都内からのコンサート情報です。もう明日なのですが、一昨日の夜になって演目に光太郎がらみが含まれるという情報が出たもので……。

イーガルの現代音楽の世界 ー作曲の秘密、演奏の魔法ー Vol.2 現代詩と現代音楽

期 日 : 2026年2月20日(金)
会 場 :  PetitMOA 東京都新宿区歌舞伎町2-19-10 B1
時 間 : 開場 18:00/開演 18:30
料 金 : 予約3,000円 当日3,500円(どちらも+1ドリンク 700円別途)

現代音楽作曲家・ピアニスト イーガルによる、
自作の演奏と創作をめぐる対話を中心にしたライブイベント。今回はゲストに、冬木理森(歌)と
トークゲストに山﨑修平(詩人)を迎え
作曲と詩の関係、表現の奥行きを多角的に探ります。

出演:イーガル(ピアノ・歌) 冬木理森(歌)  こみてつ(チェロ)
トークゲスト:山﨑修平(詩人) 
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トークゲストの山﨑修平氏、昨年開催された目黒学園カルチャースクールさん主催の詩の講座「詩の創作と鑑賞講座 7月期」で光太郎を取り上げて下さった方でした。

当方、明日から花巻出張ですので伺えませんが、ご都合の付く方、ぜひどうぞ。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)50 『赤城画帖』

昭和31年(1956)9月5日 龍星閣 高村光太郎著 西山勇太郎編
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目次
 赤城画帖 第一図~第二十八図  赤城相聞歌  赤城山の歌

上州赤城山は、光太郎にとってのソウルマウンテン。留学前の明治37年(1904)には5~6月と、7~8月にかけての2回、赤城の猪谷旅館に滞在し、それぞれ、親友の水野葉舟、与謝野鉄幹ら新詩社の面々と過ごしています。留学から帰朝した明治42年(1909)にもすぐ赤城山に登っています。

昭和4年(1929)には、草野心平、高田博厚らを引き連れて登っていますし、確認出来ている最後の赤城行は昭和6年(1931)で、この際には父・光雲も一緒でした。
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画帖は明治37年(1904)の滞在時に光太郎が残したスケッチ帖で、水野葉舟が譲り受けていましたが、詩人の風間光作の手に渡り、さらに風間からやはり詩人の西山勇太郎に。その後行方不明です。

平成12年(2000)、風間が原本から1枚抜き出して額装していたものが売りに出て、驚きました。
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西山の編集で、前半が画帖、後半は明治の第一期『明星』に載った赤城山関連の短歌を収めています。

画帖の存在は光太郎晩年の昭和26年(1951)、西山が光太郎に知らせ、光太郎は西山に以下の内容の書簡を送りました。

赤城写生帖といふやうなもの、まるで忘れても居ましたし、思ひ出さうとしても思い出せません。しかし、小生のものらしく、それがどうして貴下のところにあるのか実に不思議に堪へません。卅七年といへば日露戦当時、小生が美術学校に居た頃と思ひますが、そんなものが出て来ると怖いやうな気がします。

画帖部分、短歌の部分双方に、猪谷旅館の子息・六合雄(くにお)が解説を執筆しています。猪谷六合雄といえば日本スキー界の草分けで、さらに子息の千春氏は光太郎が歿した昭和31年(1956)のコルティナ・ダンペッツォ五輪で、日本人初の冬季五輪メダリストとなりました。現在行われているミラノ・コルティナ2026冬季五輪と会場がかぶります。

ちなみに現在94歳の千春氏、今回の五輪に合わせてコルティナ・ダンペッツォを再訪されたそうで。

コルティナで70年ぶりの再会 猪谷さん、当時の宿泊先家族と

 1956年コルティナダンペッツォ冬季五輪のアルペンスキー男子回転で2位に入った猪谷千春さん(94)が17日、大会で縁のあったマヌエラ・アンジェリさん(86)とコルティナダンペッツォで70年ぶりの再会を果たした。約1時間にわたって談笑し「昔のことを話し合えて楽しいし、うれしい」と感慨に浸った。
 猪谷さんは当時、アンジェリさんの家族が経営していたホテル「ビクトリア」に宿泊し、日本勢初の冬季五輪メダリストに輝いた。フィギュアスケートのイタリア代表だったアンジェリさんは別の滞在先から大会に出場したが、会話を交わした記憶があるという。今大会がきっかけで再会が実現。2人は「ビクトリア」のソファに腰を下ろし、対面した。
 猪谷さんは現役引退後、IOC副会長も務め、名誉委員となった。五輪の意義について問われ「技を競い、友情の輪を広げる。まさにこの2人の再会」と話した。来日したことがないというアンジェリさんには草履をプレゼントし「次は東京で会いましょう」と声をかけた。(共同通信)
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