東日本大震災から15年ということで、今年は例年に較べ、3.11が過ぎても震災がらみの報道等が多いように感じています。記憶の風化を防ぐためにも重要なことですね
震災で甚大な被害を受けた宮城県女川町の「いのちの石碑」。避難の際の目印となるようにと、津波到達地点より高い場所、全21箇所に設置されたランドマークです。平成25年(2013)から当時の中学生たちが、同じ女川町の、あの日津波に呑まれて亡くなった貝(佐々木)廣氏が中心となって建てられた光太郎文学碑を参考に、「100円募金」で建てました。いわば光太郎文学碑の精神を受け継ぐプロジェクトです。最後の21基めの完成が令和3年(2021)でした。
そちらにも関わる内容で、MMTミヤギテレビさん制作のニュース映像。
震災で甚大な被害を受けた宮城県女川町の「いのちの石碑」。避難の際の目印となるようにと、津波到達地点より高い場所、全21箇所に設置されたランドマークです。平成25年(2013)から当時の中学生たちが、同じ女川町の、あの日津波に呑まれて亡くなった貝(佐々木)廣氏が中心となって建てられた光太郎文学碑を参考に、「100円募金」で建てました。いわば光太郎文学碑の精神を受け継ぐプロジェクトです。最後の21基めの完成が令和3年(2021)でした。
そちらにも関わる内容で、MMTミヤギテレビさん制作のニュース映像。
「自分も力になりたい」震災後 人口減少進むふるさとに戻った『27歳』、津波で失った家業再建した家族のもとに…・宮城
人口減少が進む宮城・女川町に、1人の男性が戻ってきました。津波で失った家業を再建した家族のもとで、ふるさとを支えていきます。
3月末。女川町の高台にあるビジネスホテル「ステイイン鈴家」。木のぬくもりが感じられる食堂でひとり、夕食会場の準備をするのは鈴木元哉さん(27)。
元哉さん「きょうは60人以上ですね、66人とか」
2025年の夏。元哉さんは経営する両親の後を継ぐため、地元へと戻りました。
東日本大震災の津波で壊滅的な被害を受けた女川町。800人あまりが、犠牲となりました。
当時、元哉さんの両親は、町の中心部で祖父の代から続く旅館を営んでいました。
元哉さん「(Q震災前が?)こういうやつ(写真)ですね。旅館で、町の真ん中のところで旅館やってました。だいぶ中心部で、一番大きい建物がマリンパル女川ってところだったんですけど、そこの裏にあった建物だったので」
自宅兼店舗だった旅館は、津波にのまれました。目先の生活もままならない避難生活、それでも両親は地元・女川で商売を続けるため、震災から3年後の2014年、海を見渡す高台に現在のホテルをオープンしました。
元哉さんは、震災当時 小学校の卒業間近。母や弟・妹と高台の病院に逃げ、津波を目の当たりにしました。
中学に入学して同級生とともに行ったのは、津波が到達した地点より高い場所に避難の目印を建てる『いのちの石碑』プロジェクトです。
“1000年後の命を守る”――中学1年生からアイディアを出し合い、修学旅行で行った東京でも募金活動も行いました。女川町に21あるすべての浜に石碑を建て、防災の教科書制作にも取り組みました。
元哉さん(2016年当時)
「思いを一つ一つ教科書を通してより多くの人に伝えられたらなと思い、もっと内容を深くして多くの人に伝えていきたい」
高校卒業後は、仙台の大学へ。就職先に選んだのは、東京の企業でした。
元哉さん「いずれ戻ってもいいかなと思ってたんですけど、(両親に)頼るのも嫌なので、今後伸びる業界で、確実に手に職がつくところって選んで東京のITの会社に新卒で入った」
就職して4年。今の環境を変えたいと、考えていた時です。両親から「女川に戻ってこないか」と打診され、故郷に戻ることを決めました。
元哉さん「他の田舎にいくとか、他の土地で働くってのも全然あったんですけど、戻るならやっぱり女川がいいなって思って」
ビジネス利用での長期滞在や団体客が多い「ステイイン鈴家」。料理を担当するのは父・哲也さんです。
父・哲也さん「まだ包丁持ってまもないので。 やれることって限られるから、 補助役」
普段の料理と、お客さんに出す料理は別物。父の背中を見ながら、一つ一つ仕事を覚えるため“修行”の毎日です。 30合のコメを炊くのも元哉さんの仕事。
母・由美子さん「これから大変だなと実感してたんですけど、心から本当によく帰ってきてくれたなっていう感謝の気持ちでいっぱいですね。震災後、人口もすごい流出してて、 若者の流出が止まらないってこともありましたので、 これから先 女川町とか町全体として力入れていかないと」
生まれ育った大切な故郷が、これからもっと元気になるように――。
元哉さん「大人になってから戻ってきて、 全然見方が変わっていて、学生だった頃わからなかった大人の頑張りとか、 裏でこういうことやってたんだっていうのがひしひしと伝わったので、自分もその力になりたいというか。20~30年は頑張って働きたいなと思ってますし、もしまかせてくれるようなものやことがあれば力になりたいなと思ってます」
鈴木元哉さん。これまでも「いのちの石碑」の何基目が今度はどこどこに建った的な報道の際に何度かご登場。下記は平成30年(2018)のローカルニュースから。
鈴家さんの息子さんとは存じませんでした。鈴家さんには平成27年(2015)の女川光太郎祭の折に2泊させていただきました。
それから、今回のニュースで、震災前は町中心部でマリンパル女川さんの裏手にあったとあり、さらに当時の画像を見て驚きました。
光太郎文学碑が女川に出来て間もない平成の初め頃、それを見に初めて女川に行った際に泊めていただいたのもおそらくこちらでした。屋号まで記憶にありませんでしたが、画像を見て思い出しました。予約もせず飛び込みでしたが、快く泊めて下さったのを覚えています。
その鈴家さんの息子さんだったか……と、感慨深い次第です。
いわゆるUターン。人それぞれに個別の事情や考えがあるので、闇雲に推奨するというわけではありませんが、東京一極集中や地方の過疎化への対策として、悪いことではありません。当方も一応Uターン組ですし、息子は鉄砲玉のように各地を転々としていますが、娘はUターンで帰ってきています。
「地方創生」という言葉、最近はあまり聞かれなくなりました。大事なことだと思うのですが……。もっとも、地方だ都会だと云う前に、この国そのものが存立危機事態、国難ではどうにもなりません。わざわざそうしようとしているとしか思えない輩の跳梁跋扈が非常に気になる昨今ですが……。
敗戦のちょうど一年前に刊行された美術評論集です。
本邦美術名品の紹介ですが、西洋美術を一切排するあたり、大和民族の優秀性を喧伝し、国民の一致団結、戦意高揚を図り、そして国威発揚といった意図が透けて見えます。
鈴木元哉さん。これまでも「いのちの石碑」の何基目が今度はどこどこに建った的な報道の際に何度かご登場。下記は平成30年(2018)のローカルニュースから。

それから、今回のニュースで、震災前は町中心部でマリンパル女川さんの裏手にあったとあり、さらに当時の画像を見て驚きました。
光太郎文学碑が女川に出来て間もない平成の初め頃、それを見に初めて女川に行った際に泊めていただいたのもおそらくこちらでした。屋号まで記憶にありませんでしたが、画像を見て思い出しました。予約もせず飛び込みでしたが、快く泊めて下さったのを覚えています。
その鈴家さんの息子さんだったか……と、感慨深い次第です。
いわゆるUターン。人それぞれに個別の事情や考えがあるので、闇雲に推奨するというわけではありませんが、東京一極集中や地方の過疎化への対策として、悪いことではありません。当方も一応Uターン組ですし、息子は鉄砲玉のように各地を転々としていますが、娘はUターンで帰ってきています。
「地方創生」という言葉、最近はあまり聞かれなくなりました。大事なことだと思うのですが……。もっとも、地方だ都会だと云う前に、この国そのものが存立危機事態、国難ではどうにもなりません。わざわざそうしようとしているとしか思えない輩の跳梁跋扈が非常に気になる昨今ですが……。
【高村光太郎書誌】
本人著作(部分)20 『名品手帖 日本美術論集』
三 観心寺秘仏 白畑よし 四 鳳凰堂に於ける建築意匠 大岡實
五 青不動画 亀田孜 六 隆能源氏を模写して 縣治朗
七 吉野水分の女神 丸尾彰三郎 八 駿牛図巻に就いて 森暢
九 西芳寺の庭 田中倉琅子 一〇 伝周文筆山水図屏風に就て 谷信一
一一 雪舟画山水論試稿 熊谷宣夫 一二 等伯の松林図屏風 土居次義
一三 光琳燕子花図屏風 大口理夫 一四 大雅小懐録 龍村謙
一五 陶磁三名工 豊田次郎坊主人
図版目次
一-二 夢殿観音像 奈良 法隆寺蔵 三-六 十大弟子像 奈良 興福寺蔵
七-九 如意輪観音像 大阪 観心寺蔵 一〇 同像台座連弁 大阪 観心寺蔵
一一-一五 鳳凰堂 京都 平等院所在 一六 鳳凰堂阿弥陀如来像 京都 平等院蔵
一七 鳳凰堂天蓋 京都 平等院蔵 一八-一九 青不動像 京都 青蓮院蔵
二〇-二二 源氏物語絵詞 東京 尾張徳川黎明会蔵
二三-二四 玉依姫命像 奈良吉野水分神社蔵
二五 駿牛図残闕 男爵 益田太郎氏蔵 同 帝室博物館蔵
二六 駿牛図残闕 東京 田中親美氏蔵 同 東京 瀬津伊之助氏蔵
二七 西芳寺庭園
二八 湘南亭 京都 西芳寺所在
二八 湘南亭 京都 西芳寺所在
二九-三〇 伝周文筆山水図屏風 侯爵 前田利建氏蔵
三一-三二 伝周文筆山水図屏風 神奈川 原壽枝子氏蔵
三三 雪舟筆慈照院伝来山水図(部分) 帝室博物館蔵
三四-三五 雪舟筆曼珠院伝来山水図 帝室博物館蔵
三六 雪舟筆天橋立図 侯爵 山内豊景氏蔵
三七-三九 等伯筆松林図屏風 子爵 福岡孝紹氏蔵
四〇-四二 光琳筆燕子花図屏風 東京 根津美術館蔵
四三-五六 十便十宜画冊 山口 桝谷晴弘氏蔵
五七-五八 木米作呉須山水絵煎茶碗 岡山 小野久彦氏蔵
五九 道八作赤絵赤壁賦水注 岡山 小野久彦氏蔵
六〇 保全作旭薄螳螂図茶碗 帝室博物館蔵
敗戦のちょうど一年前に刊行された美術評論集です。
本邦美術名品の紹介ですが、西洋美術を一切排するあたり、大和民族の優秀性を喧伝し、国民の一致団結、戦意高揚を図り、そして国威発揚といった意図が透けて見えます。























