昨日は日帰りで信州に行っておりました。

主目的は安曇野市の碌山美術館さんで開催された、光太郎の親友だった彫刻家・碌山荻原守衛の忌日「碌山忌」のものろもろ。守衛は明治43年(1910)に亡くなりましたので、昨日で第116回でした。
001
午前6時頃、千葉の自宅兼事務所から例によって愛車でかっ飛んで行ったのですが、少し遠回りして長野市に立ち寄ったり、途中で昼食を摂ったりで、着いたのは正午過ぎでした。
PXL_20260422_032058742 PXL_20260422_032139900.MP
13:30から講演があるということで、まずはその前に館内散策。
003
真っ先に向かうは第一展示棟。光太郎作品が常設で展示されています。
PXL_20260422_062235662 PXL_20260422_062147902
光太郎らの作品は入れ替えながらの展示となるため、行くたび展示されている作品が変わっており、現在は「手」(大正7年=1916)、「腕」(同)、「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」の中型試作(昭和28年=1953)、そして絶作の「倉田雲平胸像」(昭和29年=1954)。多い時はもう少し出して下さっていますが、今年は9月19日(土)~11月23日(月)の日程で「光太郎智恵子展」的な企画展をまたやって下さるそうなので、それに向けて今は少なめにしているようです。

第二展示棟。こちらは現在、守衛を敬愛し、ある意味その系譜を継いで、さらに館の設立に尽力した石井鶴三や笹村草家人、基俊太郎らの作品が並んでいます。
PXL_20260422_062215901
また、特に企画展とは謳っていませんが、杜江館という棟では国指定重要文化財の守衛作「北條虎吉像」石膏原型も出ていました。令和5年(2023)、竹橋の東京国立近代美術館さんで開催された「東京国立近代美術館70周年記念展 重要文化財の秘密」にも出品されたものです。

そして本館とも云うべき碌山館。今井兼次設計による教会ふうロマネスク建築は館全体のシンボルでもあります。
PXL_20260422_034224371
こちらは内部撮影可。
PXL_20260422_034345807
シンボル中のシンボル「女」。
PXL_20260422_035634601 PXL_20260422_035618878
PXL_20260422_034506876 PXL_20260422_035530405
守衛パリ留学中の作品で、光太郎がぜひ石膏にとって日本に持ち帰るようにと進言したため残った「坑夫」。
PXL_20260422_034430532 PXL_20260422_035521855
ちなみに「坑夫」はお隣の穂高東中学校さんにも建てられています。台座のプレートは昭和30年(1955)、最晩年の光太郎の筆。平日で生徒さんもいる時間帯ですので、のちほど敷地外から。
PXL_20260422_062821456.MP PXL_20260422_062831959
再び碌山館内部。奥の小部屋。
PXL_20260422_035220736 PXL_20260422_035040416
守衛の年譜や現存しない彫刻の写真、光太郎を含む関係者の紹介等。上記「女」「坑夫」の解説板もそうですが、令和4年(2022)に行った碌山館補修のためのクラウドファンディングで余った資金をこちらの改訂にも使ったようで、きれいにアップデートされています。

碌山館裏の光太郎詩碑。
PXL_20260422_035756566
つい先だって、登録有形文化財指定が決まった「グズベリーハウス」と「美術の倉」。
PXL_20260422_035916413.MP PXL_20260422_035939201
館庭は天然の植物園。山吹やドウダンツツジなどが満開でした。
PXL_20260422_063034328 PXL_20260422_062955405
恒例の草花の即売会も。今年は「三時草」というのを一鉢100円で購入しました。何だか娘がなぜか多肉植物にはまっていまして(笑)。
PXL_20260422_063103361 PXL_20260423_001736218
右上は今撮ったもの。

そうこうしているうちに講演会で、再び杜江館に。下画像は講演会場の杜江館2階の窓から見たアルプスの山々。館庭からは見えにくいのですが、ここからはバッチリです。
PXL_20260422_053153130
PXL_20260422_040955603 PXL_20260422_095247542
講師の丸尾リサ氏(右上画像は後の「偲ぶ会」でのもの)は、同館友の会のメンバーで、明治美術学会などにも所属されているとのこと。守衛、そしてその師・ロダンとの比較研究ということで、パリにもしばらく滞在なさっていたそうです。また、連翹忌の集いにもご参加下さったことがおありとおっしゃっていました。当方が引き継ぐ前のことだったようで、気がつきませんでした。
PXL_20260422_043048406.MP PXL_20260422_043355142
今年の連翹忌においで下さった平沢重人新館長のご挨拶に続き、さっそくご講演。演題は「ロダンの後継者荻原守衛」。特に「女」に焦点を絞って、その構造や守衛の構想の中に、静止したポーズの中にも筋肉や骨格の動きというか、力というかが意図され、そのため止まっていてもアクションやひいては生命感といったものが存分に感じられる、といったお話。
PXL_20260422_050645652 PXL_20260422_050343059
それはロダンやミケランジェロ、さらに遡って古代ギリシャ彫刻から学んだものであろうとし、そして本邦アカデミズム系の彫刻にはそうした要素が希薄だと、ある意味、厳しい指摘も。確かにおっしゃるとおりで、だから光太郎もアカデミズム系は「人形のよう」と断じましたし、当方も例えば守衛同様、重要文化財指定を受けているあるアカデミズム系彫刻家の作品を見てもあまり感心できません。異論もありましょうが。

こうした点を鑑みると、かえすがえす守衛の早世が惜しまれます。

その後、車2台に分乗して守衛の墓参。
PXL_20260422_071320984.MP PXL_20260422_071641373
例年ですと荻原家ご当主の義重氏がいらっしゃるのですが、少し体調を崩されているということで、残念ながら今年はお会いできませんでした。来年以降、またお会いできることを祈念いたしております。
PXL_20260422_073115923
墓所から見た常念岳。守衛も愛した山です。

館に戻り、18:00からグズベリーハウスで「偲ぶ会」。
002
これも毎年恒例の、光太郎詩「荻原守衛」(昭和11年=1936)参会者全員による群読からスタート。
PXL_20260422_090442058.MP PXL_20260422_090457128.MP
式辞的なご挨拶。まず安曇野市教育長・橋渡勝也氏。続いて元館長にして現・代表理事の高野博氏。
PXL_20260422_090626710.MP PXL_20260422_090932499
平沢館長による1年間のご報告。一昨年、昨年とこの場にいらした当時の安曇野市長・太田寛氏(館の理事も兼任されていました)など、関係の方々の物故報告もあり、粛然とさせられました。やはり元館長で複数の守衛関連ご著書等があり、さらに連翹忌にも複数回ご参加下さった仁科惇氏も昨年亡くなったそうで、それは存じませんでしたので尚更でした。
PXL_20260422_091114495 003
続いて今年3月末でご退任となった幅谷啓子前館長に花束贈呈。
PXL_20260422_091649269.MP
館長就任以前にも断続的に同館に勤務されたりなさった幅谷氏、ご挨拶の中では感極まって涙されていました。お疲れさまでした。

その後は和気藹々と会食。幅谷氏を筆頭に関係の女性陣、学芸員の武井敏氏などが腕をふるわれた手料理、心ののこもったそれに舌鼓を打たせていただきました。
PXL_20260422_092410161.MP
19:30に閉会、片付けをして20:00頃に帰途に就きました。その時間帯ならおおむね24:00頃自宅兼事務所にたどり着く、シンデレラ状態です(笑)。

昼間の話に戻りますが、昨日は入場無料ということもあってか、団体のツアーも入り(何と奈良県からのそれも)、盛況でした。館としては入場料が取れないのは痛し痒しでしょうが、今度はリピーターとしてご家族でいらしていただきたいものです。

上の方に書きましたが、9月19日(土)~11月23日(月)の日程で「光太郎智恵子展」的な企画展をまたやって下さるそうなので(平沢館長、今年の連翹忌で渡辺えりさんをロックオンし、関連行事でトークショーという約束を取り付けたそうです。やり手ですね(笑))、その頃にでも皆様方も是非どうぞ。

【高村光太郎書誌】

本人著作(部分)27 『九官鳥 松木喜之七遺稿集』 

昭和25年(1950)12月 松木岳二 松木祥三 鞍立道子編刊
PXL_20260411_105905656
PXL_20260411_105838567 PXL_20260411_105933500 PXL_20260411_105953558.MP
目次
 扉(故人自筆)
 九官鳥の前書
 歌の記録  山の記録 
 思い出の記
  松木喜之七氏と私の鯉 高村光太郎      松木さんを憶ふ 富田砕花
  松木大人の七年忌をよみておくる 堆朱楊成  松木氏を憶ふ 堅山南風
  痛惜無限 伊原宇三郎            松木喜之七を偲ばん 飯塚琅玕齋
  松木さん 小山良修             忘れ難い松木さん 羽下修三
  思出の一端 河合卯之助           スキー追憶 小川勝次
  竹馬の友を憶う 加藤清一          戦友松木喜之七君 駒形十吉
  永遠の松木さん 反町栄一          蓮花香炉(写真)板谷波山
 カット 向井潤吉 北原千鹿 河合卯之助
 あとがき

松木喜之七は新潟・長岡の素封家でした。古美術好きの仲間と図って光太郎の父・光雲の作品展「高村光雲遺作木彫展観」を長岡の料亭で開催、その縁で光太郎の知遇を得ました。そして光太郎に鯉の木彫を依頼。それを制作中の光太郎を撮った土門拳の写真が遺されています。
004
ところが光太郎自身が納得のいくものが出来ず、断念してしまいました。代わりに、と、光太郎は「鯰」の木彫を松木に渡しました。それが現在、愛知県小牧市のメナード美術館さんで所蔵しているものです。そうこうしているうちに松木は太平洋戦争末期、もういい年だったにもかかわらず「根こそぎ動員」で徴兵され、戦死してしまいました。

『九官鳥』は短歌も趣味だった松木の遺稿を中心に、遺族が自費出版したものです。光太郎は上記「鯉」の件などを書き下ろして寄稿しました。

詩人の高祖保などもそうですが、実際に交流のあった人物の戦死の報が戦後になってから次々と光太郎に寄せられ、改めて光太郎は自らの戦争責任を痛感させられることとなったように思われます。