このブログ中、昨年の大晦日に書いた記事で少しだけご紹介しておいた新刊書籍ですが、改めて。
発行日 : 2025年12月30日
著者等 : 小関素明著
版 元 : 人文書院
定 価 : 6,800円+税
戦後社会に瀰漫する欺瞞と擬態、その正体を暴く
開戦の報に国民が覚えた高揚感。そして敗戦後、その熱狂をまるで“なかったこと”のように振る舞い始めた国民。この巨大な断絶の深淵には何が横たわっているのか。「大東亜戦争」という呼称が国民に与えた幻想と、戦後の空虚な平和主義の根源にある欺瞞を解き明かし、我々が未だ直視できずにいる「戦争責任」に対峙する。
第二章「表現者の幻覚と煩悶――「真の自己」の渇望と探究」中に「1 自我と美感の転相――高村光太郎」という項がありますが、そこ以外にも随所(特に前半)で光太郎に触れられています。
タイトルに「大東亜戦争」の語が使われていますが、右翼がよく「あの戦争は欧米列強の植民地支配から東亜を解放するための聖戦だった」という文脈でその語を使うのとは異なります。著者・小関氏は、「 「大東亜戦争」という呼称は、日米開戦四日後の一九四一年一二月一二日の閣議において定められた呼称であり、日本の戦争目的を粉飾するための独善性が色濃く投影されており、学術用語としてはアジア・太平洋戦争という呼称の方が相応しいのはいうまでもない」としつつ、「しかし、当時の日本国民のほぼすべてが、アジア・太平洋戦争ではなく、「大東亜戦争」という呼称に表象された理念に魅了されて戦争に同調し、協力した。(略)それをアジア・太平洋戦争という学術用語に置き換えたのでは、戦争に同調した国民の心理と情念に肉迫しにくい」というスタンスから、「大東亜戦争」で統一されています。
そして「世界の大国米国と戦端を開くに際して、甚大な犠牲が予想されるにもかかわらず、多くの国民はどのような感覚で開戦を受感し、高揚感にとらわれたのか、敗戦後に自ら戦争目的に雷同し陶酔した直近の過去にどう向き合ったのかということの検証」といった点が本書のテーマと位置づけられています。
そこで前半では、光太郎、三好達治、野口米次郎といった、翼賛詩を数多く書いた詩人たちの作品を俎上に乗せ、作者自身の内面の剔抉、それらの作品の受容状況といったところが語られます。
他に坂口安吾や太宰治、武者小路実篤、火野葦平らの小説家、斎藤茂吉ら歌人等にも言及されますが、メインは詩。これについてはこのように語られています。
なぜ詩なのか。それは詩の特質ともいうべき言葉の精妙さと関連している。短縮した表現で人間の内面世界を表さなければならない詩は、散文以上に言葉の濃度と旋律に重きが置かれる。読み手は濃密な言葉と旋律に載せられた表現者の内面世界を解凍し、それに共感、心服したり、覚醒させられたりする。それが読み手に影響を与えるためには、詩は読み手にも共通する思いを掬い取るとともに、それを明晰化し、さらには一歩先んじていることが必要である。
そうしてそういう機能を担った光太郎の翼賛詩考察。なかなかに鋭い視点でした。特に光太郎ファンとして心が痛んだのは、「撃つ」という語に関して。
まぁ、「撃ちてし止まん」などとプロパガンダ的スローガンに使われ、当時の流行語のような側面もあったと思いますが、光太郎も複数の翼賛詩で「撃つ」という語を多用しています。しかし小関氏にかかれば「これはさらに露骨にいえば敵を「殺す」ということである」「高村は「殺す」、「みなごろし」という直截な表現を避けながら、事実上敵を「殺す」ということに「この生活の一切をかけ」る決意を「美の世界を守りぬこう」という覚悟に重ね合わせて述べているが、「撃つ」というベールを被せた表現に逆に表現者の苦渋と義務感のうち混じった壮絶さを感じさせる」。
「この生活の一切をかけ」「美の世界を守りぬこう」は、詩「決戦の年に志を述ぶ」(昭和18年=1943)の一節です。更にいうなら小関氏曰く「ここに芸術性は何もない」。まったくその通りです。しかし、「こうした詩こそ光太郎の真骨頂」と涙を流して有り難がる愚物が多いのも現状ですが。
平時であれば決して許されない殺人教唆的な物言い、さらにはこうした詩に鼓舞されて戦場へ赴いた多くの前途有為な若者たちが逆に「撃」たれたこと、それらを深く悔いて、戦後の光太郎は花巻郊外旧太田村に7年間の蟄居生活を送ることになります。そこは本書の主旨ではないので、戦後の壮絶な蟄居生活にはほとんど触れられていないのが残念といえば残念ですが。
後半はほとんどの国民が「敗戦後、その熱狂をまるで“なかったこと”のように振る舞い始めた」ことの検証。ここでは天皇制の問題にも触れつつ、鮎川信夫や金子光晴、吉本隆明ら、「荒地派」がメインです。同派は「敗戦後の日本社会の気運がいかに欺瞞に覆われ、それを看過してやり過ごすことがいかに人間の存在を歪めるかということを詩表現のモチーフとして拘りつづけた一群の詩人たち」と位置づけられています。まぁ、それはそうなのでしょう。ただ、金子などは数は少ないながらも戦時中にコテコテの翼賛詩を書いていたことにはほとんど触れられていないようで、その上で論じていただければ、という気はしました。
それにしても戦後80年、そして実にきな臭い状況に陥っているこの国を二度と誤った道に進ませないためにも、こうした問題を考える上で実に示唆に富んだ書籍です。ぜひお買い求めを。
大正3年(1914)刊行のオリジナル『道程』から詩篇を抜粋し、さらにその後の作品を加えて刊行されました。表紙に昭和11年(1936)の雑誌『歴程』初出のペン素描「獅子の首」を金押しであしらっています。
昭和17年(1942)に、この詩集により同16年度の第一回帝国芸術院賞を受賞。出版された昭和15年(1940)には光太郎は大政翼賛会中央協力会議議員にも就任し、上梓や受賞にはそのための箔づけというかご褒美というか、そういう匂いが感じられます。
ご当地フレーム切手を除き、唯一、光太郎肖像が切手デザインに使われた平成12年(2000)の「20世紀デザイン切手」シリーズ第9集に含まれる80円切手は、この詩集に関わります。これは昭和15年(1940)から同20年(1945)までの題材8種類を1シート10枚構成にしたものでした。
著者 小関素明
1962年生まれ。立命館大学大学院文学研究科博士課程修了。現在、立命館大学教授。専門は近代日本政治史・近代日本政治思想史。著書に『日本近代主権と「戦争革命」』(日本評論社、2020年)、『日本近代主権と立憲政体構想』(日本評論社、2014年)、『現代国家と市民社会』(共編著、ミネルヴァ書房、2005年)、『新しい公共性』(共編著、有斐閣、2003年)など。
目次 はじめに
序章 情念に分け入る精神史をめざして
1 本書の問題意識――「戦争協賛」と「戦争責任」の思想化に向けて
2 本書の分析課題と視座
3 本書で使用する史料について
第Ⅰ部 「大東亜戦争」の幻影と煩悶
第一章 日米開戦の衝撃と翻弄
1 開戦の衝撃と変貌する詩人たち
2 「宣戦の詔書」の作用――高揚感の国民的拡がり
3 「大東亜戦争」の特性と天皇制の関涉
第二章 表現者の幻覚と煩悶――「真の自己」の渇望と探究
1 自我と美感の転相――高村光太郎
2 表現の原郷への帰還と「本当の自己」との葛藤――野口米次郎
3 言語表現の新境の眺望と天皇
第三章 「大東亜戦争」道義化の蹉跌
1 「国民文学」の蹉跌と「大東亜戦争」聖戦化の限界
2 「メシア国家」の幻影――「近代の超克」論の限界
3 「戦意高揚」戦略の限界
第四章 敗戦時における国民の擬態の前景化
1 心的空白状態の到来
2 「民主化」受容の屈曲――他動的「国民主権」の到来
3 死の至近化と言葉の限界効用
第Ⅱ部 孤塁からの開削
第五章 「荒地」への収斂
1 「戦争体験」の特質とその思想化
2 「紙屑を捨てない」主体性――「何も信じない」ことを原点に
3 詩作のオントロギー—―「詩の特権性」としての「在らざるものの力」の創造
第六章 「橋上の人」の写像と射程
1 「直接性」への懐疑――庶民感覚と兵士の目線への不信
2 「荒地」という「可能性」――文明の蘇生に向けて
3 「橋上」からの近代批判
第七章 戦後社会の擬態の摘発
1 「深い絶望」の探求
2 バチルスとしての教説的「平和主義」に抗して――『死の灰詩集』批判
3 病巣への肉迫
第八章 戦争責任の実効化と言語表現の新地平
1 「意味の回復」と愛への覚醒
2 金子光晴における象徴主義の刷新
3 表現のアポリアを超えて
4 孤独の快楽と可能性としての「間隙」への対峙
終章「大東亜戦争」と「戦争責任」の精神史から見えてくるものは何か
あとがき
事項索引
人名索引
第二章「表現者の幻覚と煩悶――「真の自己」の渇望と探究」中に「1 自我と美感の転相――高村光太郎」という項がありますが、そこ以外にも随所(特に前半)で光太郎に触れられています。
タイトルに「大東亜戦争」の語が使われていますが、右翼がよく「あの戦争は欧米列強の植民地支配から東亜を解放するための聖戦だった」という文脈でその語を使うのとは異なります。著者・小関氏は、「 「大東亜戦争」という呼称は、日米開戦四日後の一九四一年一二月一二日の閣議において定められた呼称であり、日本の戦争目的を粉飾するための独善性が色濃く投影されており、学術用語としてはアジア・太平洋戦争という呼称の方が相応しいのはいうまでもない」としつつ、「しかし、当時の日本国民のほぼすべてが、アジア・太平洋戦争ではなく、「大東亜戦争」という呼称に表象された理念に魅了されて戦争に同調し、協力した。(略)それをアジア・太平洋戦争という学術用語に置き換えたのでは、戦争に同調した国民の心理と情念に肉迫しにくい」というスタンスから、「大東亜戦争」で統一されています。
そして「世界の大国米国と戦端を開くに際して、甚大な犠牲が予想されるにもかかわらず、多くの国民はどのような感覚で開戦を受感し、高揚感にとらわれたのか、敗戦後に自ら戦争目的に雷同し陶酔した直近の過去にどう向き合ったのかということの検証」といった点が本書のテーマと位置づけられています。
そこで前半では、光太郎、三好達治、野口米次郎といった、翼賛詩を数多く書いた詩人たちの作品を俎上に乗せ、作者自身の内面の剔抉、それらの作品の受容状況といったところが語られます。
他に坂口安吾や太宰治、武者小路実篤、火野葦平らの小説家、斎藤茂吉ら歌人等にも言及されますが、メインは詩。これについてはこのように語られています。
なぜ詩なのか。それは詩の特質ともいうべき言葉の精妙さと関連している。短縮した表現で人間の内面世界を表さなければならない詩は、散文以上に言葉の濃度と旋律に重きが置かれる。読み手は濃密な言葉と旋律に載せられた表現者の内面世界を解凍し、それに共感、心服したり、覚醒させられたりする。それが読み手に影響を与えるためには、詩は読み手にも共通する思いを掬い取るとともに、それを明晰化し、さらには一歩先んじていることが必要である。
そうしてそういう機能を担った光太郎の翼賛詩考察。なかなかに鋭い視点でした。特に光太郎ファンとして心が痛んだのは、「撃つ」という語に関して。
まぁ、「撃ちてし止まん」などとプロパガンダ的スローガンに使われ、当時の流行語のような側面もあったと思いますが、光太郎も複数の翼賛詩で「撃つ」という語を多用しています。しかし小関氏にかかれば「これはさらに露骨にいえば敵を「殺す」ということである」「高村は「殺す」、「みなごろし」という直截な表現を避けながら、事実上敵を「殺す」ということに「この生活の一切をかけ」る決意を「美の世界を守りぬこう」という覚悟に重ね合わせて述べているが、「撃つ」というベールを被せた表現に逆に表現者の苦渋と義務感のうち混じった壮絶さを感じさせる」。
「この生活の一切をかけ」「美の世界を守りぬこう」は、詩「決戦の年に志を述ぶ」(昭和18年=1943)の一節です。更にいうなら小関氏曰く「ここに芸術性は何もない」。まったくその通りです。しかし、「こうした詩こそ光太郎の真骨頂」と涙を流して有り難がる愚物が多いのも現状ですが。
平時であれば決して許されない殺人教唆的な物言い、さらにはこうした詩に鼓舞されて戦場へ赴いた多くの前途有為な若者たちが逆に「撃」たれたこと、それらを深く悔いて、戦後の光太郎は花巻郊外旧太田村に7年間の蟄居生活を送ることになります。そこは本書の主旨ではないので、戦後の壮絶な蟄居生活にはほとんど触れられていないのが残念といえば残念ですが。
後半はほとんどの国民が「敗戦後、その熱狂をまるで“なかったこと”のように振る舞い始めた」ことの検証。ここでは天皇制の問題にも触れつつ、鮎川信夫や金子光晴、吉本隆明ら、「荒地派」がメインです。同派は「敗戦後の日本社会の気運がいかに欺瞞に覆われ、それを看過してやり過ごすことがいかに人間の存在を歪めるかということを詩表現のモチーフとして拘りつづけた一群の詩人たち」と位置づけられています。まぁ、それはそうなのでしょう。ただ、金子などは数は少ないながらも戦時中にコテコテの翼賛詩を書いていたことにはほとんど触れられていないようで、その上で論じていただければ、という気はしました。
それにしても戦後80年、そして実にきな臭い状況に陥っているこの国を二度と誤った道に進ませないためにも、こうした問題を考える上で実に示唆に富んだ書籍です。ぜひお買い求めを。
【高村光太郎書誌】
本人著作(全体)16 『道程』改訂版 百五十部限定版
昭和15年(1940)11月20日 山雅房 高村光太郎著
目次 道程
失はれたるモナ・リザ 明治四十三年十二月十四日
画室の夜 明治四十四年一月十二日
寂寥 明治四十四年三月十三日
声 明治四十四年五月二十日
新緑の毒素 明治四十四年六月十一日
はかなごと
地上のモナ・リザ 明治四十四年七月六日
父の顔 明治四十四年七月十二日
泥七宝 明治四十四年七月――翌年六月
――に 明治四十五年七月二十一日
或る夜のこころ 大正元年八月十八日
おそれ
犬吠の太郎 大正元年九月二十六日
さびしきみち 大正元年十月八日
梟の族 大正元年十月二十日
或る宵 大正元年十月二十三日
郊外の人に 大正元年十一月二十五日
冬の朝のめざめ 大正元年11月三十日
戦闘 大正元年十二月十四日
人に 大正二年二月十八日
人類の泉 大正二年三月十五日
山 大正二年十一月四日
冬の詩 大正二年十二月六日
牛 大正二年十二月七日
僕等 大正二年十二月九日
道程 大正三年二月九日
愛の嘆美 大正三年二月十二日
婚姻の栄誦 大正三年三月六日
万物と共に踊る 大正三年三月九日
瀕死の人に与ふ 大正三年三月十四日
晩餐 大正三年四月二十五日
五月の土壌 大正三年五月十六日
秋の祈 大正三年十月八日
道程 以後
わが家 大正五年
小娘 大正六年
無為の白日
海はまろく
雨にうたるるカテドラル 大正十年十月
沙漠
クリスマスの夜 大正十一年一月
冬の送別 大正十一年四月
五月のアトリエ 大正十一年五月
ラコツチイ・マアチ 大正十一年十一月
落葉を浴びて立つ 大正十一年十一月
樹下の二人 大正十二年三月
鉄を愛す 大正十二年五月
氷上戯技
珍客
葱
車中のロダン 大正十四年
後庭のロダン 大正十四年二月
十大弟子 大正十五年
聖ジヤンヌ 大正十五年
猛獣篇 時代
清廉 大正十三年十二月
傷をなめる獅子 大正十四年
狂奔する牛
鯰 大正十五年
苛察 大正十五年
雷獣 大正十五年六月
龍 大正十六年
【編纂者の言葉】 三ツ村繁蔵
大正3年(1914)刊行のオリジナル『道程』から詩篇を抜粋し、さらにその後の作品を加えて刊行されました。表紙に昭和11年(1936)の雑誌『歴程』初出のペン素描「獅子の首」を金押しであしらっています。
昭和17年(1942)に、この詩集により同16年度の第一回帝国芸術院賞を受賞。出版された昭和15年(1940)には光太郎は大政翼賛会中央協力会議議員にも就任し、上梓や受賞にはそのための箔づけというかご褒美というか、そういう匂いが感じられます。
ご当地フレーム切手を除き、唯一、光太郎肖像が切手デザインに使われた平成12年(2000)の「20世紀デザイン切手」シリーズ第9集に含まれる80円切手は、この詩集に関わります。これは昭和15年(1940)から同20年(1945)までの題材8種類を1シート10枚構成にしたものでした。






