光太郎筆の油彩画「自画像」(大正2年=1913)が出ています。
正続2冊セットで刊行され、内容的には大正5年(1916)に阿蘭陀書房から出た初版、同10年(1921)の目黒分店版と同一です。それらがハードカバーでしたが、こちらは並製の廉価版で、繰り返し版を重ねました。当方手持ちのものは最終刷となった昭和12年(1937)9月20日の版です。
カバー背の題字は光太郎自身の揮毫、描かれている裸婦像はロダンの素描です。同一の図案は明治43年(1910)、親友の水野葉舟の小説集『おみよ』のカバーにも使いましたが、同書はこのデッサンのために「風俗壊乱」とされて発禁になってしまいました。
佐藤忠良ら光太郎のDNAを受け継ぐ次世代の彫刻家たちはこの並製本を刷りきれるほど読んだようです。
期 日 : 2026年1月10日(土)~2月15日(日)
会 場 : SOMPO美術館 新宿区西新宿1-26-1
時 間 : 10:00~18:00(金曜日は20:00まで)
休 館 : 月曜日、1月13日(火)
料 金 : 一般(26歳以上)1,500円 25歳以下 1,100円 小中高生 無料
1976年7月、SOMPO美術館は新宿に開館しました。このたび、SOMPO美術館の開館50周年を記念し、新宿をテーマとした展覧会を開催いたします。
日本の近代美術(モダンアート)の歴史は、新宿という地の存在なくしては語れません。明治時代末期の新宿には新進的な芸術家が集まりました。そして、新宿に生きる芸術家がさらに芸術家を呼び込み、近代美術の大きな拠点の一つとなりました。本展は、中村彝、佐伯祐三から松本竣介、宮脇愛子まで、新宿ゆかりの芸術家たちの約半世紀にわたる軌跡をたどる、新宿の美術館として初めての試みです。
ⅰ章 「中村彝と中村屋 ルーツとしての新宿」
新宿に創業した中村屋のもとに新進芸術家たちが集い、サロンが生まれました。中村彝(つね)をはじめ、中村屋にゆかりの作家を取り上げます。
コラム1 文学と美術
1910年に創刊された雑誌『白樺(しらかば)』を中心に、新宿に生きた文学者や画家たちにゆかりの作品を紹介します。
ⅱ章 「佐伯祐三とパリ/新宿 往還する芸術家」
佐伯祐三は、パリと新宿を行き来しながら活動しました。アトリエの建つ下落合の風景を描いた作品を中心に展示します。
阿部展也(のぶや)(芳文)のアトリエには、瀧口修造を始めとする芸術家たちが集まりました。彼ら/彼女らの交流は、既存の美術の枠を超えた豊かな作品群を生み出していきました。
エピローグ 新宿と美術の旅はつづく
新宿に生まれた版画家・清宮質文(せいみやただふみ)。静かな叙情あふれる静謐(せいひつ)な清宮の版画によって、本展の幕をとじます。
光太郎の「自画像」は、「コラム1 文学と美術」の中で展示されています。
やはり新宿区の中村屋サロン美術館さんの所蔵で、同館の常設展示(コレクション展)ではほぼ常時出ているものです。
「新宿」といえば、その中村屋サロン、さらに落合文士村。ⅰ章では中村屋サロンがメインで、荻原守衛や斎藤与里ら、光太郎とも縁の深かった面々の作品が並んでいます。その流れで「コラム1 文学と美術」。やはり光太郎と親しかった岸田劉生、有島生馬など。「おっ」と思ったのは宮芳平。シブいところが出ているな、という感じでした。それから、光太郎も寄稿した『白樺』の第1巻第8号(明治43年=1910)と『ARS』の創刊号(大正4年=1915)もこの並びでしょうか。
光太郎、落合系ではメインの佐伯祐三とは直接の関わりはなかったようですが、松本竣介主宰の『雑記帳』には寄稿をしています。また、林芙美子は自著『放浪記』で光太郎のブロンズ代表作「手」(大正7年=1918)に触れるなど、かすかな繋がりが。
週末、ぽこっと時間が空きましたので、拝見に伺おうかなと考えております。みなさまもぜひどうぞ。
ⅰ章 「中村彝と中村屋 ルーツとしての新宿」
新宿に創業した中村屋のもとに新進芸術家たちが集い、サロンが生まれました。中村彝(つね)をはじめ、中村屋にゆかりの作家を取り上げます。
コラム1 文学と美術
1910年に創刊された雑誌『白樺(しらかば)』を中心に、新宿に生きた文学者や画家たちにゆかりの作品を紹介します。
ⅱ章 「佐伯祐三とパリ/新宿 往還する芸術家」
佐伯祐三は、パリと新宿を行き来しながら活動しました。アトリエの建つ下落合の風景を描いた作品を中心に展示します。
コラム2 描かれた新宿
1923年に発生した関東大震災からの復興で変貌を遂げた街を描いた版画集『画集新宿』『新東京百景』を中心に、大正から昭和初期の新宿の風景を描いた作品を紹介します。
ⅲ章 「松本竣介と綜合工房 手作りのネットワーク」
松本竣介(しゅんすけ)は綜合(そうごう)工房を構え、雑誌『雑記帳』を刊行しました。竣介を中心に、二科会や『雑記帳』で活動をともにした作家たちを取り上げます。
ⅳ章 「阿部展也と瀧口修造 美術のジャンルを超えて」ⅲ章 「松本竣介と綜合工房 手作りのネットワーク」
松本竣介(しゅんすけ)は綜合(そうごう)工房を構え、雑誌『雑記帳』を刊行しました。竣介を中心に、二科会や『雑記帳』で活動をともにした作家たちを取り上げます。
阿部展也(のぶや)(芳文)のアトリエには、瀧口修造を始めとする芸術家たちが集まりました。彼ら/彼女らの交流は、既存の美術の枠を超えた豊かな作品群を生み出していきました。
エピローグ 新宿と美術の旅はつづく
新宿に生まれた版画家・清宮質文(せいみやただふみ)。静かな叙情あふれる静謐(せいひつ)な清宮の版画によって、本展の幕をとじます。
光太郎の「自画像」は、「コラム1 文学と美術」の中で展示されています。

「新宿」といえば、その中村屋サロン、さらに落合文士村。ⅰ章では中村屋サロンがメインで、荻原守衛や斎藤与里ら、光太郎とも縁の深かった面々の作品が並んでいます。その流れで「コラム1 文学と美術」。やはり光太郎と親しかった岸田劉生、有島生馬など。「おっ」と思ったのは宮芳平。シブいところが出ているな、という感じでした。それから、光太郎も寄稿した『白樺』の第1巻第8号(明治43年=1910)と『ARS』の創刊号(大正4年=1915)もこの並びでしょうか。
光太郎、落合系ではメインの佐伯祐三とは直接の関わりはなかったようですが、松本竣介主宰の『雑記帳』には寄稿をしています。また、林芙美子は自著『放浪記』で光太郎のブロンズ代表作「手」(大正7年=1918)に触れるなど、かすかな繋がりが。
週末、ぽこっと時間が空きましたので、拝見に伺おうかなと考えております。みなさまもぜひどうぞ。
【高村光太郎書誌】
本人著作(全体)13 『ロダンの言葉』普及版
昭和4年2月28日 叢文閣 オーギュスト・ロダン著 高村光太郎訳
目次 ロダンの芸術(ユージエヌ カリエール)
ロダン手記
ヹヌス 原則 フランスの自然 ランスの本寺 夜の本寺 本寺別記
断片(「本寺」、「真のロダン」其他より) 手紙
ジユヂト クラデル筆録
ポール グゼル筆録
肉づけ 芸術に於ける神秘 動静 断片
カミーユ モークレール筆録
フレデリク ロートン筆録
古代芸術の教訓(一) 同(二) 断片
ロダンの手帳(クラデル編)
正続2冊セットで刊行され、内容的には大正5年(1916)に阿蘭陀書房から出た初版、同10年(1921)の目黒分店版と同一です。それらがハードカバーでしたが、こちらは並製の廉価版で、繰り返し版を重ねました。当方手持ちのものは最終刷となった昭和12年(1937)9月20日の版です。
カバー背の題字は光太郎自身の揮毫、描かれている裸婦像はロダンの素描です。同一の図案は明治43年(1910)、親友の水野葉舟の小説集『おみよ』のカバーにも使いましたが、同書はこのデッサンのために「風俗壊乱」とされて発禁になってしまいました。
佐藤忠良ら光太郎のDNAを受け継ぐ次世代の彫刻家たちはこの並製本を刷りきれるほど読んだようです。








