1月21日(水)の『朝日新聞』さん一面コラム「天声人語」。光太郎詩「冬が来た」(大正2年=1913)と「道程」(同3年=1914)を引いて下さいました。
まったくこの冬の寒さは厳しく感じられます。ひと頃、毎年のように暖冬だと言われていた時期は何だったんだろうという感じです。まぁ、これが本来の自然の姿なのでしょうが。
自宅兼事務所のある比較的温かな千葉県の北東部でも、既に2回降雪がありました。最初は1月2日(金)から翌日未明にかけて。
この時は4~5㌢の積雪。それから一昨日も、朝起きたらうっすらと屋根に積もっていました。どうもまだ降るような気がしています。「カマキリが高い場所に卵を産むとその冬は積雪が多い」という俗信があり、そのとおり昨秋、2階のベランダの外壁に産卵したカマキリがいまして。
それにしても、雪国の皆さんのご苦労はいかばかりかと存じます。ご自愛下さい。
しかし、冬至を過ぎて一ヶ月、確実に陽光は春近しの感を呈してきました。もう少しの辛抱ですね。
光太郎初の随筆集です(一部、随筆と言うより評論と言った方が良いものも含みます)。タイトルの「某月某日」は、その題で『改造』、『歴程』、『知性』、『帝国大学新聞』に寄稿していて、そこから採りました。他もすべて新聞、雑誌等への寄稿からの転載で、書き下ろしは含まれません。
版元は『智恵子抄』と同じ龍星閣。おそらく、光太郎の美術評論集『美について』(道統社)と『造型美論』(筑摩書房)が相次いで刊行され、それなりに好評だったため、社主の沢田伊四郎が、それなら随筆集もと思い立ったのではないかと考えられます。
同年10月の第2刷から函がカバーに代わり、昭和19年(1944)の第3刷まで確認出来ています。計45,000部が刊行されました。
「冬が来た」と題した詩を、高村光太郎が編んでいる。それは〈きつぱりと冬が来た〉と始まる。〈八つ手の白い花も消え/公孫樹の木も箒になつた〉。ご存じの方も多いだろう。あの有名な詩〈僕の前に道はない/僕の後ろに道は出来る〉と同じ詩集に載っている▼寒い冬が、やって来た。きのうは大寒の入りだった。1年で、もっとも冷え込みが厳しい時期とされる。実際に今週、強い寒気が列島に流れ込み、しばらく居座るようだ▼名著『風土』で、和辻哲郎は寒さと冷たさについて考察している。乾いた西欧の冬に、冷たい空気はあっても、身に沁みるような寒さはない。湿潤な日本の冬と違って「人間を委縮させずにはおかないような、暴圧的な寒さはない」と論じた▼思い出すのは、かつて駐在した旧満州の地、中国東北部の乾燥した冬だ。零下30度にもなる冷気は寒さというより、痛みだった。ゾクッとしたときはもう手遅れとも言われた。見えない何かに体が蝕(むしば)まれる恐怖である▼土地の人は“先”に注意するよう教えてくれた。耳の先、手や足の先、頭の先。そういえば「冷たい」の語源は「爪痛し」との説がある。靴下を重ね、手袋をはめ、人は丸くなって、じっと、待つ。天地の道、極まれば則(すなわ)ち反(かえ)ると唱えながら、春を待つ▼高村は書く。〈ああ、自然よ/父よ/僕を一人立ちにさせた広大な父よ/僕から目を離さないで守る事をせよ〉。近所にある梅の木に目をやれば、その枝に、ぷくりとした芽がゆれていた。
まったくこの冬の寒さは厳しく感じられます。ひと頃、毎年のように暖冬だと言われていた時期は何だったんだろうという感じです。まぁ、これが本来の自然の姿なのでしょうが。
自宅兼事務所のある比較的温かな千葉県の北東部でも、既に2回降雪がありました。最初は1月2日(金)から翌日未明にかけて。
この時は4~5㌢の積雪。それから一昨日も、朝起きたらうっすらと屋根に積もっていました。どうもまだ降るような気がしています。「カマキリが高い場所に卵を産むとその冬は積雪が多い」という俗信があり、そのとおり昨秋、2階のベランダの外壁に産卵したカマキリがいまして。
それにしても、雪国の皆さんのご苦労はいかばかりかと存じます。ご自愛下さい。
しかし、冬至を過ぎて一ヶ月、確実に陽光は春近しの感を呈してきました。もう少しの辛抱ですね。
【高村光太郎書誌】
本人著作(全体)24 『随筆 某月某日』
昭和18年(1943)4月20日 龍星閣 高村光太郎著
目次 十二月八日の記 子供の頃 美術学校時代 姉のことなど 母のこと ロダンの手記談話録
某月某日 七月の言葉 一夏安居の弁 詩の深さ 中央協力会議の印象
芸術による国威宣揚 美の力 戦時下の芸術家 某月某日 美術館の事その他 戦時の文化
芸術による国威宣揚 美の力 戦時下の芸術家 某月某日 美術館の事その他 戦時の文化
間違のこと 自作肖像漫談 春さきの好物 雷ぎらひ 普遍と独白 しやつくり病
上野の現代洋画彫刻 某月某日 三十年来の常用卓 某月某日 ほくろ 悠久山の一本欅
谷中の家 某月某日 蟻と遊ぶ 豊島与志雄氏著「猫性語録」 小感 某月某日
がんがん三つ口 新茶の幻想
がんがん三つ口 新茶の幻想
光太郎初の随筆集です(一部、随筆と言うより評論と言った方が良いものも含みます)。タイトルの「某月某日」は、その題で『改造』、『歴程』、『知性』、『帝国大学新聞』に寄稿していて、そこから採りました。他もすべて新聞、雑誌等への寄稿からの転載で、書き下ろしは含まれません。
版元は『智恵子抄』と同じ龍星閣。おそらく、光太郎の美術評論集『美について』(道統社)と『造型美論』(筑摩書房)が相次いで刊行され、それなりに好評だったため、社主の沢田伊四郎が、それなら随筆集もと思い立ったのではないかと考えられます。
同年10月の第2刷から函がカバーに代わり、昭和19年(1944)の第3刷まで確認出来ています。計45,000部が刊行されました。






