「智恵子抄」オマージュの作品も展示される写真展です。
期 日 : 2026年1月24日(土)・25日(日)
会 場 : MIL gallery 渋谷区神宮前4-25-28 2F
MIL 2nd 渋谷区神宮前4-25-29 2F
MIL 2nd 渋谷区神宮前4-25-29 2F
時 間 : 1/24 12:00~21:00 1/25 9:00~11:00
料 金 : 無料
いわゆる裏原宿(ウラハラ)。圧巻の56名の作品が展示されます。MIL GallaryとMIL 2ndは隣り合わせです。どなたでもお気軽にお立ち寄りください。
主催者X投稿より
さすがに福岡は遠いな、と、昨年は欠礼しましたが、ありがたいことに都内での開催ということで、これは行かざぁなるめい、です。ついでというと何ですが、他にも展覧会のハシゴをして参ります。
皆様もぜひどうぞ。
いわゆる裏原宿(ウラハラ)。圧巻の56名の作品が展示されます。MIL GallaryとMIL 2ndは隣り合わせです。どなたでもお気軽にお立ち寄りください。
主催者X投稿より
写真が好きな人も、展示は久しぶりな人も、たまたま通りかかった人も。
56人の写真家が、それぞれの「今」を持ち寄る展示UNBOUND #2 を開催します。ジャンルも、撮り方も、距離感もばらばら。だからこそ、きっと一枚くらい、自分の感覚に引っかかる写真があると思います。この展示は、僕自身が「今の写真の面白さ」をちゃんと見たくて、そして、ちゃんと誰かに届けたくてスタートしました。ありがたいことに前回は多くの人が足を運んでくれて、「来てよかった」「思ってたよりずっと良かった」そんな声をたくさんもらいました。
気負わずで大丈夫です。ふらっと入って、数枚見て、出ていくだけでもいい。でももし時間があれば、
少しだけゆっくり見ていってください。56通りの「今」の中に、あなたの感覚と重なる一枚がきっとあります。
昨年11月、福岡で開催されたポートレート展「Fixtyle Portrait Fukoka 8th」に、やはり「智恵子抄」インスパイアの作品で参加されたYasuyuki Ibaraki氏という方が、同一の作品を出品なさるようです。さすがに福岡は遠いな、と、昨年は欠礼しましたが、ありがたいことに都内での開催ということで、これは行かざぁなるめい、です。ついでというと何ですが、他にも展覧会のハシゴをして参ります。
皆様もぜひどうぞ。
【高村光太郎書誌】
本人著作(全体)22 『詩集 大いなる日に』
昭和17年(1942)4月20日 道統社 高村光太郎著
目次
序 秋風辞 夢に神農となる 老耼、道を行く 天日の下に黄をさらさう 若葉 地理の書
『道程』(大正3年=1914)、『智恵子抄』(昭和16年=1941)に続く第3詩集です。ほぼ全編これ翼賛詩で、前年の『智恵子抄』とのあまりのギャップは、知らない人が読んだらとても同一人物の詩集とは思えないほどといえるでしょう。
しかし、元々ここに収められた詩篇は『智恵子抄』収録の珠玉のそれと並行して書かれていたものです。戦後の詩「元素智恵子」の中では、「うちに智恵子の睡る時わたくしは過ち/耳に智恵子の声をきく時わたくしは正しい」と書きました。これらの詩篇を書いていた時が「うちに智恵子の睡る時」だったのでしょう。
『智恵子抄』には実に色々な側面がありますが、そのうちの一つとして、次のような面もあったのではないかと考えます。すなわち、智恵子との日々を一冊の詩集にまとめることで、それを総括し、またそうした日々への訣別を宣言するという意味合い。
そして俗世間との関わりを極力避けて、芸術精進に生きようとした智恵子との生活が智恵子の心を病ましめたという反省、悔恨から、180度方向を転換し、自ら積極的に世の中と交わる方面に舵を切りました。もしかすると、そうでもしないと智恵子を失った空虚な自分も心を病むという危機感があったかもしれません。
そうした内面がよく表されているのが、収録されている「最低にして最高の道」(昭和15年=1940)です。
目次
序 秋風辞 夢に神農となる 老耼、道を行く 天日の下に黄をさらさう 若葉 地理の書
その時朝は来る 群長訓練 正直一途なお正月 初夏到来 事変二周年 君等に与ふ
銅像ミキイヰツツに寄す 紀元二千六百年にあたりて へんな貧 源始にあり ほくち文化
最低にして最高の道 無血開城 式典の日に 太子筆を執りたまふ われら持てり
強力の磊塊たれ 事変はもう四年を越す 百合がにほふ 新穀感謝の歌 必死の時
危急の日に 十二月八日 鮮明な冬 彼等を撃つ 新しき日に 沈思せよ蒋先生
ことほぎの詞 シンガポール陥落 夜を寝ざりし暁に書く 昭南島に題す
ことほぎの詞 シンガポール陥落 夜を寝ざりし暁に書く 昭南島に題す
『道程』(大正3年=1914)、『智恵子抄』(昭和16年=1941)に続く第3詩集です。ほぼ全編これ翼賛詩で、前年の『智恵子抄』とのあまりのギャップは、知らない人が読んだらとても同一人物の詩集とは思えないほどといえるでしょう。
しかし、元々ここに収められた詩篇は『智恵子抄』収録の珠玉のそれと並行して書かれていたものです。戦後の詩「元素智恵子」の中では、「うちに智恵子の睡る時わたくしは過ち/耳に智恵子の声をきく時わたくしは正しい」と書きました。これらの詩篇を書いていた時が「うちに智恵子の睡る時」だったのでしょう。
『智恵子抄』には実に色々な側面がありますが、そのうちの一つとして、次のような面もあったのではないかと考えます。すなわち、智恵子との日々を一冊の詩集にまとめることで、それを総括し、またそうした日々への訣別を宣言するという意味合い。
そして俗世間との関わりを極力避けて、芸術精進に生きようとした智恵子との生活が智恵子の心を病ましめたという反省、悔恨から、180度方向を転換し、自ら積極的に世の中と交わる方面に舵を切りました。もしかすると、そうでもしないと智恵子を失った空虚な自分も心を病むという危機感があったかもしれません。
そうした内面がよく表されているのが、収録されている「最低にして最高の道」(昭和15年=1940)です。

最低にして最高の道
もう止さう。
ちひさな利慾とちひさな不平と、
ちひさなぐちとちひさな怒りと、
さういふうるさいけちなものは、
ああ、きれいにもう止さう。
わたくし事のいざこざに
見にくい皺を縦によせて
この世を地獄に住むのは止さう。
こそこそと裏から裏へ
うす汚い企みをやるのは止さう。
この世の抜駆けはもう止さう。
さういふ事はともかく忘れて
みんなと一緒に大きく生きよう。
見えもかけ値もない裸のこころで
らくらくと、のびのびと、
あの空を仰いでわれらは生きよう。
泣くも笑ふもみんなと一緒に
最低にして最高の道をゆかう。




