とならないようにしていきたいものです。
近代日本の成立と発達
明治、大正、昭和の建築
光太郎執筆箇所は「図版解説」中の「17 老夫 長沼守敬」「18 老猿 高村光雲」「21 銀盤(柳敬助像) 荻原守衛」「23 北條虎吉肖像 荻原守衛」。
大先輩の長沼や亡父光雲はともかく、早世さえしなければ共に手を取り合って日本彫刻界をリードしていくはずだった親友の荻原守衛の作を解説というあたり、光太郎にとっては特別な感慨があったのではないでしょうか。
「東京には空がない」とこぼした智恵子は、当館がある福島県油井村(現二本松市)の造り酒屋の家に生まれました。大学を卒業後、女性としては当時まだ珍しい洋画家として歩み始めますが、芸術界の巨匠になっていく夫とは対照的に、徐々に心身を病んでいきます。創作活動の行き詰まりが一因ともいわれます。
しかし亡くなる約2年前から病床で紙絵作りに没頭し、千数百点もの作品を残しました。本作は、ピンクと青の反対色の組み合わせが印象的です。当時は配色が病的と指摘されたこともありましたが、感性の赴くままに表現した、智恵子の芸術性が存分に開花した作品の一つです。
紙絵は、病床で誰にも見せず、ひそかに作られました。千代紙や包装紙、薬の袋が、マニキュアはさみを使って大胆に、時に繊細に切り出され、鮮やかに組み合わせられました。それらは、光太郎にだけ見せたといいます。紙絵は、智恵子の思いを託した光太郎へのメッセージだったのではないでしょうか。
一方、洋画家・智恵子の作品として確認されている油絵は3点しかありません。うち1点が大正初期、帰省中に描かれたと伝わる「花(ヒヤシンス)」です。署名はなく、額装されていない状態で見つかりました。もしかすると、未完成なのかもしれません。
若い頃、完璧主義の一面があったという智恵子は、どんなに筆を進めても満足できず、何より芸術家である夫・光太郎に認められたいと、理想と現実の間でもがいていたのだと思います。
光太郎を愛し、認められたいと願った若き日から、最期は智恵子にしかなし得ない表現で、光太郎ただ一人のために作品を残したのです。
(聞き手・三品智子)
《二本松市智恵子記念館》 福島県二本松市油井漆原町36(☎0243・22・6151)。午前9時~午後4時半(入館は30分前まで)。水(祝休の場合は翌平日)休み。410円。紙絵は保護のため複製展示。23日~5月10日は実物を公開予定。市教育委員会文化課主任主事 橋本真紀
はしもと・まき 2022年から現職。智恵子の誕生日と命日に合わせた「生誕祭」「レモン祭」の企画運営や生家のライトアップイベントを手がける。
橋本氏、当方もさんざんお世話になっている方ですので「ありゃま」という感じでした。
「おやっ」と思ったのは、油絵「ヒヤシンス」について。「額装されていない状態で見つかりました」という点、存じませんでした。郷里で見つかったとか、署名がないなどの点は、旧安達町発行の図録的な書籍『命と愛のメッセージ』(初版・平成4年=1992/改版・平成14年=2002)に、当会顧問であらせられた故・北川太一先生が書かれていましたが。

同じく二本松にあったはずの、智恵子が祖父・次助を描いた肖像画は行方不明です。明治40年(1907)の日本女子大学校卒業後、郷里に帰らず東京で絵画の修業を続けたいという智恵子の希望に対し、はじめ反対していた家族たちもこの肖像画を見て「これほどの腕前なら……」と翻意したというエピソードがあり、ぜひ見てみたいものなのですが……。どこかからひょっこりでてこないものかと思っております。
最後にやはり『朝日新聞』さん、4月15日(水)付の読者投稿川柳欄。
これを読んで想起させられたのが、俳人・秋元不死夫の句「鳥わたるこきこきこきと罐切れば」。戦後間もない昭和21年(1946)の作で、まだ回復しない食糧事情の中、入手した貴重な缶詰めを缶切りで開ける様子。そしてふと見上げた空には渡り鳥、という情景です。
この句に関しては貴重な缶詰めとか、「こきこきこき」のオノマトペとかに着目した評が為されることがほとんどですが、やはり季語である「鳥わたる」を中心に据えれば、戦争が終わり、空を飛んでいるのは爆撃機でも戦闘機でもなく渡り鳥だ、平和な世になったんだなぁ、という実感が見てとれるような気がします。
ちなみに秋元は戦時中、新興俳句の同人誌、その作者らが治安維持法に基づいて大量検挙された「京大俳句事件」で2年間投獄されました。戦後、自由の身となったというのもこの句の背景にあるのでしょう。
つくづくこういう句が詠まれる世に戻してはならないと思うのですが、国会審議を経ない閣議決定とやらでなし崩し的に武器輸出が容認されるとのこと。我々の納めた税金が人殺しのための武器に使われる、日本製の無人ドローンなどで戦地の「ほんとの空」が覆われるなど、あってはならないことだと思うのですが……。
しかしおよそ一般教養や常識に欠ける幼稚なネトウヨなどには「「智恵子なら戦地に空は無いといふ」の句も、何を言ってるのかさっぱりわからないのでしょうね。嘆かわしいものですが、そういう輩が多数派とならないようにしていきたいものです。
【高村光太郎書誌】
本人著作(部分)29 『世界美術全集 第25巻 日本Ⅳ』
昭和26年(1951)11月30日 平凡社 下中弥三郎編
目次近代日本の成立と発達
明治、大正、昭和の建築
明治、大正、昭和の彫刻
明治、大正、昭和の日本画(版画を含む)
明治前期の西洋画
印象主義以後
明治、大正、昭和の工芸
図版 原色版 一七図 グラビア版 一二八図 本文挿図 二七六図
図版解説
年表
参考書目録
挿図目録
図版目録
光太郎執筆箇所は「図版解説」中の「17 老夫 長沼守敬」「18 老猿 高村光雲」「21 銀盤(柳敬助像) 荻原守衛」「23 北條虎吉肖像 荻原守衛」。
大先輩の長沼や亡父光雲はともかく、早世さえしなければ共に手を取り合って日本彫刻界をリードしていくはずだった親友の荻原守衛の作を解説というあたり、光太郎にとっては特別な感慨があったのではないでしょうか。






