まず、毎年8月9日に「女川光太郎祭」を開催して下さっている宮城県女川町からのニュースです。地元紙『石巻かほく』さんより。1月31日(土)の記事です。

「女川から日本一、うれしい」トレーラーホテル・エルファロ 63室、国内最多に認定

 トレーラーハウスを活用した女川町女川2丁目の「ホテル・エルファロ」(63室)が、日本記録認定協会から部屋数が最も多い「日本最大の国産トレーラーハウスホテル」に認定された。女将(おかみ)の佐々木里子さん(57)は「アットホームなホテルが日本一になれてうれしい。多くの人に泊まってみてほしい」と語る。
   エルファロはトレーラーハウス40台を宿泊部屋に使う。東日本大震災で被災した旅館業者4社と株式会社エルファロで組織する共同事業体が運営。復興事業者の宿泊場所確保などにつなげようと、2012年12月に同町清水地区に開業した。復興事業の進展に伴い、17年8月に現在地のJR女川駅近くに移転した。
 車両は国産のトレーラーハウスを製造、販売する「カンバーランド・ジャパン」(長野県)の製品。国産木材を使い、梅雨や雪の湿気に強いという。カンバーランド社の関係者から「台数が日本一かもしれない」といった声を聞いていたため、ホテルの付加価値を高めて国内外に発信しようと、昨年12月に協会に申請し、今月9日に認定がかなった。
 エルファロの田中雄一朗社長(39)は「営業を続けてこられたのは地域の皆さんのおかげ。女川に日本一があるといういいニュースを届けられた」と喜ぶ。
 ピンクや緑などトレーラーのカラフルな外観も人気で、宿泊を目的にした旅行者も全国から集まる。能登半島地震で被災した石川県輪島市の旅館経営者や、セカンドハウスや集会所として購入を検討している人らも視察に訪れるという。佐々木さんは「いろいろな使い方ができるのも魅力」と語る。
 今後はギネス世界記録への申請も視野に入れる。田中社長は「メード・イン・ジャパンの魅力を女川から世界に発信したい」と話した。
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家族連れに人気なロフト付きの部屋。女将の佐々木さんは「アットホームな雰囲気を楽しんでほしい」と話す

JR石巻線女川駅裏のエルファロさん、女川光太郎祭でお邪魔した際にはほぼ毎回こちらに2泊させていただいており、それ以外にも個人的に宿泊したこともありまして、もう20泊以上しているはずです。

最初に泊めていただいたのが、平成26年(2014)。この頃は現在地ではなく、一山越えた谷間でした。平成23年(2011)の東日本大震災により壊滅した市街地の区画整理等がまだ進んでいなかったためです。「建築」ではないので認可がすぐおりたとのこと。その後、中心街の復興が進んだのに合わせ、可動式のトレーラーハウスとしての特性を生かして、平成29年(2017)に現在地に移転しました。
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トレーラー部分1台を前後に分割して2室になっているタイプにいつも泊めていただいておりますが、それでもベッドはツインでへたなビジネスホテルの部屋より広く、冷暖房やユニットバスなども完備されており、なかなかに快適です。難をいえば、方向音痴の方が敷地内で迷子になることくらい(笑)。

その他、1台で1室、ベッドが4つの大部屋もあり(ロフト付きというのはこのタイプでしょう)、ファミリー向けの対応も成されています。当会顧問であらせられた北川太一先生がご存命の頃、奥様、息子さんと3人でいらした際にご利用されていました。

メーカーのカンバーランド・ジャパンさんの所在地は長野市だそうで、それは存じませんでした。自宅兼事務所から車で10分足らずの川沿いにも、おそらく釣り人をメインターゲットとしたトレーラーハウス式の宿泊施設があり、そちらもそうなのかな、と思いました。能登半島地震に際しても活用が成されているとのことです。すばらしい。

そしてエルファロさん、日本版ギネスともいうべき日本記録認定協会さんから部屋数が最も多い「日本最大の国産トレーラーハウスホテル」に認定とのこと。さらに本家ギネスブック登録ということになれば、その話題性からも女川の活性化につながると存じます。そうなってほしいものです。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)37 『智恵子抄』 新版

昭和26年(1951)2月20日 龍星閣 高村光太郎著
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目次

 人に             明治四十五年七月
 或る夜のこころ        明治四十五年八月
 おそれ            明治四十五年八月
 或る宵            大正元年十月
 郊外の人に          大正元年十一月
 冬の朝のめざめ        大正元年十一月
 深夜の雪           大正二年二月
 人類の泉           大正二年三月
 僕等             大正二年十二月
 愛の嘆美           大正三年二月
 晩餐             大正三年四月
 樹下の二人          大正十二年三月十一日
 狂奔する牛          大正十四年六月十七日
 鯰              大正十五年二月五日
 夜の二人           大正十五年三月十一日
 あなたはだんだんきれいになる 昭和二年一月六日
 あどけない話         昭和三年五月十日
 同棲同類           昭和三年八月十六日
 美の監禁に手渡す者      昭和六年三月十二日
 人生遠視           昭和十年一月二十二日
 風にのる智恵子        昭和十年四月二十五日
 千鳥と遊ぶ智恵子       昭和十二年七月十一日
 値ひがたき智恵子       昭和十二年七月十二日
 山麓の二人          昭和十三年六月二十日
 或る日の記          昭和十三年八月二十七日
 レモン哀歌          昭和十四年二月二十三日
 荒涼たる帰宅         昭和十六年六月十一日
 亡き人に           昭和十四年七月十六日
 梅酒             昭和十五年三月三十一日
 うた六首                         
 智恵子の半生         昭和十五年九月
 九十九里浜の初夏       昭和十六年五月
 智恵子の切抜絵        昭和十四年一月 

昭和16年(1941)にオリジナルの『智恵子抄』を刊行した龍星閣が戦時の休業から復興、前年に出した『智恵子抄その後』に続き、満を持して『智恵子抄』を再刊しました。

それに伴い、昭和22年(1947)から5版まで出ていた白玉書房版は絶版。そちらに収められていた戦後の詩「松庵寺」「報告」は削除されて、オリジナルの形に戻りました。

この赤い表紙の新版が、平成まで版を重ねることになります。