先月18日、『毎日新聞』さんに詩人の蜂飼耳氏による以下の記事が出ました。令和5年(2023)からおおむね月イチで掲載されている「詩の遊歩道」という連載の先月分です。
野村喜和夫の詩集『地面の底のわれわれの顔――わが近未来近代』(思潮社)は「二十世紀日本語詩」を独自の受け止め方と解釈のもとに「書き換え」た作品から成る。
野村喜和夫の詩集『地面の底のわれわれの顔――わが近未来近代』(思潮社)は「二十世紀日本語詩」を独自の受け止め方と解釈のもとに「書き換え」た作品から成る。 同時刊行の評論集『萩原VS西脇――二十世紀日本語詩の可能性』(同前)で論じられる萩原朔太郎と西脇順三郎の詩はもとより、蒲原有明、高村光太郎、北原白秋、宮沢賢治、三好達治、中原中也、立原道造など、詩史に鮮烈な足跡を刻む詩人たちの作品に対して、斬新なアプローチが試みられている。
萩原の「竹」のパロディである「カオカオカオⅠ」は、石に顔を出現させる。「顔があらわれ/石から顔があらわれ/笑みの顔うれいの顔/ときに鼻は欠け眼はつぶれて/だがあらわれつづけ」。パロディだけでなく、原詩にアレンジやサンプリングが施された作も見られる。諧謔(かいぎゃく)もパロディも、野村にふさわしい。取り上げられた詩の多くは各作者の代表作に数えられるもので、詩の読者ならなじみのある作品が多いはずだ。とすれば、ここで野村が行っていることは何か。それは、原詩の言葉に身体的に分け入ることで明らかになる秘密や魅力があるはずだと、信じることだろう。原詩を揺さぶり、刻み、解体し、繋(つな)ぎ 合わせ、謳(うた)う。
先に触れた評論集では、西脇の重要性について念を押すような言及が繰り返されるが、それと照らし合うかたちで、詩集においても西脇を取り上げた章はとくに鮮明な印象を残す。たとえば、パロディの対象は「雨」。「名づけるとは/むかし雨という/柔らかな女神の行列がそうしたように/寺院や魚や/大地や草を/はこべやははこぐさを/うっすらと濡(ぬ)らすこと/乾いてきたら/また名づけ直さなければならない」
西脇の「雨」について、評論集では「雨と女神は比喩し比喩される関係において対等であり、相互浸透的であり」と論じられ、一方向の比喩ではない点が強調されている。ランボーの「あけぼの」に書かれる女神と比較する視点も示される。今回の詩集と評論集はそれぞれを独立した一冊と受け取ることもできるが、併読するとき、複層的に見えてくるものがあることは確かだ。
(略)
詩を書くこと、詩を読むことは、詩の言葉に身体を差し入れることだ。詩は、その性質からして、散文よりもずっと予定調和的な運びを好まないところがある。道なき道を突き進み、未踏の場へ出て、驚愕(きょうがく)の絶景と出会いたいのだ。
思潮社さんから出ている野村喜和夫氏の詩集『地面の底のわれわれの顔――わが近未来近代』が紹介されていました。他に七月堂さん刊行の栗原ミライ氏著『未来形で死んでいた』も取り上げられていましたが、ここでは紙幅の都合で(「紙」ではありませんが(笑))割愛しました。
で、『地面の底の……』。「詩史に鮮烈な足跡を刻む詩人たちの作品に対して、斬新なアプローチが試みられている」ということで、その中に光太郎の名も。そんな詩集が出ていたのかと思い、早速購入しました。
赤壁と地面と私たちと――リミックス萩原朔太郎/吉増剛造
血は流れた――吉岡実を思い出しながら
都市と歳月と眠りと――入沢康夫を思い出しながら
あとがき
読んでみると、想像していたものとは違っていました。目次でおわかりかと存じますが、基本、先人たちの作品のパロディです。ただ、それも「リミックス」「アレンジ」「アリュージョン」などとなっているとおり、いろいろな手法を駆使してのもの。
例えば「道程崩壊プログラム――カットアップ高村光太郎」では、詩集『道程』(大正3年=1914)所収のものを中心にした十数篇の詩から特徴的なフレーズをピックアップし(一部改変しつつ)、つなぎ合わせて一篇の詩にしています。そうかと思うと「それぞれの道程」は、「マザコン男子」「AI」「詩人」が「道程」を書いたらどうなるか……といった手法。一時期話題になった神田桂一氏と菊池良氏による『もし文豪たちがカップ焼きそばの作り方を書いたら』を想起しました。
他の詩人たちの作品に対しても、様々な手法でのアプローチ。笑える箇所が多いのですが、さりとてそれだけでなく、考えさせられる部分も。通底しているのは各作者に対するリスペクトやフレンドシップ的な感性です。「嘲笑」とか「痛罵」などとは無縁で、そこがいいと思いました。ただ、元ネタがわかっていないと理解不能の部分もあり、読み手の資質が問われます。当方もなじみのない詩人のパートではそうでした。
ぜひお買い求めを。
先に触れた評論集では、西脇の重要性について念を押すような言及が繰り返されるが、それと照らし合うかたちで、詩集においても西脇を取り上げた章はとくに鮮明な印象を残す。たとえば、パロディの対象は「雨」。「名づけるとは/むかし雨という/柔らかな女神の行列がそうしたように/寺院や魚や/大地や草を/はこべやははこぐさを/うっすらと濡(ぬ)らすこと/乾いてきたら/また名づけ直さなければならない」
西脇の「雨」について、評論集では「雨と女神は比喩し比喩される関係において対等であり、相互浸透的であり」と論じられ、一方向の比喩ではない点が強調されている。ランボーの「あけぼの」に書かれる女神と比較する視点も示される。今回の詩集と評論集はそれぞれを独立した一冊と受け取ることもできるが、併読するとき、複層的に見えてくるものがあることは確かだ。
(略)
詩を書くこと、詩を読むことは、詩の言葉に身体を差し入れることだ。詩は、その性質からして、散文よりもずっと予定調和的な運びを好まないところがある。道なき道を突き進み、未踏の場へ出て、驚愕(きょうがく)の絶景と出会いたいのだ。

で、『地面の底の……』。「詩史に鮮烈な足跡を刻む詩人たちの作品に対して、斬新なアプローチが試みられている」ということで、その中に光太郎の名も。そんな詩集が出ていたのかと思い、早速購入しました。
発行日 : 2025年11月30日
著者等 : 野村喜和夫
著者等 : 野村喜和夫
版 元 : 思潮社
定 価 : 3,400円+税
蒲原有明から吉増剛造まで―20世紀日本語詩の豊饒な可能性を、多彩な書き換え行為によって解き放つ、時間錯誤的・近未来近代的新詩集。
あの青い空の波の音が聞こえるあたりに――パロディ谷川俊太郎プロジェクトは完了だ、私はもう詩は書かないが、
その沈黙をこのタワーに巻きつけて、黒い繭、
朔太郎の黒い繭としてそびえる、
断乎、そびえるのだ、
(「コクーン市逍遥――朔太郎をサンプリングしながら」)
蒲原有明から吉増剛造まで―20世紀日本語詩の豊饒な可能性を、多彩な書き換え行為によって解き放つ、時間錯誤的・近未来近代的新詩集。
目次
Ⅰ わが近未来近代
蝶の変容
――抒情ペーパー全史
有明ベース
智慧の相者は我を見て――現代語訳蒲原有明
香の渦輪、彩の嵐――アレンジ蒲原有明
光太郎ベース
道程崩壊プログラム――カットアップ高村光太郎
それぞれの道程――パロディ高村光太郎
白秋ベース
罌粟ひらく――リミックス北原白秋
ひとぐるま――パロディ北原白秋
百年の暮鳥
――『聖三稜玻璃』を思い出しながら
朔太郎ベース
夜汽車――現代語訳萩原朔太郎
カオカオカオⅠ――パロディ萩原朔太郎
カオカオカオⅡ――アレンジ萩原朔太郎
コクーン市逍遥――朔太郎をサンプリングしながら
順三郎ベース
雨――パロディ西脇順三郎
超越と永遠――アレンジ西脇順三郎
わが完璧の詩法あるいは秋――パラフレーズ西脇順三郎
女神VS女神――西脇、ランボーに語りかける
光晴ベース
女人大世界――リミックス金子光晴
水の皮膚――金子光晴へのオマージュ
賢治ベース
わたくしといふ現象へのありきたりな註――リミックス宮澤賢治
七つ森の婚礼の床の上で――アレンジ宮澤賢治
達治ベース
あるいは豚小屋――パロディ三好達治
老年の日――アリュージョン三好達治
中也ベース
振るかな、腕なんか、無限の前に――挑発的リミックス中原中也
ほらほらこれがぼくの骨――アレンジ中原中也
正午――パロディ中原中也
朝鮮女――現代語訳中原中也
道造ベース
ヒヤシンスハウスまで――立原道造の方へ
月蝕句会――アリュージョン立原道造
のちのおもひに――パラフレーズ立原道造
雪のラプソディ
――抒情ペーパー全史続
Ⅱ わが近未来近代の余白に
戦後詩ベース
蝶の変容
――抒情ペーパー全史
有明ベース
智慧の相者は我を見て――現代語訳蒲原有明
香の渦輪、彩の嵐――アレンジ蒲原有明
光太郎ベース
道程崩壊プログラム――カットアップ高村光太郎
それぞれの道程――パロディ高村光太郎
白秋ベース
罌粟ひらく――リミックス北原白秋
ひとぐるま――パロディ北原白秋
百年の暮鳥
――『聖三稜玻璃』を思い出しながら
朔太郎ベース
夜汽車――現代語訳萩原朔太郎
カオカオカオⅠ――パロディ萩原朔太郎
カオカオカオⅡ――アレンジ萩原朔太郎
コクーン市逍遥――朔太郎をサンプリングしながら
順三郎ベース
雨――パロディ西脇順三郎
超越と永遠――アレンジ西脇順三郎
わが完璧の詩法あるいは秋――パラフレーズ西脇順三郎
女神VS女神――西脇、ランボーに語りかける
光晴ベース
女人大世界――リミックス金子光晴
水の皮膚――金子光晴へのオマージュ
賢治ベース
わたくしといふ現象へのありきたりな註――リミックス宮澤賢治
七つ森の婚礼の床の上で――アレンジ宮澤賢治
達治ベース
あるいは豚小屋――パロディ三好達治
老年の日――アリュージョン三好達治
中也ベース
振るかな、腕なんか、無限の前に――挑発的リミックス中原中也
ほらほらこれがぼくの骨――アレンジ中原中也
正午――パロディ中原中也
朝鮮女――現代語訳中原中也
道造ベース
ヒヤシンスハウスまで――立原道造の方へ
月蝕句会――アリュージョン立原道造
のちのおもひに――パラフレーズ立原道造
雪のラプソディ
――抒情ペーパー全史続
Ⅱ わが近未来近代の余白に
戦後詩ベース
赤壁と地面と私たちと――リミックス萩原朔太郎/吉増剛造
血は流れた――吉岡実を思い出しながら
都市と歳月と眠りと――入沢康夫を思い出しながら
あとがき
読んでみると、想像していたものとは違っていました。目次でおわかりかと存じますが、基本、先人たちの作品のパロディです。ただ、それも「リミックス」「アレンジ」「アリュージョン」などとなっているとおり、いろいろな手法を駆使してのもの。
例えば「道程崩壊プログラム――カットアップ高村光太郎」では、詩集『道程』(大正3年=1914)所収のものを中心にした十数篇の詩から特徴的なフレーズをピックアップし(一部改変しつつ)、つなぎ合わせて一篇の詩にしています。そうかと思うと「それぞれの道程」は、「マザコン男子」「AI」「詩人」が「道程」を書いたらどうなるか……といった手法。一時期話題になった神田桂一氏と菊池良氏による『もし文豪たちがカップ焼きそばの作り方を書いたら』を想起しました。
他の詩人たちの作品に対しても、様々な手法でのアプローチ。笑える箇所が多いのですが、さりとてそれだけでなく、考えさせられる部分も。通底しているのは各作者に対するリスペクトやフレンドシップ的な感性です。「嘲笑」とか「痛罵」などとは無縁で、そこがいいと思いました。ただ、元ネタがわかっていないと理解不能の部分もあり、読み手の資質が問われます。当方もなじみのない詩人のパートではそうでした。
ぜひお買い求めを。
【高村光太郎書誌】
本人著作(全体)60 『美について』筑摩選書96
昭和42年(1967)10月25日(日) 筑摩書房 高村光太郎著
目次 触覚の世界 素材と造型 彫塑総論 彫刻鑑賞の第一歩 MÉDITATIONS SUR LE MAÎTRE
現代の彫刻 緑色の太陽 黏土と画布 工房雑感 第三回文部省展覧会の最後の一瞥
日本画に対する感想 蝉の美と造型 木彫地紋の意義 信親と鳴滝 自刻木版の魅力
カリカチユア 絵における詩精神 自分と詩との関係 美の日本的源泉
天平彫刻の技法について 本邦肖像彫刻技法の推移 能の彫刻美 仏画賛 書について
解説 生野幸吉
『美について』は、オリジナルが昭和16年(1941)に道統社から、文庫版が昭和35年(1960)に角川文庫のラインナップで、それぞれ出されていましたが、ソフトカバーの「筑摩選書」の一冊として刊行されました。さまざまな雑誌等に発表された主に美術評論の集成で、オリジナル、文庫版、そして筑摩選書版と、それぞれに収録作品がかなり異なっています。
昨日ご紹介した新潮文庫版『智恵子抄』改版と順番が前後していました。すみません。
『美について』は、オリジナルが昭和16年(1941)に道統社から、文庫版が昭和35年(1960)に角川文庫のラインナップで、それぞれ出されていましたが、ソフトカバーの「筑摩選書」の一冊として刊行されました。さまざまな雑誌等に発表された主に美術評論の集成で、オリジナル、文庫版、そして筑摩選書版と、それぞれに収録作品がかなり異なっています。
昨日ご紹介した新潮文庫版『智恵子抄』改版と順番が前後していました。すみません。



