昨日まで1泊2日で岩手県に行っておりました。2回に分けてレポートいたします。
2月20日(金)、夕方までに着けばいいので、いつもより遅めの東北新幹線で北へ。途中、智恵子の故郷・福島二本松を通っていきますが、智恵子のソウルマウンテン・安達太良山の山の上には智恵子の「ほんとの空」が広がっていました。
2月20日(金)、夕方までに着けばいいので、いつもより遅めの東北新幹線で北へ。途中、智恵子の故郷・福島二本松を通っていきますが、智恵子のソウルマウンテン・安達太良山の山の上には智恵子の「ほんとの空」が広がっていました。
新花巻へは14時半過ぎに到着。
今回メインの目的は、翌日行われるトークイベント「光太郎と賢治 宮沢賢治全集ができるまで」出演でしたが、こちらは現在、花巻高村光太郎記念館さんで開催中の「高村光太郎花巻疎開80年企画展 光太郎と賢治 宮沢賢治全集ができるまで」の関連イベントでしたので、昨年12月の開幕直後に続き、もう1度展示を見ておさらいしておこうと思い、同館へ。例によってレンタカーです。
同時開催のは2月28日(土)まで。
隣接する高村山荘。光太郎が戦後の7年間を過ごした山小屋です。
宿泊は大沢温泉山水閣さん。
ふだん泊めていただいている自炊部さんとは館内で繋がっています。
自炊部さんの休憩コーナー。桃の節句が近いということで、素朴なひな飾り。
光太郎ともども、大沢温泉さんに足跡を残す賢治の紹介も為されています。
翌朝、大沢温泉さんを後に、市街地へ。
トークイベント会場のなはんプラザさん。

今回メインの目的は、翌日行われるトークイベント「光太郎と賢治 宮沢賢治全集ができるまで」出演でしたが、こちらは現在、花巻高村光太郎記念館さんで開催中の「高村光太郎花巻疎開80年企画展 光太郎と賢治 宮沢賢治全集ができるまで」の関連イベントでしたので、昨年12月の開幕直後に続き、もう1度展示を見ておさらいしておこうと思い、同館へ。例によってレンタカーです。
同時開催のは2月28日(土)まで。
隣接する高村山荘。光太郎が戦後の7年間を過ごした山小屋です。
宿泊は大沢温泉山水閣さん。
ふだん泊めていただいている自炊部さんとは館内で繋がっています。
自炊部さんの休憩コーナー。桃の節句が近いということで、素朴なひな飾り。
光太郎ともども、大沢温泉さんに足跡を残す賢治の紹介も為されています。
翌朝、大沢温泉さんを後に、市街地へ。
トークイベント会場のなはんプラザさん。

花巻南高校さん他の御協力で、会場内にはいろいろと展示も。
先週まで、高村光太郎記念館さんロビーで展示されていた、授業の芸術書道を選択されていた生徒さんたちが書かれた光太郎詩文の書。
一昨年に同じこの場で初披露され、その後、二本松の智恵子記念館さん、花巻高村光太郎記念館さんなどでも展示された、家庭クラブさんによる「智恵子のエプロン」。

先週まで、高村光太郎記念館さんロビーで展示されていた、授業の芸術書道を選択されていた生徒さんたちが書かれた光太郎詩文の書。
一昨年に同じこの場で初披露され、その後、二本松の智恵子記念館さん、花巻高村光太郎記念館さんなどでも展示された、家庭クラブさんによる「智恵子のエプロン」。

さらに、花巻のせがわ京染店さんが同じ型紙から複数作って下さったそうで。
和装のマネキンに着せると、また違った感じになります。
さて、10:00開会。人が集まるのかな、と不安もありましたが、蓋を開けてみれば超満員でした。ありがたし。
まず当方。20分ほどパワーポイントのスライドショーを使って語らせていただきました。光太郎と賢治のそもそものつながり、そこに介在した当会の祖・草野心平、生涯にたった1度の光太郎と賢治の出会い(ちょうど100年前です)、その後の4種類にわたる賢治全集への光太郎の関与、やはり賢治全集編纂に力を注いだ賢治実弟・清六や賢治の親友・藤原嘉藤治などについて。
上画像は、仙台から駆けつけて下さったヴォイスパフォーマー・荒井真澄さんが撮って下さいました。
続いて清六令孫にして㈱林風舎さん代表取締役の宮沢和樹氏。
いつものことですが、とにかく宮沢家では光太郎に対してものすごい恩義を感じ続けてきたというお話で、逆にこちらとしては恐縮してしまいます。
藤原嘉藤治の顕彰をなさっている瀬川正子氏。賢治の精神を体現する優れた実践的な活動を毎年顕彰する「イーハトーブ賞」を昨年受賞なさいました。
嘉藤治は最初の文圃堂版全集から編纂に関わりましたが、2度目の十字屋書店版では心平が中国に渡ってしまったこともあり、清六ともども中心的な役割を果たしました。
さらに戦後は賢治精神を体現すべく、故郷・岩手に帰って開拓に乗り出し、そこでも光太郎と関わります。
休憩を挟んで、質問を受け付けながらのフリートーク。和樹氏は、戦後の昭和21年(1946)から同24年(1949)にかけ、清六と光太郎の二人だけで編んだ日本読書組案版の『宮沢賢治文庫』について。特に「生徒諸君に寄せる」を中心に。
さらに音楽教師だった嘉藤治と、音楽好きだった賢治とのチェロを通しての関わりにも。
偏食気味のところがある当方を慮ってくださったようなメニュー構成で、恐縮でした(笑)。せっかくなので来月分にでも転用すればいいのに、と思いますが。
とにもかくにも一仕事終わりまして、関係の皆様、ご来場下さった方々に深く感謝しております。この後、盛岡まで足を伸ばしました。そのあたりはまた後ほど。
紙型は昭和26年(1951)に出た戦後新版と同一です。皇太子殿下と美智子さま(現・上皇ご夫妻)のご成婚記念という理由で表紙をおめでたい紅白の布装にし、「紅白版」として出されました。この頃になると結婚披露宴の引出物に『智恵子抄』というのが一つのトレンドだったそうで、そうしたところからの着想もあったように思われます。智恵子の最期を思うと複雑な気持ちになりますが……。
和装のマネキンに着せると、また違った感じになります。
さて、10:00開会。人が集まるのかな、と不安もありましたが、蓋を開けてみれば超満員でした。ありがたし。

上画像は、仙台から駆けつけて下さったヴォイスパフォーマー・荒井真澄さんが撮って下さいました。
続いて清六令孫にして㈱林風舎さん代表取締役の宮沢和樹氏。
いつものことですが、とにかく宮沢家では光太郎に対してものすごい恩義を感じ続けてきたというお話で、逆にこちらとしては恐縮してしまいます。
藤原嘉藤治の顕彰をなさっている瀬川正子氏。賢治の精神を体現する優れた実践的な活動を毎年顕彰する「イーハトーブ賞」を昨年受賞なさいました。
嘉藤治は最初の文圃堂版全集から編纂に関わりましたが、2度目の十字屋書店版では心平が中国に渡ってしまったこともあり、清六ともども中心的な役割を果たしました。
さらに戦後は賢治精神を体現すべく、故郷・岩手に帰って開拓に乗り出し、そこでも光太郎と関わります。
休憩を挟んで、質問を受け付けながらのフリートーク。和樹氏は、戦後の昭和21年(1946)から同24年(1949)にかけ、清六と光太郎の二人だけで編んだ日本読書組案版の『宮沢賢治文庫』について。特に「生徒諸君に寄せる」を中心に。
さらに音楽教師だった嘉藤治と、音楽好きだった賢治とのチェロを通しての関わりにも。
現在、花巻の宮沢賢治記念館さんで展示されている賢治旧蔵のチェロは、嘉藤治のチェロと交換したものだそうで、おかげで花巻空襲による被害を免れたとのこと。そして上画像で嘉藤治が持っている嘉藤治が使っていたチェロには穴が空いていて、それを補修した跡があり、賢治童話「セロ弾きのゴーシュ」で子鼠を穴からチェロに押し込む場面との関連が疑われるといったお話など。これは存じませんでした。
瀬川氏も、会場からの「嘉藤治はどんな先生だったのですか」という質問に答える中で、やはりゴーシュのモデルは嘉藤治ではないかというお話。嘉藤治はゴーシュ同様、癇癪持ちの面もあって顔を真っ赤にして怒ることから「タコ先生」と呼ばれていたそうで(笑)。
そんなこんなであっという間に予定の時間となり、閉会。
ちなみに来場者のみなさんには、お土産ということで下記の冊子が無料で配られました。
以前にもちらっと書きましたが、高村光太郎記念館さんでの展示説明パネルを書き始めたところ、あれも書きたい、これも書かなきゃ、とやっていたらかなりの枚数になってしまい、パネルはこの中から適当にセレクトして下さい、残りの部分も含めて冊子にして出版したらどうですかと提案したところ、そうなりました。

そんなこんなであっという間に予定の時間となり、閉会。
ちなみに来場者のみなさんには、お土産ということで下記の冊子が無料で配られました。

50ページ程で、頒価は600円。まだどのような形で販売されるのかよくわからない点がありまして、またのちほど詳しくご紹介いたします。
終了後、講師控え室で昼食。
花巻で主に食を通じて光太郎顕彰に当たられているやつかの森LLCさん(今回の記念館さんでの展示、トークショー、冊子の発行にも御尽力)が光太郎日記などを元に、実際に光太郎が作ったメニューなどを参考に組み立て、道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)さんのテナント、ミレットキッチン花(フラワー)さんが毎月15日に限定10食で出品している弁当「光太郎ランチ」のスペシャルバージョンでした。
てっきり今月15日に販売された分と同じメニューだろうと思っていたら、さにあらず。この日のためのスペシャルメニューでした。
終了後、講師控え室で昼食。
花巻で主に食を通じて光太郎顕彰に当たられているやつかの森LLCさん(今回の記念館さんでの展示、トークショー、冊子の発行にも御尽力)が光太郎日記などを元に、実際に光太郎が作ったメニューなどを参考に組み立て、道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)さんのテナント、ミレットキッチン花(フラワー)さんが毎月15日に限定10食で出品している弁当「光太郎ランチ」のスペシャルバージョンでした。
てっきり今月15日に販売された分と同じメニューだろうと思っていたら、さにあらず。この日のためのスペシャルメニューでした。
とにもかくにも一仕事終わりまして、関係の皆様、ご来場下さった方々に深く感謝しております。この後、盛岡まで足を伸ばしました。そのあたりはまた後ほど。
【高村光太郎書誌】
本人著作(全体)52 『詩集 智恵子抄』 紅白版
昭和34年(1959)4月10日 龍星閣 高村光太郎著
目次 人に 明治四十五年七月
或る夜のこころ 明治四十五年八月
おそれ 明治四十五年八月
或る宵 大正元年十月
郊外の人に 大正元年十一月
冬の朝のめざめ 大正元年十一月
深夜の雪 大正二年二月
人類の泉 大正二年三月
僕等 大正二年十二月
愛の嘆美 大正三年二月
晩餐 大正三年四月
樹下の二人 大正十二年三月十一日
狂奔する牛 大正十四年六月十七日
鯰 大正十五年二月五日
夜の二人 大正十五年三月十一日
あなたはだんだんきれいになる 昭和二年一月六日
あどけない話 昭和三年五月十日
同棲同類 昭和三年八月十六日
美の監禁に手渡す者 昭和六年三月十二日
人生遠視 昭和十年一月二十二日
風にのる智恵子 昭和十年四月二十五日
千鳥と遊ぶ智恵子 昭和十二年七月十一日
値ひがたき智恵子 昭和十二年七月十二日
山麓の二人 昭和十三年六月二十日
或る日の記 昭和十三年八月二十七日
レモン哀歌 昭和十四年二月二十三日
荒涼たる帰宅 昭和十六年六月十一日
亡き人に 昭和十四年七月十六日
梅酒 昭和十五年三月三十一日
うた六首
智恵子の半生 昭和十五年九月
九十九里浜の初夏 昭和十六年五月
智恵子の切抜絵 昭和十四年一月
紙型は昭和26年(1951)に出た戦後新版と同一です。皇太子殿下と美智子さま(現・上皇ご夫妻)のご成婚記念という理由で表紙をおめでたい紅白の布装にし、「紅白版」として出されました。この頃になると結婚披露宴の引出物に『智恵子抄』というのが一つのトレンドだったそうで、そうしたところからの着想もあったように思われます。智恵子の最期を思うと複雑な気持ちになりますが……。
































