まず毎月ご紹介しています、光太郎第二の故郷・岩手花巻で主に「食」を通じて光太郎顕彰に当たられているやつかの森LLCさんの活動。

毎月15日には光太郎が7年間の蟄居生活を送った旧太田村の道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)さんのテナント・ミレットキッチン花(フラワー)さんで調理・販売されている豪華弁当「光太郎ランチ」。やつかの森さんがメニュー考案に携わられています。

今月分がこちら。
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品目は「チキンとウインナーのソテー」「焼き鮭」「ポテトサラダ」「ほうれんそうのおひたし」「紫芋の甘煮」「椎茸の含め煮」「ばっけ味噌の焼きおにぎり」「よもぎ入りパンケーキ小豆添え」「漬物」。

「ばっけ」は光太郎がことのほか好んだふきのとうです。味噌と合わせて焼きおにぎりにトッピング、香ばしそうですね。

道の駅内での店頭販売は毎月10食限定ですが、今月は事前に別途20食の注文があったそうで、喜ばしい限りです。

同じくやつかの森さんがこちらは調理まで担当する「こうたろうカフェ」。市内のワンデイシェフの大食堂さんで概ね月末にやつかさんが出店しています(ワンデイシェフの名の通り、さまざまな団体、個人がキッチンを借りて出店する方式のお店です)。

今月は28日(火)の予定で、既にメニューが告知されています。「食の匠のバクロウおこわ」「コロコロチーズ入りミートローフ」「マカロニサラダ」「エッグボート」「クルミとゴボウの甘辛煮」「タラボの胡麻和え」「赤魚のお吸い物」「クレープシュゼットのオレンジバター」「コーヒー」だそうです。

「食の匠のバクロウおこわ」とあるのは、令和6年度の「岩手県 食の匠」に認定された、やつかの森さんのメンバー・新渕和子さんが得意とする「ばくろう茸」を使用して作ったもの。花巻では正月などに振舞われるごちそうだとのこと。

「光太郎ランチ」「こうたろうカフェ」、いずれも基本的に光太郎が実際に自炊していたメニューや使った食材を参考に現代風アレンジを加えたもの。いずれも永く続いてほしい取り組みです。

もう1件、花巻市の『広報はなまき』4月15日号から。月2回発行の同誌は15日発行分に「花巻歴史探訪[郷土ゆかりの文化財編]」という連載が為されており、市の施設などに所蔵されている逸品の数々が紹介されています。光太郎に関しても時折取り上げられ、今号も。

3月いっぱいまで花巻高村光太郎記念館さんで開催されていた企画展「高村光太郎花巻疎開80年企画展 光太郎と賢治 宮沢賢治全集ができるまで」の流れで、光太郎が題字を揮毫した文圃堂版『宮沢賢治全集』が紹介されています。

高村光太郎の題字 宮沢賢治全集

 宮沢賢治の作品は、今や全集はもとよりそれぞれの作品や絵本、作品の評論や関連の随筆、研究など、数多くの出版物が発刊されています。しかし、宮沢賢治の作品を広く知らしめることに高村光太郎が大きく関わっていたことはあまり知られていません。
 宮沢賢治は、大正十五(一九二六)年上京した際に、高村光太郎に会いに行っています。その頃、高村光太郎は既に著名な作家でしたが、宮沢賢治はまだ無名でした。
 賢治は昭和八(一九三三)年に若くして亡くなります。賢治を高く評価していた光太郎はとても残念がり、賢治の作品を世に出すべく、詩人の草野心平らとともに作品の出版に取り組みます。幸い賢治の弟の宮沢清六が、兄賢治の思いを受け、数多くの原稿を保管していたため、賢治が亡くなった翌年には全集を発刊する動きとなりました。ただし、宮沢賢治を知る人がまだ少ない中、初めての全集はすべての作品を収録したものではありませんでした。
 昭和九(一九三四)年に文圃堂書店(東京)から発刊された最初の『宮沢賢治全集』では、高村光太郎がその装丁を考え、題字の文字を書いています。
問い合わせ 高村光太郎記念館 ☎28-3012  
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「最初の『宮沢賢治全集』では、高村光太郎がその装丁を考え、題字の文字を書いています」とありますが、正確にはその後に出た三種類の全集(日本読書購買利用組合『宮沢賢治文庫』を含む)でも、装幀、題字揮毫を手がけています。

『広報はなまき』のこの項、自筆ものが紹介されることはしばしばありましたが、出版物(それも近代の)が扱われたのは珍しいことです。それでも稀覯本や文学史上のエポックメーキング的なものはやはり文化財的な扱いが成されてしかるべきだな、と改めて思いました。

今後もこういったものの紹介をして頂きたいものです。

【高村光太郎書誌】

本人著作(部分)24 『現代詩講座 2 詩の技法』 

昭和25年(1950)5月30日 創元社 村野四郎他著
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目次
 1 現代詩の構成 村野四郎  現代詩のレトリック 丸山薫
   現代詩の韻律 神保光太郎 現代詩のボキャブラリー 野田宇太郎
   現代詩のイデエ 吉田一穂
 2 日本詩の詩型について 日夏耿之介  西洋の詩に於ける定型詩について 鈴木信太郎
 3 現代詩のイマアジュとその表現 安西冬衛   詩語としての日本語 釈迢空
   現代詩に於ける「俳句」と「短歌」 三好達治   個性と表現 草野心平
 4 抒情詩 伊藤信吉   自由詩 北園克衛   散文詩 神西清
   定型詩 中村真一郎
 5 私の詩作について 高村光太郎   私の詩作について 金子光晴
   私の詩作について 草野心平    私の詩作について 中野重治
   私の詩作について 西脇順三郎   私の詩作について 三好達治
   私の詩作について 釈迢空
 6 歌のための詩 野上彰   歌謡曲の作詩法 佐伯孝夫

戦後5年が経ち、内容的にも戦争の影は無くなって、平和な時代となったのだなという感じです。

光太郎を筆頭に7人が書いている「5」の章は目次だと全て「私の詩作について」と題されていますが、本文ではそれぞれに別個の題が付いており、光太郎の稿は「詩について語らず(編集子への手紙)」。

光太郎の詩論としてなかなかに興味深いものです。

 詩の講座のために詩について書いてくれといふかねての依頼でしたが、今詩について一行も書けないやうな心的状態にあるので書かずに居たところ、編集子の一人が膝づめ談判に来られていささか閉口、なほも固辞したものの、結局その書けないといういはれを書くやうにといはれてやむなく筆をとります。
 ところが、書けないといういはれを書かうとするとこれが又なかなか書けません。なぜ書けないかがはつきり分るくらゐなら、当然それは書けるわけであり、本当はただいはれ知らずに書けないのだといふ外はないのでせう。
 詩は書いてゐながら、詩そのものについて語ることが今どうしても出来ないのです。どうしてでせう。以前には断片的ながら詩について書いたこともありましたが、詩についてだんだんいろいろの問題が心の中につみ重なり、複雑になり、却て何も分らなくなつてしまつた状態です。今頃になつてますます暗中摸索といふ有様なのです。
 元来私が詩を書くのは実にやむを得ない心的衝動から来るので、一種の電磁力鬱積のエネルギー放出に外ならず、実はそれが果して人のいふ詩と同じものであるかどうかさへ今では自己に向つて確言出来ないとも思へる時があります。明治以来の日本に於ける詩の通念といふものを私は殆ど踏みにじつて来たといへます。従つて、藤村――有明――白秋――朔太郎――現代詩人、といふ系列とは別個の道を私は歩いてゐます。詩といふ言葉から味はれるあの一種の特別な気圧層を私は無視してゐます。私は生活的断崖の絶端をゆきながら、内部に充ちてくる或る不可言の鬱積物を言語造型によつて放電せざるを得ない衝動をうけるのです。このものは彫刻絵画の本質とは全く違つた方向の本質を持つてゐて、現在の芸術中で一ばん近いものを探せば、恐らく音楽だらうと考へますが、不幸にして私は音楽の世界を寸毫も自分のものにしてゐないので、これはどうすることも出来ず、やむなく言語による発散放出に一切をかけてゐる次第です。実は言語の持つ意味が邪魔になつて、前に述べた鬱積物の真の真なるところが本当は出しにくいのです。バッハのコンチェルトなどをきいてひどくその無意味性をうらやましく思ふのです。言語による以上、言語の持つ意味を回避するのは言語に対する遊戯に陥る道と考へるので、その意味をむしろ媒体として、その媒体によつて放電作用を行ふといふわけです。それからさきの方法と技術と、その結果としての形式と、その発源としての感覚領域とについては今なほいろいろと研鑽中の始末で、これが又、日本語といふ特殊な国語の性質上、実に長期の基本的研究と、よほど視力のきいた見通しとを必要とするので、なかなか生半可な考へ方に落ちつくわけにゆきません。ともかく私は今いはゆる刀刃上をゆく者の境地にゐて自分だけの詩を体当り的に書いてゐますが、その方式については全く暗中摸索といふ外ありません。いつになつたらはつきりした所謂詩学(ポエテイク)が持てるか、そしてそれを原則的の意味で人に語り得るか、正直のところ分りません。私は以上のやうな者であり、又以上のやうな場に居ます。これで今私が詩について書けないといふいはれを書いたことになるでせうか。ともかくもこの通りです。

色を変えた部分あたりは多くの研究書等で引用される箇所です。

齢68歳、もはや晩年の光太郎にしてまだきちんと方法論を掴めていない、と、これは謙遜でも何でもなく、まさにそのとおりだったのでしょう。あくまで己の本業は彫刻だ、という意識がその裏にあるのでしょうが。