本日、生誕143周年目となった光太郎。その生前の姿をご存じの方によるエッセイ集です。

加賀野の春

発行日 : 2026年3月10日
著 者 : 小野寺苓(おのでられい)
版 元 : 文藝春秋企画出版部
定 価 : 1,600円+税

著者は昭和7年(1932)東京都生まれ、岩手県盛岡市育ち。長く一関市で暮らし、『みちのく腑分け始末』『茶杓 消えた伊達家老』などの歴史小説や、詩集、随筆集『北窓の風景』『心の旅 井上靖紀行』などを上梓。とりわけ平成8年(1996)刊の随筆集『女の名前』は評価が高く、小学館文庫に入りロングセラーとなった。

本書には、それ以降、書き溜めた作品から、9篇の詩と47篇の随筆を厳選。高村光太郎から聞いたテイル・シチューの話。2010年、講演に招かれた福島県新地町の人たちとの力強い握手。日本で初めて『悪の華』を訳した同郷の矢野茫土とその仕事を守った家族。東京駅で懐かしげに夫に話しかけた謎の男。そして百回も続いた「井上靖文学を読む会」のことなど、忘れがたい人との縁が、端正な名文で綴られる。

「読み返し、偶然と言うべきか不思議と言うべきか沢山の素晴らしい方々との出会いが私を成長させて下さったことに改めて気がつきます」(「あとがき」より)
巻末に、『女の名前』以来の愛読者・桜木紫乃さんによる解説を収録。
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目次
 詩 愛
 赤いバイオリン/椿の庭/蜘蛛の巣    
 詩 沈黙
 ははとじとまなご/ミラー刺繡/水晶/網タイツの菩薩/黒い仏像    
 詩 フウセンカズラ
 握手/消えたチーズ/茶杓/観光と大観/石庭      
 詩 パラオの少年
 フタリワイイ/東山魁夷と子供たち/氷の階段/レッスン/矢野文夫(茫土)/画家の遺族
 青イシグナル   
 詩 桜は咲かなかった
 ジャカランダの花/あの世でも/陰膳/飯盒炊さん/テイル・シチュー/夏の終わり  
 詩 萱草
 たばこ/女物のハンカチ/衝突/目撃者/錦木/原敬と狸/赤穂の殿様    
 詩 想
 感謝/保険医廃業/人名漢字/同姓同名/芳名簿/勘違い/圧迫骨折/落穂拾い
 天使との出会い/ 加賀野の春     
 詩 道
 徳島の旅/白神山地は拒絶した/曖昧の弱さ/読む・百回のステージ 
 詩 よみがえり
 あとがき
 解説 桜木紫乃

小野寺 苓
昭和7年(1932)東京都生まれ。岩手県盛岡で育つ。小説に『玉蕾』(岩手日報社)、『みちのく腑分け始末』(新人物往来社)、『茶杓 消えた伊達家老』『火 みちのく一関忠臣蔵』(勝どき書房)、随筆に『北窓の風景』(おのまき)、『女の名前』(小学館文庫)、『心の旅 井上靖紀行』(土曜美術出版販売)。北川れいのペンネームで、詩集『ママンの木』『蓮台野』(Láの会)、『花の郵便』『托鉢の朝』(土曜美術出版販売)がある。


著者の小野寺苓氏、「よく間違われる」と本文中にも繰り返し記されていますが、女性です。「苓(れい)」一字のお名前は、漢文学の教養がおありだった父君による命名とのこと。現在では常用漢字にも人名漢字にも含まれない字だそうですが。

東京のお生まれで盛岡で育ち、永らく一関にお住まいで、現在は盛岡の介護施設に入ってらっしゃるそうで、タイトルの「加賀野」はその施設名から。同時に施設周辺の地名でもあるようです。

「テイル・シチュー」という項で、花巻郊外旧太田村の山小屋(高村山荘)に隠棲していた光太郎の元を訪問したことが語られています。訪問時には「花巻市の高校生だった」そうで「数人の友人と訪ねて行った」とのことでした。季節的には「あの日の山荘の外は白い雪景色」。光太郎は囲炉裏ばたにいたそうですが、小野寺氏一行を見て開口一番「名前を聞いても仕方がない」(笑)。しかし、歓待はしてくれたようで、それは「私たちが乏しい小遣いから出し合って買っていった土産の煎餅や焼き芋をひどく気に入った」ためのようです(笑)。

そして「テイル・シチュー」。

 高校生の私たちを相手に話してくれたのは、文学や彫刻の事ではなくパリ在住時代の食べ物の話ばかりだった。
 テイル・シチュー、タン・シチュー、フランスパンのことなど懐かし気に話していた。パリの肉屋から殆どただみたいに貰ってくる牛のシッポを肩からだらりと下げてパリの街中を歩く姿を想像したのだが、まさかそんな恰好ではなかったろう。


光太郎のテイル・シチュー好きは筋金入りで、山小屋隠棲中にも作っていましたし、講演などでもその魅力を繰り返し語っていました。当時まだ一般的ではなかったこともあり、講演を聴いた聴衆が挙ってシッポを買い求め、肉屋さんとしては「何事だ?」状態だったとのこと(笑)。

その後、最近の話として浅田次郎氏の小説『蒼穹の昴』の話題に。その中にテイル・シチューについての記述があって、旦那さまが肉屋さんに材料を頼み、小野寺氏が作ってみたとのこと。そこから遠い日の光太郎から聞かされた話を思い出した、という流れでした。

光太郎、残っている日記には結構細かく来訪者と貰った土産などを記録しているので、あたってみました。雪の季節で、高校生が数人、持参したのは煎餅と焼き芋。しかし、残年ながら該当する記述は見つかりませんでした。昭和24年(1949)と翌25年(1950)の日記は大部分が失われており、その間だったのだろうと思われます。

その他、光太郎と交流のあった人物についての項も複数。彫刻家の土方久功、詩人・美術評論家・日本画家の矢野文夫、画家の松本竣介、そして岩手と言えば宮沢賢治。さらにご交流がおありの桜木紫乃氏による解説が附されています。

どの項も軽妙かつユーモアに溢れ、それでいて考えさせられることも多く、最近読んだこの手のものの中では出色でした。ぜひお買い求め下さい。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)71 『新編 智恵子抄』

平成6年(1994)4月15日 ノーベル書房 高村光太郎著 髙村規監修
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目次
 智恵子の貼り絵
 詩
  人に 或る夜のこころ おそれ 涙 からくりうた 梟の族 或る宵 郊外の人に
  冬の朝のめざめ 深夜の雪 人に 人類の泉 僕等 愛の嘆美 晩餐 淫心 樹下の二人
  狂奔する牛 金 鯰 夜の二人 あなたはだんだんきれいになる あどけない話
  同棲同類 美の監禁に手渡す者 人生遠視 風にのる智恵子 千鳥と遊ぶ智恵子
  値ひがたき智恵子 山麓の二人 或る日の記 レモン哀歌 亡き人に 梅酒
  荒涼たる帰宅 松庵寺 噴霧的な夢 もしも智恵子が 元素智恵子 メトロポオル 裸形
  案内 あの頃 吹雪の夜の独白 智恵子と遊ぶ 報告
 短歌
 随筆
  智恵子の半生 新茶の幻想 某月某日 九十九里浜の初夏 智恵子の切抜絵 年越し
  智恵子の遺作展 村にて 再び村にて 九月三十日 あとがき(智恵子抄その後より)
  樹下の二人 二本松霞ヶ城 ×月×日 某月某日 某月某日 自作肖像漫談
 書簡
  智恵子宛光太郎書簡

少し前ににも書きましたが、この時期、『智恵子抄』の各種の異版が5種類ほど相次いで刊行されました。どれも不幸な「智恵子抄裁判」のからみです。そのうち、髙村家として出したという感じのものです。他の『智恵子抄』に収録されなかった作品も積極的に採る、というコンセプトだったようです。