2月21日(土)に岩手県花巻市で開催されたトークイベント「光太郎と賢治 宮沢賢治全集ができるまで」につき、地元紙『岩手日日』さんが報じて下さいました。もう一紙、『岩手日報』さんでも記事が出るかなと思って待っていたのですが、今朝の段階でネット上に出ていませんで、『岩手日日』さんの記事のみ御紹介します。
高村光太郎記念館で開催中の高村光太郎花巻疎開80年企画展(3月31日まで)の関連行事。高村光太郎連翹(れんぎょう)忌運営委員会の小山弘明代表、林風舎の宮沢和樹代表取締役、共同園芸の瀬川正子取締役の3人が講話し、市民ら約200人が聴講した。
このうち小山代表は、2人が詩人・草野心平主宰の詩誌「銅鑼(どら)」の同人となったことで関係が始まったことや、1926(大正15)年に東京にある光太郎アトリエで1回だけ面会したことを紹介。賢治没後の34(昭和9)年、東京で開かれた追悼会に賢治の実弟・清六が「雨ニモマケズ」が記された手帳を含む遺稿を持ち込み、光太郎や草野らが「このまま埋もれさせてはいけない」と一念発起し、数回にわたる「宮沢賢治全集」の編集刊行に取り組んだことなどを説明した。
講和後は参加者から人脈が広がっていった経緯や、編さんに関わった賢治の親友で花巻高等女学校の音楽教師だった藤原嘉藤治に関する質問などが出された。
父と参加した市立石鳥谷中学校2年の大竹彩未さんは「賢治作品が好きでよく読んでいる。面白い話が聞けて、人物同士の関係や作品の背景を知ることができて楽しかった」と話していた。
その後、市役所さんからは、お聴き下さった一般の方々からのアンケート結果等も送られてきて、拝読したところ概ね好評で胸をなで下ろしました。
それにしても毎回感じますが、賢治と言えば花巻で、地元の皆さんの賢治愛。光太郎は現在の東京台東区の生まれ、没したのは中野区、最も長く住んだのは文京区ですが、それらの地域に賢治の花巻ほどのふるさと感が感じられません。それぞれの区で地元の偉人として光太郎を推しているかというとそうでもありません。文京区さんだけは公式サイト内の「文京ゆかりの文人」といページで光太郎も取り上げて下さっていますが、60名ほどの中の一人という扱いです。サムネイル画像つきでまず紹介されているのは森鷗外、夏目漱石、樋口一葉、石川啄木の4人です。鷗外・漱石・一葉はともかく、啄木の後塵を拝しているというのはくやしいところです(笑)。
ちなみに60人ほどの中には、大正10年(1921)、菊坂に下宿して国柱会に通っていたということで賢治も含まれています。
文京区立本郷図書館さんで発行していた「谷根千ゆかりの文人まっぷ」でも同じような感じです。このエリアだけでも30人ほど。もっとも、谷中は文京区でなく台東区ですが。
こういうところも東京一極集中ということなのでしょうか。漱石と一葉は東京出身ですが、鷗外と啄木はそれぞれ島根と岩手ですし、他の「文京ゆかりの文人」の60人ほど、「谷根千ゆかりの文人まっぷ」の30人ほども、半分くらいは地方出身者のようです。
閑話休題、花巻高村光太郎記念館さんで開催中の「高村光太郎花巻疎開80年企画展 光太郎と賢治 宮沢賢治全集ができるまで」、今月いっぱいです。ぜひ足をお運びください。
「智恵子抄」の英訳です。詩文の選択は独自のものがあり、昭和31年(1956)の新潮文庫版に収められた戦後のものも含みますが、新潮文庫版と完全に一致するわけでもなく、昭和16年(1941)龍星閣刊行のオリジナルとも異なっています。
トークイベント「光太郎と賢治―宮沢賢治全集ができるまで―」は21日、花巻市大通りのなはんプラザで開かれた。参加者は、関係者による講話を通じて彫刻家、詩人の高村光太郎(1883~1956年)と詩人、童話作家の宮沢賢治(1896~1933年)との関わりに思いを巡らせた。
高村光太郎記念館で開催中の高村光太郎花巻疎開80年企画展(3月31日まで)の関連行事。高村光太郎連翹(れんぎょう)忌運営委員会の小山弘明代表、林風舎の宮沢和樹代表取締役、共同園芸の瀬川正子取締役の3人が講話し、市民ら約200人が聴講した。
このうち小山代表は、2人が詩人・草野心平主宰の詩誌「銅鑼(どら)」の同人となったことで関係が始まったことや、1926(大正15)年に東京にある光太郎アトリエで1回だけ面会したことを紹介。賢治没後の34(昭和9)年、東京で開かれた追悼会に賢治の実弟・清六が「雨ニモマケズ」が記された手帳を含む遺稿を持ち込み、光太郎や草野らが「このまま埋もれさせてはいけない」と一念発起し、数回にわたる「宮沢賢治全集」の編集刊行に取り組んだことなどを説明した。
講和後は参加者から人脈が広がっていった経緯や、編さんに関わった賢治の親友で花巻高等女学校の音楽教師だった藤原嘉藤治に関する質問などが出された。
父と参加した市立石鳥谷中学校2年の大竹彩未さんは「賢治作品が好きでよく読んでいる。面白い話が聞けて、人物同士の関係や作品の背景を知ることができて楽しかった」と話していた。

それにしても毎回感じますが、賢治と言えば花巻で、地元の皆さんの賢治愛。光太郎は現在の東京台東区の生まれ、没したのは中野区、最も長く住んだのは文京区ですが、それらの地域に賢治の花巻ほどのふるさと感が感じられません。それぞれの区で地元の偉人として光太郎を推しているかというとそうでもありません。文京区さんだけは公式サイト内の「文京ゆかりの文人」といページで光太郎も取り上げて下さっていますが、60名ほどの中の一人という扱いです。サムネイル画像つきでまず紹介されているのは森鷗外、夏目漱石、樋口一葉、石川啄木の4人です。鷗外・漱石・一葉はともかく、啄木の後塵を拝しているというのはくやしいところです(笑)。
ちなみに60人ほどの中には、大正10年(1921)、菊坂に下宿して国柱会に通っていたということで賢治も含まれています。
文京区立本郷図書館さんで発行していた「谷根千ゆかりの文人まっぷ」でも同じような感じです。このエリアだけでも30人ほど。もっとも、谷中は文京区でなく台東区ですが。
こういうところも東京一極集中ということなのでしょうか。漱石と一葉は東京出身ですが、鷗外と啄木はそれぞれ島根と岩手ですし、他の「文京ゆかりの文人」の60人ほど、「谷根千ゆかりの文人まっぷ」の30人ほども、半分くらいは地方出身者のようです。
閑話休題、花巻高村光太郎記念館さんで開催中の「高村光太郎花巻疎開80年企画展 光太郎と賢治 宮沢賢治全集ができるまで」、今月いっぱいです。ぜひ足をお運びください。
【高村光太郎書誌】
本人著作(全体)64 『CHIEKO’S SKY』
昭和53年(1978)2月 KODANSHA INTERNATIONAL 高村光太郎著 古田草一訳
目次 translator's preface to someone heart of one night fear peep-show song
one evening to a woman in the suburbs winter morning awakening to someone
midnight snow us in admiration of love supper beneath the trees
stampede catfish a couple at night you get prettier and prettier innocent tale
kinds cohabiting beauty's imprisonment distant view of life Chieko riding the wind
at the foot of the mountain lemon elegy to the deased plim wine
Chieko's papercuts the latter half of Chieko's life atomizing dream metropolis
guiding thouse days blizzard night monologue Chieko the Element naked form
to play with Chieko
「智恵子抄」の英訳です。詩文の選択は独自のものがあり、昭和31年(1956)の新潮文庫版に収められた戦後のものも含みますが、新潮文庫版と完全に一致するわけでもなく、昭和16年(1941)龍星閣刊行のオリジナルとも異なっています。




