昨日は今年初めて上京し、新宿のSOMPO美術館さんで「開館50周年記念 モダンアートの街・新宿」を拝見して参りました。
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ちなみに同館を訪れるのは平成16年(2004)の「高村光太郎展 彫刻、絵画、書――「いのち」の造型」展以来、21年半ぶりでした。
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今回は、近代美術の発信地の一つとして大きな役割を担うこととなった新宿界隈に焦点を当てるもので、そこに文学とのからみも語られ、総合的にとらえようという試みでした。

まずエレベータで5階へ。そこから4階、3階と下る順路となっている、よくあるパターンでした。まずは「ⅰ章 中村彝と中村屋 ルーツとしての新宿」。光太郎の親友だった碌山荻原守衛の小品2点「灰皿」と「香炉」(撮影禁止)が、いきなり最初にお出迎え。
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その後は守衛同様、中村屋サロンの主要メンバーで新宿にアトリエを構えた中村彝が中心でした。

その流れで「コラム1 文学と美術」。
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白樺派が大きく取り上げられ、ロダンや武者小路実篤、岸田劉生などが語られます。光太郎は中村屋サロンとともに白樺派の一員でもありました。右上は光太郎も寄稿した『白樺』第1巻第8号ロダン号(明治43年=1910)。

ここにフォービズムの影響を色濃く受けた光太郎の自画像(大正2年=1913)。
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同じ新宿の中村屋サロン美術館さんの所蔵で、同館の常設展示(コレクション展)にしょっちゅう出ているのですが、考えてみるとそちらに最近足を運んで居らず、久々に拝見しました。

光太郎とも交流のあった美校の後輩にして歌人の宮柊二の叔父・宮芳平の「歌」(大正4年=1915)。宮は中村彝に師事した画家でした。
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大正3年(1914)、美校在学中の宮は文展に出品するも落選。すると、宮は審査員だった森鷗外の観潮楼(光太郎アトリエ兼住居の近くです)に乗り込んで、なぜ落選だったのかと問い詰めるという暴挙に出ました。結局、鷗外にうまいこと言いくるめられて(笑)矛先を収め、以来、鷗外と個人的に交流するようになるのですが。そのあたり、鷗外の短編小説「天寵」に語られています。ちなみに今回の出品作「歌」も文京区立森鷗外記念館さんからの借り受けです。
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その「天寵」が載った『ARS』の創刊号(大正4年=1915)。光太郎も『ロダンの言葉』の一部を寄稿しています。
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『ARS』といえば、版元の阿蘭陀書房は北原白秋の実弟・鉄雄が社主。まさに「文学と美術」が現出されている一角でした。同様に、光太郎と親しかった岸田劉生による、これまた光太郎の盟友の一人・武者小路実篤の肖像(大正3年=1914)。
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ネットや各種書籍によく画像が載っているのですが、東京都現代美術館さんの所蔵だそうで、そうだったのか、という感じでした。

ⅱ章は「佐伯祐三とパリ/新宿 往還する芸術家」、ⅲ章が「松本竣介と綜合工房 手作りのネットワーク」。松本も光太郎と交流があり、解説パネルにその旨記述がありました。ありがたし。
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そして今回のフライヤーやポスターに使われている目玉作品「立てる像」(昭和17年=1942)。過日ご紹介したパナソニック汐留美術館さんでの「美しいユートピア 理想の地を夢みた近代日本の群像」展では、こちらの下絵がフライヤーに使われています。松本も最近またあちこちで取り上げられる機会が増えてきたように感じています。

最後は現代につながる展示となり、終了。

昨日は開幕して間もない休日ということで、けっこう賑わっていました。皆様もぜひどうぞ。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)18 『道程』改訂普及版

昭和15年(1940)11月20日 山雅房 高村光太郎著
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目次
 道程
  失はれたるモナ・リザ  明治四十三年十二月十四日
  画室の夜        明治四十四年一月十二日
  寂寥                       明治四十四年三月十三日
  声           明治四十四年五月二十日
  新緑の毒素       明治四十四年六月十一日
  はかなごと
  地上のモナ・リザ    明治四十四年七月六日
  父の顔         明治四十四年七月十二日 
  泥七宝         明治四十四年七月――翌年六月
  ――に         明治四十五年七月二十一日
  或る夜のこころ     大正元年八月十八日
  おそれ
  犬吠の太郎       大正元年九月二十六日
  さびしきみち      大正元年十月八日
  梟の族         大正元年十月二十日
  或る宵         大正元年十月二十三日
  郊外の人に       大正元年十一月二十五日
  冬の朝のめざめ     大正元年11月三十日
  戦闘          大正元年十二月十四日
  人に          大正二年二月十八日
  人類の泉        大正二年三月十五日
  山           大正二年十一月四日
  冬の詩         大正二年十二月六日
  牛           大正二年十二月七日
  僕等          大正二年十二月九日
  道程          大正三年二月九日
  愛の嘆美        大正三年二月十二日
  婚姻の栄誦       大正三年三月六日
  万物と共に踊る     大正三年三月九日
  瀕死の人に与ふ     大正三年三月十四日
  晩餐          大正三年四月二十五日
  五月の土壌       大正三年五月十六日
  秋の祈         大正三年十月八日
 道程 以後
  わが家         大正五年
  小娘          大正六年
  無為の白日
  海はまろく
  雨にうたるるカテドラル 大正十年十月
  沙漠
  クリスマスの夜     大正十一年一月
  冬の送別        大正十一年四月
  五月のアトリエ     大正十一年五月
  ラコツチイ・マアチ   大正十一年十一月
  落葉を浴びて立つ    大正十一年十一月
  樹下の二人       大正十二年三月
  鉄を愛す        大正十二年五月
  氷上戯技
  珍客
  葱
  車中のロダン      大正十四年
  後庭のロダン      大正十四年二月
  十大弟子        大正十五年
  聖ジヤンヌ       大正十五年
 猛獣篇 時代
  清廉          大正十三年十二月
  傷をなめる獅子     大正十四年
  狂奔する牛
  鯰           大正十五年
  苛察          大正十五年
  雷獣          大正十五年六月
  龍           大正十六年
 【編纂者の言葉】 三ツ村繁蔵

奥付では「百五十部限定版」「書店版」と同じく昭和15年(1940)11月20日となっていますが、実際には昭和16年(1941)4月25日に「普及版」が出されました。「書店版」にあった函は廃され、カバー装になりました。以後、版型やカバーデザインを変えつつ昭和18年(1943)までに9刷を重ねました。

手持ちのものは昭和17年(1942)10月20日の8版。カバー無しの裸本ですが、見返しに編集者兼詩人だった小池吉昌宛の献呈署名が書かれています。コレクションの中で唯一の光太郎署名本です。あまり署名や識語の有無にこだわらないのですが、一冊くらいあっても良いかな、と購入しました。

重版の裸本で、蔵書印や書き込みもあり、そうなると市場価値は500円~1,000円というところですが、サイン入りということで、たしか18,000円くらいで入手しました。ほとんどサイン代です(笑)。