松の内の間に正月っぽいネタを片付けてしまおうと思います。
『京都新聞』さん、元日の「社説」。
京都の書店で、画集の上に「檸檬(れもん)」を置いて出てきたと小説に書いたのは、梶井基次郎である。
未来を刺激する実り
よくある話のマクラに光太郎智恵子が使われるパターンですが(笑)、それも大歓迎です。マクラにさえ使われなくなったらゆゆしきことです。
「京檸檬」のブランド名で、レモンの栽培が拡がっているとのこと。調べてみたところ、社説で紹介されている日本果汁さんとロマンライフさんが会員企業、宝酒造さんが協賛企業として名を連ねている「京檸檬プロジェクト協議会」という団体さんがいろいろと頑張ってらっしゃるようです。
耕作放棄地の活用など、意義のある取り組みですね。「京檸檬」と漢字にしているのもシャレオツなイメージです。まぁ何であっても「京××」としただけで垢抜けした感じになるような気がしますが(笑)。
意外と寒い京都ですが、「実の凍結を防ぐため、黄色になる前に早摘みする工夫」だそうで、そうすると智恵子の故郷・福島や光太郎ゆかりの岩手でも不可能ではないかもしれません。関係の方、ご一考をお願いしたいところです。
さらに社説では少子化や地方の問題、分断主義や排外主義の台頭への憂慮等も語られています。この国が「美しい国」であるために為すべきことは何なのか、年頭に当たって考えたいものです。
原典はアメリカの詩人、ウォルト・ホイットマン(1819~1892)の日記で、雑誌『白樺』などに断続的に訳出掲載されたものの単行本化です。
その自然崇拝的態度などに、光太郎は共感を寄せていたようです。ただ、ホイットマン、南北戦争時には北軍を鼓舞する詩篇を書いてもいます(負傷兵の看護に当たるなどの慈善活動も行いましたが)。のちの15年戦争時に光太郎が大量の翼賛詩文を書き殴った一つの源流が、ここにも見えるような気がします。
『京都新聞』さん、元日の「社説」。

病床にあった詩人高村光大郎の妻は、レモンを<きれいな歯ががりりと嚙んだ(略) 天のものなるレモンの汁はぱつとあなたの意識を正常にした>(智恵子抄(ちえこしょう))
私たちの舌と多くの芸術家を刺激してきた酸っぱいレモンが、京都で作られている。5年ほど前から始まった挑戦の結実だ。
仕掛けたのは農産物加工品の製造・販売会社「日本果汁」(京都市下京区)。健康志向で拡大する国産レモンの需要に、生産が追いつかない。取引のある農家や専門家に、京都での栽培を打診する。
未来を刺激する実り
舞鶴、亀岡、木津川、京田辺など府内20超の農家が手を上げた。行政や企業の支援も得て、耕作放棄地を活用。防寒対策など2年ほどの試行錯誤で木が根付く。
実の凍結を防ぐため、黄色になる前に早摘みする工夫で、先月に終えた年間収穫は7トン前後。「京檸檬」として加工品用に出荷し、地元の宝酒造(伏見区)が酎ハイ、ロマンライフ(山科区)が洋菓子に用いるなど商品化している。
日本果汁の河野聡社長は「新たな特産品で持続可能な地域づくりに貢献できれば。目標は10年以内に100トン。生食や京料理などでの使用にも広げたい」と話す。
府南部では鮮烈なグリーンのレモンが、茶園やネギ畑のそばで実っていた。緑の競演だ。<がりりと嚙んだ>ら通常より酸味が柔らかい。京の名前が良く似合う。多くの人の口に届いてほしい。
つなぎ、つながる多様性
本紙は昨年から一つの地域で、複数の地方版を読めるように紙面を改めた。京都、滋賀で多くの人やグループ、団体が「わがまち」の資源を生かしたり、新たに作り出したりして地域社会を動かすニュースを連日、報じている。
そこから読み解けるのは「つながり」「つなぐ」ことの大切さだ。糸をたぐり京滋に希望の物語を紡ぐ-。次の主役は、あなたやあなたの周囲の人かもしれない。
政治には、そうした営みを後押しする方策を求めたい。
30年来続けてきた国の少子化対策は、めぼしい効果をもたらしていない。結婚や出産、子育てについて行政が環境を整えることは重要だが、いずれも個人の自由であり、それでただちに出生率が持ち直すわけではない。
結婚をためらう非正規労働者など雇用環境の改革、「伝統的な家族観」を女性に押しつける考え方など、複合的な社会の障壁を除くことが必要である。「多様性」と「寛容」が鍵になろう。
ここ10年、政府が旗を振った「地方創生」も残念ながら、地域社会を疲弊させた面が大きい。官邸と霞が関が中央統制を強め、自治体間で住民や税金、補助金を奪い合わせたからだ。
国は人口や経済成長をコントロールできるという幻想の物語を振りまき、真に必要な改革から逃げてきたのではないか。政府推計で、15年後には生産年齢人口(15〜64歳)が今より1100万人も減る。不都合でも直視したい。
その点で、地方創生について政府自身が検証報告で行き詰まりを認め、昨年6月に閣議決定した今後10年の基本構想に「人口減少を正面から受け止め、誰もが安心して生活できる適応策を講じる」と明記したのは意義深い。
地域社会の持続的な発展には、性別や世代、国籍を問わず支え合い、参加し、ゆるやかに連帯する暮らしと働く場が欠かせない。
政治が亀裂深めるな
それを支えるのは、医療・介護や教育施設、交通網、農林漁業といった広義のインフラだろう。東京大や同志社大で教えた経済学の泰斗、故宇沢弘文氏は「社会的共通資本」と呼んだ。
人口減への適応策として、国と自治体は、その維持を優先すべきだ。「縮むまち」に合わせて、身の丈を整える青写真を各自治体は描く時ではないか。
それを国は支えつつ、自らも人口減・低成長に即した「日本のかたち」を示し、「成熟型」の社会保障や財政、経済戦略を再構築すべきである。負担のわかちあいなど厳しい面もあろうが、次世代へのツケ送りは慎まねばならない。
心配なのは、つながり、共に生きるより、交流サイト(SNS)を介して対立や不確かな情報をあおり、自分と考えの違う人や少数者、外国人を排撃する動きだ。
昨秋、高支持率で出発した高市早苗政権は、その波頭に乗っているかに見える。持論や右派の支持層向けの言葉が、日本を分かつ壁を築いていないか。
分断の溝を埋めるのは、誰もを包み込む地域社会に違いない。
よくある話のマクラに光太郎智恵子が使われるパターンですが(笑)、それも大歓迎です。マクラにさえ使われなくなったらゆゆしきことです。
「京檸檬」のブランド名で、レモンの栽培が拡がっているとのこと。調べてみたところ、社説で紹介されている日本果汁さんとロマンライフさんが会員企業、宝酒造さんが協賛企業として名を連ねている「京檸檬プロジェクト協議会」という団体さんがいろいろと頑張ってらっしゃるようです。
耕作放棄地の活用など、意義のある取り組みですね。「京檸檬」と漢字にしているのもシャレオツなイメージです。まぁ何であっても「京××」としただけで垢抜けした感じになるような気がしますが(笑)。
意外と寒い京都ですが、「実の凍結を防ぐため、黄色になる前に早摘みする工夫」だそうで、そうすると智恵子の故郷・福島や光太郎ゆかりの岩手でも不可能ではないかもしれません。関係の方、ご一考をお願いしたいところです。
さらに社説では少子化や地方の問題、分断主義や排外主義の台頭への憂慮等も語られています。この国が「美しい国」であるために為すべきことは何なのか、年頭に当たって考えたいものです。
【高村光太郎書誌】
本人著作(全体)5 『自選日記』
大正10年(1921)9月17日 叢文閣 ウォルト・ホイットマン著 高村光太郎訳
目次 序。大英帝国島に於ける諸君へ
幸福な時間の命令 懇望する友への返事 系統――ヷンヹルサルとホヰツトマン
古いホヰツトマン及びヷンヹルソルの墓地 母方の屋敷地……二つの昔の家族の内部
ポマノクと、私の子供として又若者としての其処での生活
私の最初の読書――ラフアイエツト 印刷所――昔のブルツクリン 成長――健康――為事
私の最初の読書――ラフアイエツト 印刷所――昔のブルツクリン 成長――健康――為事
渡しに対する熱情 ブロードヱーの光景 乗合馬車旅行と馭者 芝居も歌劇も
八年間――性格の源泉――結果――一八六〇年 南北戦争の開始
国民の蹶起と義勇兵の志願 驕慢の気……ブルランの戦、一八六一年七月
国民の蹶起と義勇兵の志願 驕慢の気……ブルランの戦、一八六一年七月
昏迷は去る――別の事が始まる 戦線にて 最初のフレデリツクスパーグ戦の後
ワシントンに帰る 負傷のまま戦場に置かれた五十時間 病院の光景と人物
専売特許局病院 月光下のホワイト ハウス 一軍隊病舎 コンネチカツトの一患者
専売特許局病院 月光下のホワイト ハウス 一軍隊病舎 コンネチカツトの一患者
二人のブルツクリンの子供 分離派軍の一勇者 チヤンセラースヸルからの負傷兵
夜戦、一週間余以前の事 最も勇敢な兵卒は名も知られずに居る 或る代表的患者
私の訪問準備 傷病兵運搬車の行列 重傷――青年 戦時の壮観中最も元気あるもの
ゲツチスバーグの戦 騎兵の野営 ニユーヨークの一兵卒 手製の音楽
アブラハム リンカーン 炎熱期 兵卒と談話と ヰスコンシンの一士官の死 病院の概観
アブラハム リンカーン 炎熱期 兵卒と談話と ヰスコンシンの一士官の死 病院の概観
静かな夜の散策 兵卒中の霊的性格者 ワシントン附近の牛の群 病院の混雑 戦線にて
奨励金支払 流言、異動、其他 ヷージニヤ 一八六四年の夏
アメリカに適する新らしい軍隊組織 一英雄の死 病院の光景――偶発事
ヤンキーの一兵卒 南方に於ける合衆軍の捕虜 脱走兵 戦争地獄図の一瞥
贈物――金銭――分つた事 ノートブツクからの数項 第二ブルランからの一患者
軍医――援助の欠乏 到る処青 模範病院 軍隊中の子供達 一看護婦の葬式
兵卒にとつての女性看護へ 南軍の逃避兵 瓦斯燈下の政庁 就任式
戦時に於ける外国政府の態度 天候―天候も此の時勢と照応するか 就任式舞踏会
政庁に於ける一光景 古典的一ヤンキー 傷病兵 大統領リンカーンの死
シヤーマン軍の歓呼――その突然の停止 リンカーンの善き肖像無し
南軍から放免された合衆軍の捕虜 ペンシルヷニアの一兵卒の死 凱旋軍隊 大観兵式
西部の兵卒達 一兵卒のリンカーン観 二人の兄弟、一人は南、一人は北
痛ましい患者がまだゐる カルフーンの真の記念像 病院閉鎖 模範的兵卒 「痙攣的」
三個年の総〆 百万の死の同じく総〆 真の戦争は書物の中に決して無い 中間の一節
新らしい主題に入る 長い農家の小径に入る事 泉と流とに 初夏の起床喇叭
真夜中に渡る鳥 くまん蜂 シダー(杉)の実 夏の風物と安逸
日没のかをり――鶉の声――ハーミツト鶫 池の畔の七月の午後 ローカストとケチヂツド
木の教訓 秋日小景 天空――昼と夜――幸福 色彩――対照 七六年十一月八日
烏、烏……海岸の冬の一日 海浜の空想 トマス ペーンの追憶 二時間の氷上の渡船
春の前奏曲――嬉戯 一つの人間の奇癖 或る午後の光景 門は開かる 大地、土
鳥、鳥、鳥 星に満ちた夜 マリン、マリン……遠方の物音 日光浴――裸体 樫の木と私
五行詩 初霜――おぼえ……三人の若者の死 二月の日 メドーラーク……日没の光
樫の木の下での思ひ――夢 クロヷーと刈草の匂 知らぬもの
鳥の啼声……馬薄荷……われら三人 ヰリヤム カレン ブライヤントの死
ハドソン河を遡る 幸福とラズベリーと 放浪家族の一標本 湾から見たマンハツタン
鳥の啼声……馬薄荷……われら三人 ヰリヤム カレン ブライヤントの死
ハドソン河を遡る 幸福とラズベリーと 放浪家族の一標本 湾から見たマンハツタン
人間的な英雄的なニユーヨーク 魂にとつての時間 麦わら色其他の蝶
夜の記憶……野生の花 遅蒔の礼儀……デラヱヤ河――昼と夜と
渡船及河の光景――昨冬の夜 チエストナツト街の最初の春の日
ハドソン河をアルスター郡に遡る JBの家に於ける日々――芝火――春の歌
夜の記憶……野生の花 遅蒔の礼儀……デラヱヤ河――昼と夜と
渡船及河の光景――昨冬の夜 チエストナツト街の最初の春の日
ハドソン河をアルスター郡に遡る JBの家に於ける日々――芝火――春の歌
隠者に会ふ……アルスター郡の滝 ヲルター デユモントと彼のメダル ハドソン河の光景
市の二つの地域、或る時間 セントラル、パーク散歩と談話 美しい午後、四時から六時
大汽船の出発……ミネソタ艦上の二時間 盛夏の日夜 博覧会の建物――新市庁――河遊び
河の上の燕 長い西遊旅行を始める 寝台車にて ミズーリ州
ローレンスとトピーカ、カンサス州 平原、(及び口演しなかつた演説)
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デンヷーへ――国境の出来事 キノーシヤ山嶺の一時間 手前勝手な「発見」
新らしい感覚、新らしい歓喜 蒸気動力、電信、其他 アメリカの脊骨
パーク……芸術的容姿 デンヷーの印象 南に向ひ――やがて又再び東に
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果たされなかつた望――アーカンサス河 静かな小さなお伴――コレオプシス
詩に於ける平原(プレーリー)と大野原 スパニツシユ高峯――野原の夕暮
アメリカ独特の風景 地上最も重要な流 平原の対比者――樹木の問題 ミシシピ流域文学
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オシヤン的の夜――最も親しい友達 ほんの一艘の新らしい渡船 ロングフエローの死
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新聞を起す事 吾等も其一部である大不安息 エマーソンの墓にて 当今の事――私事
或書を読みかけた後 最後の告白――文学の試験標準 自然と平民主義と――道徳性
附録(英国版の為一八八七年に書かれたもの)
原典はアメリカの詩人、ウォルト・ホイットマン(1819~1892)の日記で、雑誌『白樺』などに断続的に訳出掲載されたものの単行本化です。
その自然崇拝的態度などに、光太郎は共感を寄せていたようです。ただ、ホイットマン、南北戦争時には北軍を鼓舞する詩篇を書いてもいます(負傷兵の看護に当たるなどの慈善活動も行いましたが)。のちの15年戦争時に光太郎が大量の翼賛詩文を書き殴った一つの源流が、ここにも見えるような気がします。




